【tv】100分de名著「赤毛のアン」(第4回)
宝物は足もとにある!
1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。10月はルーシー・モード・モンゴメリ著「赤毛のアン」(Wikipedia)で、講師は脳科学者の茂木健一郎氏。今回はその4回目で最終回。
「赤毛のアン」シリーズは短編を除くと全8巻がモンゴメリの生前に刊行された。こんなに長く続ける予定だったのか? 当初構想にあったのは「赤毛のアン」だけ。単独作品として結末を読むと、ここで終わると考えると結末が感動的。結末の言葉が素晴らしい。
14歳になる頃転機が訪れる・・・
マリラはアンにクィーンズ学院に行って先生の免状を取りたくないかと尋ねる。アンにとっては夢ような話だが、お金がかかるのではと心配する。マシュウとマリラはアンを引き取った時、教育のことについては出来る限りのことをしようと決めたと話す。アンはクィーンズ学院への受験クラスに入る。そこにはギルバートもおり競争心を燃やす。入学試験の結果アンとギルバートは同点首位で合格する。アンはマシュウに喜びを伝える。自分は1番の1人なのだ。マシュウはお前が他の物をみんな楽々負かしてしまうのはわかっていたよと語る。
グリン・ゲイブルスを離れ、クィーンズ学院へ入学。大学入学のため奨学金獲得に向けて猛勉強する。文学士になったらマシュウがどんなに喜ぶか。野心を持つのは楽しいことだ。一つの野心を叶えると次の野心が輝く。
こんなにいろいろ野心があってうれしいわ。限りがないみたいだけど、そこがいいんだわ。
当時、女子が進学するのは珍しい。モンゴメリ自身が当時の女性としてかなり進歩的だった。女性はもっと活躍できるというメッセージがアンに込められている。孤児から優等生への物語に見えるが、そこがテーマではない。優等生の成長物語では終わらない。
伊集院光氏の感想:普通の子供向けの物語なら、みにくいアヒルの子が冒険をした結果、美しい白鳥になりましたとなるが、そういうことではない?
結末を読むとそんなことは言っていない。そこが一番気になるところ!
確かにみにくいアヒルの子が白鳥になりましたという分かりやすい着地点ではないかも。シリーズ中にアンは夢を叶えることになるけど、それは続編を書いたからであって、「赤毛のアン」として完結するつもりなのだとしたら、モンゴメリ的にこの結末でOKということだよね🤔
クィーンズ学院で大学に行くためのエイヴリー奨学金を獲得。希望に満ちた卒業式。金メダルはギルバート、エイヴリー奨学金はアンが獲得。卒業式にはマシュウとマリラも出席。この物語の一番幸せな日。その後、思いもかけないことが起きる・・・
卒業式で論文を読むアン。マシュウはあの子を育てて良かったとマリラに言う。マリラはそう思ったのは初めてじゃないと返す。3人は幸せな気持ちを抱きアヴォンリーへ帰る。翌朝、マシュウの具合いが悪そうなことに気づき、マリラに尋ねるアン。マリラは、マシュウが心臓発作を起こしたこと、マリラ自身も目が悪くなっていること、家のお金を預けている銀行が破産しそうなことを話してくれた。自分がいない間にグリン・ゲイブルスに変化があったことを知る。
その夕方、アンはマシュウに自分が男の子だったらいろいろ手伝えたのにと言うと、12人の男の子よりお前がいいとマシュウはアンの手をさする。エイヴリー奨学金を取ったのはわしの大切な娘じゃないか。アンはこの夜の銀のような美しさを一生覚えていた。翌朝、新聞を手にしたマシュウが倒れる。アベイ銀行倒産のニュースにショックを受け、心臓が止まってしまったのだった。
マシュウが遺した愛情
マシュウとマリラは独身の兄妹でアンも孤児。一般的な家庭ではない。だからこそ絆が結ばれる尊さを描きたかったのでは? 前夜のマシュウの言葉はアンにとって幸せの絶頂。本当の家族になった。
伊集院光氏の感想:あんなに照れ屋のマシュウが、アンを自分の娘だと言うのは感動的。
マシュウの死への反響・・・
マシュウは大人気キャラだったので、モンゴメリのもとには生かしておいて欲しかったという手紙が多数届いた。モンゴメリ自身、もう一度書き直すことがあれば、マシュウを5~6年は生きるようにすると自伝に書いているが、一方で「赤毛のアン」を書いた時には、マシュウの死が必要だと考えていた。
