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大島渚監督『日本の夜と霧』その1

2013-05-27 05:37:00 | ノンジャンル
 昨日、河口湖円形ホールへ「中村由利子with木住野佳子 Piano Picnic」と題されたコンサートを母と聞きに行きました。それぞれのソロの演奏もありましたが、それ以外の11曲は連弾でした。演奏の見事さは言うまでもありませんが、総勢40名余りのアットホームな会場で、お二人の人柄が直接私たちに届いて、心暖まるコンサートになっていました。詳細はFACEBOOKの方をご覧ください。

 さて、大島渚監督・共同脚本の'60年作品『日本の夜と霧』をスカパーの日本映画専門チャンネルで再見しました。
 安保闘争を闘ってきた同志の野沢(渡辺文雄)とレイコ(桑野みゆき)の結婚式。野沢の恩師で仲人の教授(芥川比呂志)が祝辞を述べています。
 場面は2人が知り合う前の60年安保直前の時代。安保闘争の哲学部門を担当する坂巻(佐藤慶)は戸浦(戸浦六宏)と、闘争を指導してきた党の代表である中山と野沢が、武装闘争を止めて平和運動にという党の方針転換後、急に低姿勢になり、女子大生と歌を歌い、フォークダンスを踊るようになったことについて、あれがマルクス主義とどう関係しているんだ?、と言って彼らを腐します。1年前に破防法反対の火炎瓶闘争をしていた時には、中山たちから自分は日和見主義者だと糾弾されてたのに、と苦笑する戸浦。朝鮮戦争休戦により、全て話し合いで解決する時代になったのだと中山たちは主張し、女子大生とのフォークダンスに哲学部門の学生らを誘います。こういう時代だからこそ研究しているのだと答える坂巻。中山らは坂巻と戸浦をダンスに誘うことをあきらめ、彼らが気分的に孤立しなけりゃいいけど、と言って立ち去ります。一緒に歌ってるうちに統一と団結が生まれ、大衆的な感覚を身につけることもできると言う中山。そして学生運動も革命も一歩も進まないと言って彼に付いて行く哲学部の学生たち。一人残った坂巻は「俺は党員なので、間違っていると思っても口にできない」と戸浦に語ります。焚き火を囲んで女子大生らと歌って踊る中山と野沢たち。
 野沢とレイコの結婚式に場面が戻ると、そこへ結婚式を祝いに来たと言って、安保闘争で逮捕状が出ている太田(津川雅彦)が乱入してきます。6月15日の国会前の安保闘争の責任を自分はまだ問われていると言う太田。太田は今日もデモに行ってきたが、参加者は500人ほどで、安保の時の100分の1になってしまったと嘆きます。そして安保闘争で結ばれた野沢とレイコのそもそもの馴れ初め話をしたいと太田は言い出します。
 画面は暗転し、'60年6月15日の夜。「女性学生が1人死んだ!」という声が飛び交います。「黙祷を」「記者の方たちも帽子を取って」「記者の方たちは帽子を取ってくれた。心ある警官も鉄かぶとを取れ! 取れ!」というマイクの声。やがてそれは参加者たち全員のシュプレヒコールとなります。「心ある者だけで黙祷!」の声。教授も黙祷し、レイコは涙します。黙祷が終わり、歌われる革命歌。レイコと北見はケガをして太田らに担がれ、車に乗って病院へ向かいます。「犠牲者が出たということは、党の方針に誤りがあったのでは?」と言う太田は、分裂主義者だと中山に批判されます。結局国会では安保が承認されたと病院のベッドの上で聞いたレイコは、闘争現場で知り合った記者の野沢の見舞いを受け、花を贈られます。
 6月15日から日が経ち、中山と野沢は保守化し、レイコもデモに参加しなくなったと語る太田。北見は病院から姿を消したまま、消息が知れません。結婚式でレイコは「北見はただの友人」と答えますが、太田は「それでいいのか? 北見をデモに引っ張り出したのはあなただろう?」と言います。あの時のことを忘れてしまおうとしている者を許せないと語る太田。中山らは「自分が一握りの前衛だという太田の考えに問題がある」と言います。そこへ「高尾が現れた!」と叫ぶ野沢。「地獄からの使い手だ」と言う声。太田が「仲間が1人いなくなっているのに、家庭に逃げ込んでいいのか?」と言うと、そこには高尾ではなく、宅見が現れます。彼は「俺は忘れなかった。中山、ミサコ(小山明子)、野沢、3人を八つ裂きにしてやりたい!」と叫びます。坂巻も「戸浦も俺も6月15日を境に人間の見方が変わった」と言うと、戸浦は「今こそ仮面を引き剥がして、真の祝いの場に」と言います。(明日へ続きます‥‥)

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