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高橋秀実『損したくないニッポン人』その3

2018-02-20 05:13:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・「━━ヘッジとは、具体的に何をどうするのでしょうか?
 恥ずかしながらたずねると、彼はおもむろにメモを取り出し、線グラフを描いた。ゼロからいったん上に上がり、そこから下がってゼロを超えてマイナスになり、再び上昇してゼロに戻る、という曲線だ。
『例えば、こういう値動きをする商品があったとします。これを買う場合には、これと同じ値動きをする商品を売ればいいんです。つまり反対のことをしてリスクを打ち消す。ヘッジとは「相殺する」と考えていいと思います』」

・「外資系金融機関の宮本さんによれば、日本でデリバティブを理解できる人は実はほとんどいないらしい。アメリカなどでは現役の金融マンが講師として大学で教え、教え子が金融機関で活躍するという流れができているが、日本にはない。日本の銀行員などはアメリカの大学に留学してMBAを取得しても帰国後は国内の支店長になったりするので、デリバティブの知識もほとんど更新されないそうなのである」

・「実際、(日本銀行の)本館内には厳粛な空気が漂っていた。赤絨毯が敷かれた広い廊下。見上げていると目が回りそうな高い天井。イギリスから取り寄せたという階段は手すりに細工が施され、段差も低い。見学コースはまるで神社の社殿の中を歩くようで、地下に降りていくと、厚さ90cm、重さ15tの扉を持つ『地下金庫』が目前に現われた。
 御神体ということか。
 私はしばし呆然とした。キラキラと輝く扉が鏡に見えたのである」

・「「日本銀行は政府から独立した認可法人(資本金1億円のうち政府が55%を出資)。同行が国立印刷局に日本銀行券の印刷・製造を発注している。平成24(2012)年度には1万円券を10億5000万枚、5000円券は2億3000万枚、1000円券は18億7000万枚、合計31億5000万枚を発注したそうである」

・「世の中に出回っている券は81兆円分(2009年末現在)」

・「券の平均寿命は1万円券で4~5年、5000円券と1000円券は1~2年ほどらしい。寿命は意外に短く、だから毎年製造しなければならないのである」

・「券の製造原価は1枚当たり16円~18円ほどとのこと。製造枚数によってコストは違ってくるそうだが、いずれにしても20円には満たないそうだ」

・「銀行券は『無意味な権利』らしいのだ。かつて日本銀行券は『日本銀行兌換券(だかんけん)』と呼ばれていた。券を窓口に持っていけば、金貨に換えてくれていたのだが、昭和17(1942)年にその制度は廃止された。それまでは金貨との引換券だったものが、ただの券になってしまったのである」

・「(前略)参考までに日本銀行券の強制通用力は『無制限』だが、硬貨の場合は『額面価格の二十倍までを限り』(中略)とされている。つまりお小銭で払う場合、同じ種類の硬貨は20枚を超えると債権者が拒否できるというわけだ」

・「7世紀後半に日本で最初に鋳造されたという『富本銭(ふほんせん)』、708年に中国のマネをして発行された『和同開珎(わどうかいちん)』、その後、朝廷は(中略)いわゆる『皇朝十二銭』と呼ばれる貨幣を次々と発行したという。(中略)
『ご覧いただければわかると思いますが、皇朝十二銭は時代が進むとどんどんみすぼらしくなっていきます。やがて朝廷は貨幣をつくるのをやめてしまいました。そして日本は物々交換に逆戻りしました。以後江戸時代までの500~600年間、日本は政府が貨幣をつくらない時代に入っていきます』」

・「しかし平安時代の末期になると、農業生産が拡大し、手工業(織物・鍛冶等)が発達して交換需要が高まる。そこで盛んに使われるようになったのが中国から流入した『宋銭』らしい」

・「幕府は貨幣発行益を守るために貨幣を悪鋳、濫発してインフレを繰り返した」

・「明治政府になっても、幕府の金貨・銀貨や藩札(藩が発行していた紙幣)がそのまま使われ、政府も『貨幣司二分金』などと称する新たな貨幣やそれと交換できる紙幣『太政官札』を発行したために、それらの貨幣の交換比率が複雑になり、さらにはニセガネが横行して混乱を極めたらしい。そこで政府は明治4(1871)年に金1.5g=1円とする新貨条例を制定。竜の絵柄が刻印された『20円金貨』などを発行した。これらはすでに発行されていた紙幣(太政官札)と交換できるはずだったのだが、政府は金銀が不足しており、紙幣を回収するためにドイツに印刷を委託して新紙幣の『明治通宝札』を発行。しかし(中略)偽造も多発した。そしてアメリカのナショナルバンクにならって国立銀行を設立し、国立銀行がアメリカの印刷会社に委託してナショナルバンクそっくりの紙幣を発行する。
 その一方、政府自体も明治14(1881)年に『神功皇后札』を発行。(中略)これらも濫発によるインフレを免れず、貨幣の価値を安定させるために明治15(1882)年に日本銀行設立。3年後から1円銀貨と交換できる日本銀行兌換銀券『大黒札』などが発行された」(また明日へ続きます……)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)