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高橋秀実『損したくないニッポン人』その4

2018-02-21 05:02:00 | ノンジャンル
 ロン・ハワード編集の’16年作品『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK ━ The Touring Years』をWOWOWシネマで見ました。ビートルズとしての活動の全貌を、当時のフィルムや様々な人へのインタビューで綴ったもので、ポールとジョンが二人とも母を幼いころに亡くしたこと、ビートルズが公民権運動と行動をともにし、自分達のコンサートへの人種別のベンチ指定を解除させたことなど、初めて知ったことがありました。

 さて、また昨日の続きです。

・「そして昭和に入り、イギリスが金本位制度を離脱したことを受けて、昭和6(1931)年に日本も金貨との兌換を停止し、やがて今日の『銀行券は銀行券でしかない』という管理通貨制度に移行したというわけである」

・「『日本人はおカネにうぶなんです』
━━うぶなんですか?
『だって、家計に貨幣が入ってきたのは1960年代以降ですよ。1960年まで日本は80%以上が農民だったんですから。まだ貨幣を扱いなれていないんです』
縄文時代まで考慮に入れれば、日本人が鋳造貨幣を使い始めたのもつい最近のことといえる」

・「『でも、うぶだから貨幣の本質をそのまま感じやすい。貨幣本来の特徴に忠実なんです。結婚式の御祝儀にケガレのないピン札を用意したりしますからね』
日本人にとって貨幣は経済的機能と宗教的機能が未分化の状態らしい」

・「『(富山では)間に合わんやつは、みんな売薬に行きました』
30年前に売薬行商に出かけたという寺田善治さん(78歳)が語った。当時は3軒に1軒が売薬にかかわっていたらしい」

・「親鸞の教えは『他力本願』、つまり南無阿弥陀仏と唱えて阿弥陀如来に身を任せよということである」

・「横浜中華街は横浜開港(安政6〈1859〉年)とともに生まれた中国人の町だ。当時、欧米の商社が次々と横浜に進出したのだが、言葉が通じず、その仲介役(『買弁(ばいべん)』と呼ばれる)として中国人たちが活躍した。漢字を使って日本人とコミュニケーションを図ったのだ。やがて彼らは当地に住み着き、大工、塗装業、印刷、家具製作、クリーニング業など様々な商売を展開する。今日のような一大レストラン街に生まれ変わったのは第二次世界大戦後のこと。横浜中華街発展会協同組合理事長の林兼正さんによると、『まず、戦勝国であることを武器に、食料のない時代に日本人相手に料理を売った』(中略)ことがその始まりらしい。米軍からの横流しや密輸品などを扱っていたので、『もちろん、違反であるが、当時の日本の警察は、戦勝国の人々がすることには目をつぶるしかなかった』そうで、敗戦国の弱みにつけこむように日本人向けの中華料理を次々と考案し、やがて横浜の顔というべき観光名所に成長を遂げたのである」

・「━━それで、損の裏卦はどうなるんでしょうか?
 すると教授は『損』をひっくり返した。現れたのは『咸(かん)(中略)』。『咸』とは『感』のことですなわち感じること。彼によれば『相手への共感』。そして共感から生まれる『なさねばならぬという心意気』を意味する。『易経』には『男は女に下る』とあり、女性上位にすれば『天地感じて万物化生し、聖人人心を感ぜしめて、天下和平なり』と念を押す卦なのである」

・「『女性が離婚を申し立てたら、もうダメです』
 はっきりと断言したのは東京弁護士会所属の荘司雅彦さんだ。彼はこれまで数百件の離婚訴訟を手がけてきたが、女性が申し立てを取り下げた例はわずか1件だという。その女性は結婚生活に戻ったそうだが、2年後に離婚したらしい」

・「いつの間にこうなってしまったのだろおうか。統計を辿ってみると、明治時代は今より離婚が盛んだったらしい」

・「『今日は何年の何月何日?』
 そう訊かれて、すぐに答えられる人はお金が貯まるのだという。そうでない人はお金が貯まらないということで、私などはその典型である」

・「経済学というと公的なものと思われがちですが、このたびは私事としての経済学を提唱したつもりです。『あなたこそ、この「わからなさ」がわかっていない』と切り返して情報の対称性を確保する所存です。読者の皆様には「損したくない」「貧乏くさい」を追究したひとつの思考実験だと思っていただければ幸いです」

 あっという間に読める本でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)