気ままに

大船での気ままな生活日誌

お見事十月桜 五郎丸&真央ちゃん

2015-10-04 09:13:53 | Weblog

おはようございます。ごきげんいかがですか。ぼくは、ちょっと寝不足だけど、気分は上々。もちろん、昨夜のラグビーの大勝利のおかげ。五郎丸の先制ペナルティーゴール(PG)でまず、3点。その後も得点を重ねて、前半終了間際の山田のトライもあり、安心してみていられる大差。結局、26対5でサモアに大勝。

ラグビーをじっくりみたのは、このW杯がはじめて。面白い!スクラムで押しこんだり、パスワークでトライに持ち込んだり、独走したりと、力と技の勝負。サッカーより面白いかも。魅力的な選手も多い。とくに、五郎丸。PG前のルーチンの準備動作がかっこいい。イチローも打席に立つ前に必ずしている。昨日もPGとトライで得点を上げ、現在、得点王。

お見事十月桜五郎丸!次回は米国戦。これに勝って、決勝リーグへ進出だ。

真央ちゃんもトリプルアクセルを成功させ、大人の演技で復活!
お見事十月桜真央ちゃん

東御苑の十月桜もお見事です

さて、今日の一人祝勝会をどこでやるか(汗)。上野かな。最終日になってしまった展覧会もあるし。では、行ってきまぁす。

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蔵王権現と修験の秘宝

2015-10-03 18:28:14 | Weblog

先日、三井記念美術館で開催されている”蔵王権現と修験の秘宝”展に行ってきた。もう、7年も前に吉野山の桜を観に行ったときに、金峯山寺本堂・蔵王堂はもちろんのこと、櫻本坊にもお参りしている。でもそのときは、吉野の桜の素晴らしさで、心ここにあらずで、今回の展示品についての覚えがない(汗)。

本論に入る前に、そのときの写真を取りだして、思い出に浸ろう(笑)。

吉野の山桜に埋もれる蔵王堂(矢印)

役行者(えんのぎょうじゃ)が白鳳年間(7世紀後半)に、山に修行に入り、修験道の本尊蔵王大権現を感じとり、その姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)にお祀りした。これが金峯山寺のはじまりとされる。その後、参拝者により山桜が献上されつづけ、現在の、桜の吉野山となった。

蔵王堂(世界遺産) 金峯山寺の本堂で、秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、今回の展示品となっている多くの尊像が安置されている。

さて本論。展示室1から順にご案内いたしましょう。

金峯山(きんぷせん)山頂出土遺物【展示室1】

金峯山(山上ケ岳)山上から出土したという金銅蔵王権現像がずらりと、5体も並ぶ姿は壮観。髪を逆立て、三眼、左右の牙を出す怒の相で、右足を高く蹴り上げて左足で立つ。これが、蔵王権現さまかと、まず認知。そして、国宝の金銅経箱・脚台付や紺紙金字弥勒上生経残闕(寛弘4年奥書)も。

国宝の経筒と経箱【展示室2】

いつも、展覧会の主役級がお座りになるこの部屋には、(前期は)国宝の金銅 藤原道長経筒(金峯神社所蔵)が。藤原道長自筆のお経が入っていた。


国宝 金銅 藤原道長経筒 平安時代・寛弘4年(1007) 金峯神社

展示室3は六田知弘の写真展”大峯奥駈(おくがけ)”

吉野山・金峯山寺(きんぷせんじ)とその周辺【展示室4】

山上ケ岳から北に20数キロ大峯奥駈(おくがけ)道をたどると、吉野山の尾根筋に出る。金峯神社、吉野水分(よしのみくまり)神社、如意輪寺、金峯山寺・蔵王堂、櫻本坊とつづく尾根。ここでは、蔵王堂を中心とした寺宝が展示されている。

如意輪寺からは、重文の木造蔵王権現像が前期の一部期間(9月23日まで)に展示されるが、ぼくの訪ねたときには、すでに去られていた。

役行者坐像 (鎌倉時代 櫻本坊)

吉野曼荼羅図 (南北朝時代 金峯山寺)

修験道の鏡像【展示室5】

国宝・蔵王権現鏡像がここの目玉。下部が大きく欠損しているが、巨大な三葉光背形で、蔵王権現と多数の従者が線刻されている。背には長保3年(1001)と線刻され、最古のものである。なお、これは、江戸時代まで、金峯山の山上にあったとの記録がある。

国宝 蔵王権現鏡像

三佛寺(さんぶつじ)の国宝 投入堂(なげいれどう)【展示室6】

鳥取県三朝町にある三佛寺の投入堂は、山上の崖の窪みに建っている。創建は平安時代、役行者が投げ入れて建てたとの伝説があり、「投入堂」と呼ばれる。投入堂の修理の際に交換された古材が三点、展示されている。