このくだりは自分も泣いた~😭 アンはずっと家族を求めていた。グリン・ゲイブルスに来た時、本当は男の子を欲しがっていたことを知ったわけで、そのことはその後もずっとアンの中にあったのだと思う。アンは心からマシュウの手助けをしたいと思っていただろうから、マシュウの男の子よりお前がいいという返答を引き出そうとして言ったわけではないでしょうけれど、結果マシュウのこの言葉を聞けて本当にうれしかったと思う。自分が大切に思っている人から、自分の娘だと言われるのは、自分の全てを認めて受け入れてくれたということだものね。そしてマシュウも本当にアンという自分の愛情を注げる存在を得てうれしかったんだと思う。マシュウにそういう幸せがあってよかった😌
マシュウが亡くならなければアメリカの大学などに行き、成功したかもしれないが、マシュウが亡くなったことによりアンは「人生で大事なことは?」と振り返り、結末につながっている。
伊集院光氏の感想:とんとん拍子にいいことが続いて終わると思ったが、マシュウもマリラも年老いて来たから孤児をもらうということで話が始まっていたし、経済的にシビアな事情が出て来て、そこに死の話がドンと来る。
アンがグリン・ゲイブルスに来た時はおとぎの国に見えたが、それを維持するためには仕事をしたり、経済的なことを考えたり大人の事情があった。アンの子供時代が終わろうとしている。
マリラ自身も目を悪くし、グリン・ゲイブルスを売ろうと考える・・・
マシュウが亡くなり自らも目を悪化したマリラは、グリン・ゲイブルスを手放す覚悟をする。アンは大学進学をやめ、グリン・ゲイブルスに残り教師になる決心をした。夢のあり方がかわった。クィーンを出た時、未来は真っ直ぐな道のように思えたが、曲がり角に来た。曲がった先は分からないけど一番よいものに違いないと思うと語る。
すごいと思った! 平凡な人生と夢や野心を叶えた人生は同じなんだと気づく。
伊集院光氏の感想:子供の頃や受験戦争中に読んでいたら、敗者の言い訳と思ったかもしれないが、これは夢が叶った人の話。
なるほどね。頭のいい人って本を読んでこういった所に気づきを見出すものなのね。自分なんてそうなのか~とボーッと通り過ぎてしまったよ😅 夢のあり方が変わったというセリフはいいね。これ原文ではどうなっているんだろう? 村岡花子さんの訳が素晴らしいという可能性もあるからね。どんな人生にも岐路が現れる。その時、選ばなかった道、選べなかった道に未練を残すか、選んだ道、選ばざるを得なかった道に希望を持って臨むかで、その後の人生も変わってくるよね。事実、その後のシリーズで夢を叶えているし。とはいえ、アンは最終的には普通の奥さんになってしまうのだけど。その辺りはやっぱり時代もあるのかもしれないけれど・・・
アンの出した結論は大学に行かず、マリラを助けること。大学進学を辞めたアンは教師になる。教職も得るが、それは本来ギルバートの仕事であった。ギルバートは自分に決まっていたアヴォンリー村での教職をアンに譲る。アンには一言も言わず理事会に掛けあい、アンがグリン・ゲイブルスから近い学校で働けるように身を引いた。
伊集院光氏の感想:物語に出て来る男前登場人物のなかで一番好き。
これを手柄にアンに好かれようと思っていない。アンと偶然あった時、ギルバートは黙って通り過ぎようとする。何も期待していない。
確かにこのギルバートはカッコイイ😍 最初に読んだ時はアンと同世代だったから、アン目線で見てしまい、やっぱりにんじん呼ばわりが許せない気持ちもあったけど、でもやっぱりギルバートと結ばれて欲しいと思いながら読んでいた。でも、ここまでカッコイイことに気づいていなかったかも。自分がモテない理由ってここに気づかなかったところにあるのかも😅
アヴォンリーに残ることが決まった翌日、マシュウのお墓に花を手向けに行った帰り道・・・
丘の途中で口笛を吹きながら歩いて来たギルバートと出会う。ギルバートは会釈して通り過ぎようとした。アンは手を差し出し、学校を譲ってくれたお礼を言う。ギルバートは手を熱心に握り、友達になろう、昔のことを許してほしいと言う。アンは、池の所で許していたけれど、自分はそれに気づかなかった。それをずっと後悔していたと話す。ギルバートは僕たちは一番の仲良しになるよう生まれついていると語る。
ギルバートとの和解
ギルバートとの初めてのまともな会話なのでは?
アンと口をきいていないが実は一番存在感があるのがギルバート。喉に刺さった魚の骨のように気になる。和解シーンに辿り着いた時、読者も幸せな気持ちにする。
最大の理解者だったマシュウを亡くしてギルバートと和解をする。マシュウはアンを初めて欠点も含めて受け入れてくれた人。ギルバートも最初からアンを受け入れている。マシュウの役割を受け継いでいる。
伊集院光氏の感想:親代わりから対象が同年代の異性になるのはアンが大人になるということ。
なるほど。最終的には自分で自分を受け入れることが大切だと思うけれど、やっぱり人って誰かに認められて自己肯定できる部分はあると思う。最初に自分を受け入れてくれるのは親であって、その役割をマシュウが担った。そして、思春期を迎え対象が異性に代わる。その役割をギルバートが担う。アンとギルバートは「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの愛情」と紆余曲折を経て、結婚するのだけど、その間もギルバートはずーーーーーーっとアンを思って待っているんだよね。ホント、ギルバート素敵な人だわ😍
赤毛も受け入れられるのでは?
アンの髪は成長するにつれて金褐色に変わっていったとあるが、ここをどうとらえるか?
伊集院光氏の感想:自分のコンプレックスが消化されたり、人がこの髪の毛を好きと言ってくれることを感じ取れるようになっただけで、赤毛のアンの赤毛に関しては何も変わっていないのでは?
アンは自分を受け入れられるようになると、髪の毛のことがあんなに気になったなんて、今思い出すと時々おかしくなると語る。個性を受け入れること、コンプレックスを自分らしさと受け入れると、かけがえのない個性となり、周りの人間にとっても魅力的な人になる。「みにくいアヒルの子」は自分の個性を受け入れられない人。自分の個性を受け入れられたら、どんな人でも「白鳥」になる。赤毛のアンから受けたメッセージ。最後のセリフが本当に感動的。
伊集院光氏の感想:コンプレックスのあった子が、素敵な人になりましただけでないバックボーンの描き込みに引かれた。今日、家に帰って最後のセリフを読める幸せを感じる。
アンの髪の毛が金褐色になっていたというのは確かに書いてあった。ダイアナからも赤毛はそんなに目立たなくなっていると言われていたし。でも、アンがコンプレックスを克服したのは、髪の色が変わったからではなくて、家族や友達が出来て、学校の成績も良く自分に自信が持てたので、髪の毛のことはどうでもよくなったということなのでしょう。そこも含めて自分であるという。そう考えると金褐色になる必要もないのかなと思ったりもするけれど🙄
アンの地平線はクィーンから帰って来た夜を境としてせばめられた。しかし、道がせばめられたとはいえ、アンは静かな幸福の花が、その道にずっと咲きみだれていることを知っていた。真剣な仕事と、りっぱな抱負と、厚い友情はアンのものだった。何もかもアンが生まれつきもっている空想と、夢の国を奪うことはできないのだった。そして道にはつねに曲がり角があるのだ。「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。
なるほど。こういう終わりだったのね😌 モンゴメリとしてもアンの決断は道が狭まったとは思っていたのか。でも、その道は間違いではないということだよね。何故、ここを落としどころにしたのか。女性の社会進出が難しかった時代、大学に進み文学士になる物語を書くこともできたでしょうけれど、そうではなくてどんな状況でも自分の足で立つことこそが幸せなのだということなのかな。
思ったよりも深いテーマが描かれていたんだね。これだけのベストセラーなのだから、浅い作品なわけはないよね。おそらく自分もきちんと言葉にはできていなかったかもしれないけれど、そういうテーマは感じ取っていたのだと思う。だからこそこの物語が好きだったし、アンのことが大好きだったのでしょう。もう一度読んでみようかな。シリーズ全部読み返したいけど8巻以上あるからな~😣
100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ
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