おはようございます。
祇園祭・前祭、その3でござりまする。
山鉾巡行・京町屋(7月17日)
御池通りの特設観覧席での山鉾巡行を1時間ほど見て、ぼくらは新町通りへ向かった。先ほど見たばかりの山鉾がこの通りにやって来るので、今度はそれを京町屋の二階から眺めようというのである。
新町通は、室町通と並ぶ祇園祭の有名山鉾町して知られる。通りには呉服商を中心とした商家が今も多数残り、前祭・後祭合わせて7つの山鉾を出している。平安の昔からの繁栄ぶりがうかがえる。三井財閥や三越のルーツもこの地にあるそうだ。
新町通りに到着。山鉾を迎える人々がいっぱい。
この吉田邸の二階で見学する。
二階でツアー客が山鉾を待つ。10分もしない内に、祇園会の旗を先頭に先導隊が現れる。
そして、毎年必ず先頭を行く長刀鉾が現れる!目前に鉾の鮮やかな前懸。ペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯。まさに”動く美術館”。
胴懸には中国玉取獅子図絨毯か。十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯(現在は復元品)が囲っている。
見送は雲龍波濤文様綴織。
目の前で山鉾を見られる”特等席”。
向いの京町屋は現在、三井ガーデンホテルになっている。部屋から見物されている家族も。
つづいて、白楽天山。唐冠を付けた人形が白楽天で、帽子をかぶった僧の人形が道林禅師。
大きな鉾が来たようだ。
函谷鉾だ。
ぜいたくをいえば、ここの観覧席では屋根が見えない。
四条傘鉾のような小さな鉾ならOK
また、大きな鉾がやってきた。鶏鉾だ。
見送は有名な毛綴で、近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。”動く美術館”。
菊水鉾 宵山で搭乗した鉾。ちまきも買った。ちょうど目の前で休憩してくれた。動く美術館が静止美術館に(笑)。
昭和の鉾として、装飾が年々充実しているとのこと。
伯牙山 胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい意匠である。
ここで、二階での山鉾見学を終え、新町通りに出る。すると右手に蟷螂山が見える。宵山で最初に出会ったのもこの蟷螂山。〆も蟷螂山とは。縁があるね。前回、記したように、薬や菓子で有名な”ういろう”を始めた外郎(ういろう)氏がつくったもの。外郎家はその後、小田原に移り、現在も家が存続している。さらに、付け加えると、享保年間、二代目市川団十郎が咳の病で舞台に立てずにいたが、うわさできいた”ういろう”を試したところ、全快し、再び舞台に立てるようになった。団十郎は、感激し、当時1泊行程の小田原までお礼に出向き、それが縁で、団十郎・自作の”外郎売”が上演されるようになった。歌舞伎18番の一つとなった。詳しくはここに。
蟷螂山(とうろうやま)
ズームでカマキリを捉える。ちょうど、立ち上がっていた。
こうして、酷暑の中の祇園祭2023がおわった。老夫婦そろって元気で楽しむことができ、”達成感”でいっぱい(笑)。
ぼくは定年退職後、全国のお祭りを巡っているが、この祇園祭は2007年が最初。そのときのぼくのブログ感想文。”ボクは、今回、祇園祭の宵山と山鉾巡行をはじめて見学したわけですが、何だか、とてもなつかしいような、尊いような気持ちが、胸いっぱいに拡がりました。きっと、貞観11年(869)に疫病の退散を祈願して始まり、その後、応仁の乱で中断した祭りを再開させ、その後1000年もの間、営々と引き継いできた京都町衆の悠久の魂が、ボクの心の中に入り込んで、ボクをカンドウさせているのだろう、と思いました。” 初心に帰って、2023年祇園祭の記録を終了いたしまする。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!
(コメント欄は再開します)