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青木理『絞首刑』

2013-05-30 00:38:00 | ノンジャンル
 青木理さんの'12年作品『絞首刑』を読みました。死刑に関わる人々――執行にあたる人々はもちろん、死刑囚や被害者の遺族までを含む人々――の心中に渦巻いているだろう感情の深淵を、現場取材で多角的に、包括的に描いたノンフィクションです。
 この本で扱われている死刑囚は、1994年に大阪、愛知、岐阜の三府県にまたがって、当時18~19歳だった3人の少年を中心とする少年・少女グループが、わずか11日間の間に4人の男性に集団リンチを加え、次々に殺害してしまった事件(主犯格とされた3人の少年全てが死刑とされたが、少年事件をめぐって複数の被告に1度に死刑が言い渡されたのは戦後初。うち2人は劣悪な環境の中で育っていた)、覚醒剤を常用し、1981年に前妻の実家で前妻の義姉とその兄を殺害し、現場に居合わせた2人の少女にまで重傷を負わせた事件(自立歩行もままならない車椅子の障害者で、自身が犯した罪を悔悟して敬遠なクリスチャンになっていた75歳の死刑囚をクリスマスの日に死刑執行した。彼は幼い頃に同居していた男に連日のように激しい暴力を加えられていた)、保険金詐欺などを目的とし、1979年から1983年にかけて愛知県や京都府で計3人の男性を殺害した事件(この死刑囚は被害者遺族と不思議な交流をするようになり、ついには被害者の遺族側が「死刑を執行しないでほしい」とまで訴えるようになっていたが、死刑が執行された)、2003年8月、埼玉県熊谷市で風俗店店長の男性を刺殺し、それを目撃した女性まで拉致して1人を殺害、2人に重傷を負わせた事件(この死刑囚は「死刑とは反省の時間を与えないことを意味するのだから、自分が死刑を望む代わりに反省しない」と豪語した。裁判で検察の嘘が次々と認められていく中で、そうした心境になったと述べている。また「どんな理由があっても人を殺してはいけない」と言うのだから、権力だけが死刑という殺人を許されているのはおかしいとも主張)、1992年2月に7歳の女児2人の遺体が見つかった事件(当時の不完全なDNA鑑定だけを証拠に有罪となり、冤罪を訴え続けたにもかかわらず処刑されていまった)。
 この本を読んで新たに知ったことは、死刑執行に関わる刑務官の選抜に関しては、拘置所長が幹部だけが持つ特殊な職員名簿を開き、当日が誕生日にあたる者や妻が出産を控えている者、あるいは近親者が重い病を患っていたり、親族の喪中である者などを除外し、最終的に10人ほどのメンバーを慎重に選ぶこと、「死刑は検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立ち合いの上、これを執行しなければならない」と法で定められていること、立ち合い検事は大抵の場合、高検に所属する検事が当たること、死刑執行の階下の部屋には、受刑者の身体が落下の反動で跳ね上がり、上下左右に大きくバウンドすることを防ぐため、受刑者の身体を受け止める役の刑務官がいること、死刑囚が落下してから最終的に心臓が停止するまでの「平均時間」はおおよそ13~15分であること、死んだ受刑者の身体をきれいに湯灌し、白装束を着せ、白木の寝棺に納めるのも刑務官の役目であること、死刑執行に携わった刑務官には、わずかだが特別の手当てが支払われること、拘置所で1回の面会で会うことができるのは1人だけであること、したがって続けて2人目の収容者と会おうとすれば、いったん拘置所の外に出て、面倒な検査を再びいちから受け直さねばならないこと、面会は1回に15分しか許されないこと、死刑確定から執行までの平均は約6年程度であること、拘置所に収容されている刑事被告人は、原則として1日に1回、1組の面会しか許されていないこと、被疑事実を否認している被疑者の場合は起訴後も検察が接見禁止を申し立て、面会などまったく許されないケースが圧倒的なこと、しかも拘置所が面会に与える規則には法的な根拠がないこと、最近凶悪事件は減っているにもかかわらず死刑判決が増えていることなどでした。
 「生い立ちなんて言い訳にならない。もっと大変な生い立ちの子でも、真っすぐに生きている子はたくさんいる」という被害者遺族の主張にも一理あると思いながらも、「犯罪の被害者遺族は同情の声はかけてもらえるが、本当の意味での救いの手を差し伸べられることはなく、周囲の人は加害者を崖から突き落とすことに夢中になっているだけだ」の述べる被害者遺族に、より説得力を感じました。改めて死刑に反対する意を強くしてくれた本でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto