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『セヴィニェ夫人手紙抄』

2013-05-03 04:34:00 | ノンジャンル
 ヴィム・ヴェンダース監督の'08年作品『パレルモ・シューティング』をWOWOWシネマで見ました。時間と死の観念にとりつかれたドイツ人カメラマンがパレルモの町を放浪する物語で、デニス・ホッパーが死へのガイド役として出演し、幻想的な画面や様々な音楽が多用されていました。

 さて、どこかで「すごい文章」と紹介されていた、『セヴィニェ夫人手紙抄』を読みました。1667年5月から1672年1月の間に、主に娘のグリニャン夫人に当てて書いた手紙、全34通を収めた本で、1943年に岩波文庫で刊行されたものの復刻版です。
 訳者が「セヴィニェ夫人の傑作の1つ」と書いている1671年4月26日付けの手紙をそのまま引用すると、「けふは四月二十六日、日曜日。ですからこの手紙は水曜日でなければ出ません。でもこれは、手紙といつたものではなくて、モルイユが、あなたに知らせるために、シャンチイで起つたヴァテルの一件について、いま私に話してくれた見聞なのです。ヴァテルが劍で自殺したことは金曜日に書きました、以下はその事件の詳細です。王さまは木曜日の夕方にお着きになりました。御散策、黄水仙の織りなす錦のなかの御間餐、すべて願つてもない上首尾でした。晩餐になりました。思ひ掛けない數客の御食事があつたために、鳥の炙肉の足りない食卓がいくらか出來ました。それがヴァテルの胸をぐつと刺しました。彼は幾度も申しました『面目ない、どうしてもあはす顔がない。』グールヴィルに申しました、『頭がふらふらする、もう十二晩も眠らないんだ、どうか僕を助けて指圖をしてくれ給へ。』グールヴィルは出來るだけのことをして肩の荷を輕くしてやりました。足りなかったといふ炙肉も、王さまの御食卓ではなくて、二十五番の二三卓だつたのですが、そのことがどうしても頭から離れなかつたのです。グールヴィルはその旨を大公さまに申し上げました。大公さまはヴァテルの部屋までお越しになり、かう仰せられました、『ヴァテル、萬事上首尾だ、國王の御晩餐はあれほど立派なものはなかつた。』それにお答へして、『大殿さま、御親切かへつて胸のとゞめを刺すばかりでございます。何を申しましても炙肉は二卓足りなかつたのでございます。』――『いやいや、どうして』と大公さまは仰せられました、『心配するでない、萬事上首尾だ。』夜半になりました。花火は成功せず、煙に蔽はれてしまひました。一萬六千フランもかゝつたものなのです。明けて四時といふ朝まだきに、もうヴァテルは方々を檢分に出てゆきます、どこもかしこもまだ眠つてゐます。たつた一人出會した出入りの小商人、見れば活け魚を二荷しかもつて來てゐません。ヴァテルは訊ねます、『それで全部なのか?』――『はい、旦那さま。』この男、ヴァテルがあらゆる港へ手配してゐたことは知らなつたのです。ヴァテルはしばらく待ちます。他の出入り商人は一向にやつてきませんでした。ヴァテルは激昂してきました、この分では他の荷ははひるまいと思ひました。グールヴィルのところへ行つて申しました、『君、僕はもうこれ以上の恥辱には生きてゆけない。』グールヴィルはそんな彼を笑ひました。ヴァテルは自分の部屋に上り、劍の柄を扉に當て、切尖を心臓も通れと胸に突き刺します。しかしそれはやつと三突き目のことで、初めの二突きは致命傷とはならなかつたのです。彼はその場に倒れてこときれます。さうかうするうちに、活け魚の荷があちらからもこちらからも届きます。その割り當てにヴァテルを探して、人々は彼の部屋にまゐります。扉を叩き、それを打ち破ります。見れば血の海に溺れてゐるではありませんか。大公さまの許に人が走ります。大公さまは絶望の底にお沈みになりました。大公子さまは涙をお流しになりました。大公さまのブールゴーニュ御旅行は一切ヴァテルのうへにかゝつてゐたのでした。(後略)」
 フランス古典文学としても当時の書簡文学としても一級品とのことですが、至って普通の文章で、そこから「すごさ」を感じることはできませんでした。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto