気ままに

大船での気ままな生活日誌

千秋楽はヒマラヤ桜と鵜飼亭

2017-11-26 22:23:08 | Weblog

こんばんわ。

大相撲九州場所も千秋楽。白鵬の40回目の優勝で幕を閉じたが、優勝インタビューで異例のお詫びの言葉。自身の11月場所11日目の11連勝ならずで、前代未聞の身勝手物言いのことではなく(笑)、日馬富士暴行事件のことだった。

今場所は若手が活躍した。来年が楽しみ。

貴景勝、2横綱1大関を破り、見事な殊勲賞。

終盤まで白鵬を追走した北勝富士に技能賞。貴景勝が力水をつける。共に11勝4敗。

千秋楽に勝ち越しを決め、入幕以来4場所連続勝ち越しの快挙。小結・阿武咲。

ベテランも活躍した。隠岐の海、終盤まで優勝争いで敢闘賞。39歳再入幕の安美錦も千秋楽で勝ち越し、涙の104場所振りの敢闘賞

みなさんにぼくからのお祝いを。

新宿御苑のヒマラヤ桜の下でお花見会をしましょうか!今日、見てきました。もう、こんなに咲いてますよ。

二次会は、どっかの大統領が招待されたという銀座鵜飼亭へ。でも、ここはちょっと高いので、広尾の鵜飼亭にしましょうか。今日、下調べに行ってきました。

鵜飼(川合玉堂)

広尾の山種亭です。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(新宿御苑にて)

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オペラと月と白鵬と

2017-11-26 09:20:41 | Weblog

おはようございます。

これは昨日のこと。家内と藤沢でオペラの”トスカ”を見に行った。会場を出て、見上げた空に夕月が舟形になってぽっかりと浮かんでいた。帰宅すると、白鵬が遠藤を破り、なんと40回目の優勝を決めて、がっかり(笑)。ということで、その日はオペラと月と白鵬となった次第。

藤沢市民オペラは、1973年(昭和48年)に第1回公演を行った日本で最初の市民オペラだそうだ。これまで、なんと23回の公演を行っている。となり街だというのに、ぼくらは今回がはじめての観劇。オペラというと敷居が高かったが、最近、生涯学習センターでワーグナーやモーツアルトのオペラをスクリーンで見る機会が何度かあり、舞台もみてみたいと思うようになっていた。

藤沢市民オペラの生みの親は福永陽一郎さん。市民会館の前に碑が建っている。

市民オペラといっても、すべて市民がやるわけではない。合唱団とオーケストラは地元のアマチュア団体だが、ソリストはプロのオペラ歌手なので、本格的なオペラである。

今回の演目は、プッチーニ作曲 歌劇”トスカ”。

トスカ役はこの二人。この日は砂川涼子。藤原歌劇団所属で、日本を代表するソプラノ歌手として人気を博しているという。素晴らしい歌声だった。

すべて原語(イタリア語)なので、舞台袖の字幕を見ながら鑑賞する。舞台はローマ、1800年6月17日の昼下がりから翌18日の夜明けにかけての物語。ナポレオン敗戦の誤報が届いたその夜、歌姫トスカと恋人である共和主義者のカヴァラドッシの運命はいかに。ろうろうと歌われた「歌に生き 愛に生き」「星は光りぬ」などの名アリアが心に沁みる。

結末は二人の死という悲劇におわり、さびしい気分で外に出ると、夕月が慰めてくれた。


家へ帰ると、ちょうど結びの一番だった。すでに、隠岐の海と北勝富士は負けてしまい、白鵬が勝てば40回目の優勝が決まるいう。遠藤、がんばれと応援したが、カチアゲをくい、こちらも悲劇におわった(笑)。

おめでとう、白鵬関。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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鎌倉文学館でリスペクト展

2017-11-25 11:19:00 | Weblog

おはようございます。

長谷の鎌倉文学館で”リスペクト展”が開催されている。リスペクト(respect)とは尊敬、敬愛の意味だが、最近、カタカナで使われるようになって、わりとよく耳にする。どういう展覧会か。鎌倉ゆかりの文学者たちが誰をリスペクトして、自分を磨き、文学者になったかを10組にわたって、豊富な資料と共に紹介するというものである。コンパクトではあるが、ほとんどオールスターキャストと言ってもいい人物の”出演”で、とても面白い文学展であった。

文学評論家で館長の富岡幸一郎の”すべてはリスペクトから始まる”の序文に引き込まれる。哲学者の田中美知太郎は、すべての言葉は過去から来る、と言った。どんな独創的な詩や小説も全く新しい言葉によって創られのではなく、過去から連綿と続く歴史の中の”言葉”を用いられているからである。詩人はその言葉に詰まっている時間を掌の上に掬い上げて、永遠に変えてみせる。小説家は言葉の糸を物語という華麗な織物に仕立て、俳人や歌人は伝統に育まれた定型の内へと、言葉の小宇宙を創りだす。一つの時代、一人の文学者によってこうして創造された言葉を次の時代の、次の世代を生きる若者が読む。読むことは遭遇である。圧倒的な、言葉との出会い。リスペクトはそこに生じる。

ご本人も中学生の頃、小林秀雄の”無常ということ”、”モーツアルト”などの詩のような結晶をもつ散文に深い感動を覚え、リスペクトし、文学評論の世界に入ったそうだ。

そして、第1章の夏目漱石→正岡子規がはじまる。有名な話だが、21歳の漱石と子規が出会ったのが寄席。落語などの感想を交わしながら、あつく文学を語るようになった。大学を卒業後、漱石は教師の道へ、子規は結核にかかり、文学の道へ。俳句と短歌の革新に取り組む。漱石は33歳で英国留学。その間、子規は亡くなる。漱石は子規へのリスペクトの手紙を出している。小生元来大兄を以て吾が朋友中一見識を有し、自己の定見に由って人生の航路に舵をとるものと信じ居候(明治24年)。

二人の手紙はいくつも展示されているが、ロンドン留学中に子規からの最後の手紙は涙を誘う。僕ハモウダメニナッテシマッタ・・・・明治35年、子規が34歳で亡くなるが、虚子からロンドンに手紙が来て、追悼文を書いてくれないかと頼まれるが、とうとう書けず、句を送った。帰国後、墓参したあとに書いた追悼文(未定稿)が展示されている。

漱石旧蔵の子規画”あずま菊”

ここだけでも時間をとってしまうが、そのあと、与謝野昌子→与謝野寛/里見とん→泉鏡花/萩原朔太朗→北原白秋/芥川龍之介→漱石/堀辰雄→芥川/太宰治→芥川/星野立子→高浜虚子/大岡昇平→小林秀雄/三島由紀夫→川端康成と豪華メンバーがつづくのだから、時間がいくらあっても足らない。おいおい紹介したいと思っている。

。。。。。

鎌倉文学館の薔薇園はそろそろ終焉といったところだが、三島由紀夫の”春の雪”だけは華やかだった。



春の雪

帝王ダリア



それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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朝富士・昼富士・夕富士&北勝富士

2017-11-24 22:29:59 | Weblog

こんばんわ。

同じ日に朝富士、昼富士、夕富士を撮ることはめったにないので記録することにしよう。加えて、お相撲では北勝富士が隠岐の海と共に2敗をキープしたので、富士関連で(笑)、タイトルに加えることにした。もうひとつ宝富士も加えたいところだったのだが、ほとんどつかんでいた金星がするりと抜け落ちて、残念ながら入らなかった。

では、朝富士から。これは朝の記事にも載せたもの。見事な雪化粧。

よし、雪化粧の富士山を海辺で見てやろうと昼前に稲村ケ崎に行った。ところが、雲隠れ。がっかりしたが、しばらく、咲き始めていた水仙を眺めながら待機していたら、一瞬、雲が晴れ、ちらりと富士山が!

昼富士(矢印)。江の島と一緒に。

しかし、すぐ隠れてしまい、波が打ち寄せるばかりだった。

稲村ケ崎の水仙。

そして、夕方。我が家のベランダ。こんどは雲の衣を脱ぎ捨てて、見事な夕富士をみせてくれた。

そして、久し振りだねお月さん!

陽も沈み、テレビでは大相撲九州場所13日目。共に2敗で白鵬を追走する兄弟子の隠岐の海が勝ち、いよいよ北勝富士登場。今日の相手は嘉風。接戦で、思わず北の富士さんも、よしいけ!と声を出してしまったが、見事、お富士さんの勝ち!

