いつもお世話になっている『石見川本鉄道研究会』の掲示板で、今福線の遺構の画像が出てきました。今福線とは広島~浜田を結ぶ計画だった路線で、広島側は可部線として三段峡までが開通し、浜田側は戦前に下府(しもこう)から浜田市金城町今福まで建設が進んだ。戦争による中断後、鉄建公団の手により大幅な計画変更後、建設が再開されたが昭和55年に工事を中止し、現在ではその殆どの用地を浜田市に払い下げられた。
私がこの線の存在を知ったのは、昭和57年の『くにびき国体』開催を記念し山陰中央新報社から発刊された航空写真集『ふるさと紀行』『続ふるさと紀行』で、中学校の図書館で食い入るように見た記憶があります。
『校区外へ自転車で行ってはならない』の校則を破り(笑)、何度も通っては汽車が走るイメージを想い、いつしかカメラを持って撮影するようになりました。
今福線の紹介は、JTB刊『鉄道廃線跡を歩く5』で詳しくされており、またネット上でも詳しく調査されています。平成の初め頃まで下府川の河川改修と平行県道の整備により、橋脚等の遺構が一部撤去され、残った箇所も自然に還りつつあります。
そこで、河川改修以前の姿を私のアルバムから、5回に別けて紹介してゆきます。ちょっと長いシリーズになりますが、お付き合いください。なお、特記した画像以外は平成元年撮影です。
m35kobaxさまのご教示により、トンネル名を正式名称に変更しました。橋梁については便宜上、下府側から1号2号と呼びます。
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JR下府駅
下りホームの反対側が、今福線ホームとなる予定でした。
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下りホームより今福側を望む。
この切通しも、現在は木が生い茂り、その痕跡さえも消えつつあります。山陰線の列車に乗り、江津方面に向かい右側に築堤が見えます。これが旧路盤跡です。
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市道となった旧路盤(浜田市下府町上ノ浜) 平成6年撮影
山陰線から別れ、右に大きくカーブすると真直ぐ進みます。
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第1上府トンネル(浜田市上府町三重)
やがて、県道50号線と合流し路盤は宅地となりますが、直ぐに道が左に別れ短いトンネルが目に入ります。
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第2上府トンネル浜田側(浜田市上府町三重)
路盤は上府町の集落の裏手を通り、山間に入り第2上府トンネルへと続く。第1上府、第2上府トンネルとも抜け道として使用されていましたが、現在は崩落の危険があるためか、通行を禁止されています。
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第2上府トンネル今福側(浜田市上府町上條)
第2上府トンネルを抜けると、下府川に沿って山を迂回してきた県道を跨ぎます。以前は橋脚が残っておりましたが、河川改修により全て撤去され、その痕跡は残っておりません。
つづく
私がこの線の存在を知ったのは、昭和57年の『くにびき国体』開催を記念し山陰中央新報社から発刊された航空写真集『ふるさと紀行』『続ふるさと紀行』で、中学校の図書館で食い入るように見た記憶があります。
『校区外へ自転車で行ってはならない』の校則を破り(笑)、何度も通っては汽車が走るイメージを想い、いつしかカメラを持って撮影するようになりました。
今福線の紹介は、JTB刊『鉄道廃線跡を歩く5』で詳しくされており、またネット上でも詳しく調査されています。平成の初め頃まで下府川の河川改修と平行県道の整備により、橋脚等の遺構が一部撤去され、残った箇所も自然に還りつつあります。
そこで、河川改修以前の姿を私のアルバムから、5回に別けて紹介してゆきます。ちょっと長いシリーズになりますが、お付き合いください。なお、特記した画像以外は平成元年撮影です。
m35kobaxさまのご教示により、トンネル名を正式名称に変更しました。橋梁については便宜上、下府側から1号2号と呼びます。
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JR下府駅
下りホームの反対側が、今福線ホームとなる予定でした。
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下りホームより今福側を望む。
この切通しも、現在は木が生い茂り、その痕跡さえも消えつつあります。山陰線の列車に乗り、江津方面に向かい右側に築堤が見えます。これが旧路盤跡です。
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市道となった旧路盤(浜田市下府町上ノ浜) 平成6年撮影
山陰線から別れ、右に大きくカーブすると真直ぐ進みます。
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第1上府トンネル(浜田市上府町三重)
やがて、県道50号線と合流し路盤は宅地となりますが、直ぐに道が左に別れ短いトンネルが目に入ります。
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第2上府トンネル浜田側(浜田市上府町三重)
路盤は上府町の集落の裏手を通り、山間に入り第2上府トンネルへと続く。第1上府、第2上府トンネルとも抜け道として使用されていましたが、現在は崩落の危険があるためか、通行を禁止されています。
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第2上府トンネル今福側(浜田市上府町上條)
第2上府トンネルを抜けると、下府川に沿って山を迂回してきた県道を跨ぎます。以前は橋脚が残っておりましたが、河川改修により全て撤去され、その痕跡は残っておりません。
つづく