国宝・投入堂

三佛寺(さんぶつじ)の蔵王権現(ざおうごんげん)像と諸仏【展示室7】

三佛寺の奥の院、”投入堂”に安置されていた平安時代の重文・蔵王権現像、重文・十一面観音立像、そして木造の狛犬、神像などが並ぶ。これらがまとまって関東で展示されるのは初めてのことでだそうだ。その意味では今回は記念すべき展覧会ということができます。このほか他の美術館・博物館・個人に伝わった平安時代の蔵王権現像が展示されます

重文・十一面観音立像 (平安時代 三佛寺)

重文・蔵王権現像(平安時代 三佛寺)

ちらしを飾る両雄。 上が重文・蔵王権現像(鎌倉時代、源慶作、如意輪寺)。下が、重文・蔵王権現像(平安時代、三佛寺)

また、吉野山に行きたくなってしもうた。先はない、来春を狙おう(汗)。そのときは、櫻だけではなく、宝物館もばっちり観るゾ。

。。。。。

おまけに、去年の京都祇園祭の後祭りから。

役行者山(えんのぎょうじゃやま) 修験者の開祖、役行者の伝説を題材に。

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久里浜でコスモスと猫

2015-10-02 18:44:42 | Weblog

こんばんわ。今、きれいな夕焼けが珍しく、東南の空に。それをまず、ご紹介します。

今日も遊びの神様にいいところに連れて行ってもらった。家を出るときは、上野に行くつもりだったが、嵐の影響で、上野東京ラインが混乱していた。それならばと向かった先が久里浜。くりはま花の国のコスモスが咲き始めていることを小耳にはさんでいたので。

コスモスは手前が四分咲きで、中央が五分咲き、奥の黄色い品種は満開という表示があった。少し、早めだけど、まあまあ楽しめた。それに久里浜の猫とも友達になれたし、お昼は黒船市場でおいしい五目野菜ラーメンも頂いたし、これも、みな遊びの神様のおかげ。

入口から眺めるコスモス畑

奥から眺めるコスモス畑

横から眺めるコスモス畑

中央のコスモス畑に入ってみる

奥のコスモス畑に入ってみる

まとめるとこうなる

そうそう猫と友達になった。

高台の休憩所のテーブルの上にゴロンとしていた

フラワートレインが通り過ぎても無関心

そのうち、いねむり

かわいいので、愛称をつけてやろうと思った。久里浜の猫なので久里子にしようか、久里浜で晩年を過ごした、龍馬の奥さん、おりょうさんにするか、迷った。

たしか、波乃久里子は、両親(十七代勘三郎夫妻)が戦時中、久里浜に疎開していて、そのとき出来た子なので久里子とつけたことを思い出した。このにゃんこも華やかなジンセイを送って欲しいので、久里子ちゃんに決めた。

去年の浅草羽子板市で出会った、波乃久里子丈。三越劇場での初春新派公演のご挨拶に来られていた。↓

でも、この顔では・・・名前負けしそう↓ 

こすもすソフトクリームもおいしかったですよ。

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山崎豊子展/不屈の取材、情熱の作家人生

2015-10-02 10:03:33 | Weblog

おはようございます。夜中の嵐がおさまったようです。今朝の酔芙蓉の哀れなこと。傷だらけの花を咲かせていた。さて、今朝の話題は、日本橋高島屋で開催中の追悼/山崎豊子展についてです。追悼というのは三回忌記念ということ。

家内が山崎豊子フアンで、もう先に見にきている。負けてはならぬと、九月の晦日に展覧会場に入る。ぼくは運のいい人で、入場券購入の列にいると、ご婦人がそっと寄ってきて、どうぞこれをと、招待券をくださった。余っているからということだった。実は先日の横浜高島屋のときもそうだった。ついでながら、歌舞伎座でも3F席だけどと頂いたことがある。いい男だと、得することが多いノダ(爆)。

ぼくは、山崎豊子の小説は、ほとんど読んでいないが、映画化、テレビドラマ化されたものはほとんどみている。白い巨塔、不毛地帯、華麗なる一族、大地の子、沈まぬ太陽、等。最近、霞んできたぼくの頭でも、すらすらと題名をあげることが出来るほど、どれもこれも、印象に残る超大作ばかり。

山崎豊子が生涯、大切にしていた手紙が展示されている。職場(毎日新聞)の先輩、井上靖からもらった、直木賞受賞時のお祝いの手紙だ。そこには、直木賞おめでとう、橋は焼かれた書かれていた。退路を断ち、もう小説家一本で生きていけ、という意味。この”壮絶な言葉”に将来の決心がついたという。

1945 年3月13日からはじまった大阪大空襲時の本人の日記も公開されている。実家の昆布店は焼かれ、恐怖の体験がつづられている。のちの、戦争の非情さを描く”不毛地帯”や”二つの祖国”の執筆の動機になったのであろうか。

良く知られているように、相当な取材魔である。取材ノートは約980冊、カセットテープが5500本、それらの一部が展示されている。取材した人の数は5300余り。取材のために、世界中を巡ぐり、”大地の子”では、中国の奥地まで旅した。当時の胡主席にも会い、いきなり”おたくの国の官僚組織は壁が厚く、真実がみえない!”と迫ったらしい(笑)。主席は”たしかに、よくない。中国をうつくしく書かなくていいです、欠点も影も書いてください、ただ真実を”と応じたらしい。

志摩観光ホテルが定宿で、原稿はここで書き始める。小説のヒントもここで得たものがある。晩餐の中央に神戸の財閥の家族が食事をしていたが、家族とは思えぬ美女が二人いて、そこから、いろいろ想像し、”華麗なる一族”の構想が出来上がったそうである(笑)。

書斎が再現されている。ワンコの写真が3枚。愛犬家だったようだ。スーツケースが三つ。そのひとつがぼくのとそっくりだった。芸能人には引退があるかもしれないが、芸術家には引退はないと、亡くなる直前まで執筆活動をつづけていた。享年89歳。

仲代達也、田宮二郎、渡辺謙らの名優が出ている映像があちこちで見られ、また山崎さんの華やかな衣装の展示があったりして、バラエティーのある、とても面白い、見応えのある文学展であった。



これを書き終えたら、雨があがり、西の空が青空に。さあ、取材に出掛けよう!(汗)

 

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向島百花園の萩のトンネル

2015-10-01 19:11:06 | Weblog

九月の晦日、朝早くから随分と遊んだ。通勤ライナーで東京へ出て、まず日本橋。三井記念美術館に一番乗りで、蔵王権現さまをみて、高島屋で山崎豊子展、そこでランチを頂いてから、東西線で竹橋へ。そこから東御苑に入り、十月桜をみたり、三の丸尚蔵館でモダン・エイジ展をみた。さらに、大手町から半蔵門線で東向島へ。そして、萩のトンネルが見頃の向島百花園に入った。順には紹介せず、いちばんあとに訪ねた百花園からの紹介に致しまする(笑)。

向島百花園は、この夏、大輪朝顔市に出掛けて以来、今年、二度目となるが、見頃の”萩のトンネル”は、何十年振りかである。わくわくどきどき。もう午後4時になっていたので、混雑というほどではない。ゆっくりとトンネルをくぐることができた。トンネルの内側には花はあまりなく、外側に紅白の萩が見頃を迎えている。

萩のトンネル

トンネルの外側を覆おう萩

萩のほか、園内で目立って多い花というと

フジバカマ

アザミ


ススキ

数は少ないが存在感がある花というと

シオン

ワレモコウ

シモバシラ

サクラタデ

あまりみかけない花というと

メイゲツソウ(ベニイタドリ) 

ダンギク

アキノカラマツソウ

ちょっととぼけた実というと

寺島なす

夕顔ひとつ

スカイツリーと池。夏にみたカルガモ母子はどこにもみえなかった。

素晴らしい、九月晦日の向島百花園だった、萩のトンネルだった。

 

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大役を果たしたお月さま、今朝は羽根を伸ばしていた

2015-10-01 09:12:34 | Weblog

おはようございます。中秋の名月、スーパームーン、さらには立待月と三日連続の大役を果たしたお月さま、今朝は、さすがにほっとしたせいか、のんびりと羽根を伸ばしていましたよ。いつもは、草花ばかりみて歩いている朝散歩だけど、今日は”上を向いて歩こう”になってしまった。

お月さまが鉄塔に近づいてきた

電線に飛び乗った

右に左に転がりはじめた。じょうず!綱渡りの名人だったとは!

串団子の術も!

夜は神々しいばかりのお月さまだけど、朝は裃ぬいで、のんびりしてるんですね。とくに、今朝は大役を終えたばかりだし。

すごいお月さま。えっ!こんどはクレーンに乗って!大型特殊の免許もってるの?

えっ!鬼瓦ならぬ、月瓦にも!

大長寺では、お月さまのような樹形の金木犀が、役割の済んだ花で地上に、オレンジ色のスーパームーンをつくっていた。

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