北勝富士



そして、結びの一番、宝富士対白鵬。宝富士、いなして、白鵬を後ろ向きにして、よし!と大声を上げたが、くるりと態勢を立て直す白鵬。もう一度、うしろ向きにさせられる白鵬。よし、これで決まった!と思った矢先、手をついたのは宝富士だった。がーん。

もう一度

しかし・・・・

苦笑い、白鵬。

おすもうも、北の富士さんの孫弟子に当たる両力士の活躍で千秋楽まで楽しめそうだ。あす、白鵬と対戦する遠藤というフジ(藤)さんが爆発してくれれば、面白いのだが。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

これでは、悪夢になりそうなのでこの子を。

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浄妙寺と報国寺のもみじ

2017-11-24 08:49:59 | Weblog

おはようございます。

午後から急に晴れ上ってきたので、浄妙寺と報国寺をセットで行ってきた。いちょうが狙いだったが、あと一歩というところ。でも、浄妙寺では紅葉とメタセコイアがだいぶ色づいてきた。

浄妙寺

さざんかと対で

どうだんつつじ

いちょうはもう一歩。


茶室庭園

丘の上の洋館とメタセコイア

報国寺

。。。。。

今朝の富士

昨夕の富士(笑) 北勝富士、一差で白鵬を追走。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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海岸通りのいちょう並木 山下公園の薔薇 

2017-11-23 21:15:22 | Weblog

こんばんわ。

日本大通りのいちょう並木を見たあとは、海岸通りのいちょう並木へ。そして隣接する山下公園の薔薇園も。どちらも素晴らしかったですよ。背景もいいしね。

まずは、海岸通りのいちょう並木の入口付近から。

県民ホールの辺り

ホテルニューグランド辺り

マリンタワー辺り


元町の歩道橋へ。ここから見るいちょう並木。



横浜人形の家が近い。

山下公園では薔薇園が花盛り。

薔薇とマリンタワー

薔薇とランドマークタワー


薔薇と氷川丸


氷川丸とユリカモメ (昨夕投稿のと違ったアングルから)

今日のお相撲。白鵬1敗キープ。2敗で追走する北勝富士と隠岐の海。遠藤は3敗と好調維持。高安、豪栄道の両大関は負けて、それぞれ4敗、5敗で優勝争いから脱落。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。



(元町商店街にて)

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ハマスタ展と横浜公園もみじ

2017-11-23 10:11:57 | Weblog

おはようございます。

冷たい雨が降る寒い朝です。昨日は晴れあがり、もみじ見物日和と、また横浜公園に出掛けた。公園に入ると、横浜スタジアムの入口に行列が出来ている。ハマスタの今までとこれから展が開催されている。2020年の東京五輪の野球会場になる予定なので、それに向けての改修工事がすでにはじまっているが、その記念展とのこと。

ベイスターズというと、その前身は川崎球場をホームにしていた大洋ホエールズ。ぼくは中学2年のときから川崎市民となっていたから、40年前、ここにホームを移されたときは悔しかったものだ。

中に入ると、まず球場の歴史のポスター展示。平和球場を1978年に改修し、横浜スタジアムに。チーム名も横浜大洋ホエールズに。

40年の歴史。横浜大洋ホエールズ時代からの資料が並ぶ。

横浜スタジアムの記念すべき出来事があった年。スタンプも押せる。1979年には大リーグオールスターチームを迎えた。

1998年、日本シリーズ優勝!

つい最近、2017年、日本シリーズ進出。

ファングッヅ

ユニホーム

優勝トロフィー

新スタジアムはこんなふうになるようだ。座席数を現在より2割多い3万5000席に増やし、試合のない日も回遊できるデッキも新設されるという。


そして、最終日の今日、23日には、横浜スタジアム40年の歴史を支えた監督、選手が勢ぞろいするハマスタレジェンドマッチ」が開催されとのこと。ちょっと天気が心配。

一週間前に行ったばかりだが、横浜公園のもみじが進んでいた。

チューリップの球根植えもはじまっていた。

日本大通りの銀杏並木も一層、見事に。


そのあと、山下公園へ。海岸通りの銀杏並木もすごいことになっていた。次回、報告の予定。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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11月場所11日目 白鵬11連勝ならず あきれた行動

2017-11-22 23:03:53 | Weblog

こんばんわ。

稀勢の里が引退、じゃない休場してからの楽しみは、白鵬が負けることしかなくなってしまった。それも、なるったけ、ぶざまな負け方で(爆)。

今日、それが実現した。ゾロメ好きなぼくのために相撲のかみさまが仕掛けてくれたのだろう。11月場所11日目、白鵬11連勝ならず。それもぶざまな負け方で、願ってもないイイ(11)日だった。

それも対戦相手はぼくの大好きな正攻法の嘉風。嘉風関とは、上野公園で偶然出会って写真まで撮らせてもらい、それ以来のファン(汗)。白鵬、いつもの張り手で立ったが、嘉風が即座にもろ差し。そのまま、一気に寄り切った。しかし、そのあと白鵬が奇妙な行動をとった。土俵下から、手を上げ、行司判定に異議ありと”物言い”。もちろん、受け付けられず、しばらく土俵に上がらない。アナウンサーも今まで見たことのない光景ですね、という。どうも、”待った”をしたらしいのだが、とても、そうはみえない。自分がいつもフライング気味の立ち合いをしているのに、それができなかったので、やり直せと文句を言っているようにみえる。

嘉風はインタビューで、途中で白鵬が”待った”と思ってちょっと力を緩めたようだったが、行司のノコッタノコッタの声が聞こえたのでそのまま押し切ったと話した。審判団も、両手はついているし、立ち合いは十分成立している、自分で勝手に決めるな、それなのに、何だあの態度はと憤然。ぼくも憤然。全くあきれてものがいえない。横綱失格である。横審は日馬富士より先に、白鵬にまず引退勧告を出してほしい!稀勢ロスのせいか、ちょっと強く言い過ぎたかな。

白鵬の前代未聞の一分間ストライキ


審判団にアピール。

促されてようやく土俵に上がってからもこの態度。

これが”待った”か!得意の張り手も出ているではないか

土俵際もきわどかった。もし、これで勝っていても、アピールするのか。

稀勢の里は足が痛いくらいで休場などせず、千秋楽で白鵬を懲らしめてほしかった。

高安は勝ち越しを決め、カド番脱出。これで、白鵬と二差。逆転優勝の目が出てきた。


よくやった高安。

今日は山下公園へ。ユリカモメが帰ってきていましたよ。

氷川丸のカモメの水兵さん

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

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三島の楽寿園の菊まつり

2017-11-22 12:45:58 | Weblog

数年振りに訪ねた三島の楽寿園の菊まつりをご紹介します。今年のテーマは”箱根八里/菊の街道で結ぶ、小田原宿、箱根宿、三島宿”。

三島大社から水辺の文学碑の道を歩いて白滝公園に到着。そこから菊飾りに誘導されて、楽寿園の正門に。

菊まつり会場は正門の近くではなく、反対側の駅前門の辺り。小浜池沿いを歩き、会場へ。

楽寿館を望む小浜池

菊まつり会場に到着。箱根の関所をくぐる。

関所

関所を通れば宿場町。

菊街道をゆく。司馬遼太郎(笑)。

小田原宿へ。

先に見えるのは小田原城!

 

2017年のメイン飾りは小田原城。

帝王ダリア、十月桜そして紅葉も楽しめましたよ。

菊まつりをたっぷり楽しんで、駅前門から退場。門前の飾りが半端じゃない。

すばらしい、2017年、楽寿園の菊まつりでした。来年も是非。


 

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ぶらり三島はうなぎからはじまった

2017-11-22 09:58:23 | Weblog

おはようございます。

寒かったが、からりと晴れた秋空だったので、家内と三島へ出掛けた。大船から踊り子号に乗ると一時間足らずで着くので、もう何度も訪ねている。富士山の伏水流が三島で地上に現れ、それが街中を流れている街。それにおいしい鰻屋さんもある。旧東海道沿いのいつも行列が絶えない桜屋さん。11時開店の5分前に到着したが、早くも待ち人だらけ。でも、何とか第1グループに入れた。ぼくは二度目だが、家内ははじめて。

門前市をなす。待つ人々。 富士の白雪が解けて流れる源兵衛川沿い。清かな水でうなぎを三日間流してからしめるそうだ。

頂いた、蒲焼定食(三枚+料理1品)。プラス熱燗を頼む。安政3年の創業以来守りつづけた家伝の味。先代はそれを”かるみ”と表現したそうだ。


大満足して外に出る。お店の前は時の鐘と源兵衛川。

旧東海道を三島大社に向かって歩く。途中、メロンパン専門店があり、ここに寄り、家内が買ったパンが今朝の朝食となった(笑)

そして、旧東海道を早送りで(笑)、一気に三島大社に。

いちょうとさくらのもみじがそこそこ。

神鹿と神鶏にも会う。

そして、社を出て、水辺の文学碑の道を歩く。

井上靖の文学碑からはじまる。太宰治、若山牧水、司馬遼太郎など、三島ゆかりの文学者12名の文学碑が並ぶ。

そして水源の白滝公園に到着。

菊まつりが行われている楽寿園の正門は、このすぐ近くである。(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、たまにはメロンパンでも食べて、お元気で!

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