激動の世界、日本外交の転換を
新春インタビュー 志位委員長大いに語る
聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長 上
アメリカとアジア――二つの国際会議に参加して
小木曽陽司・赤旗編集局長 あけましておめでとうございます。
志位和夫委員長 おめでとうございます。
小木曽 委員長は昨年5月、党首として初めて米国を訪問し、NPT(核不拡散条約)再検討会議に出席し、米国政府と会談しました。 12月にはカンボジアのプノンペンで開かれた第6回アジア政党国際会議(ICAPP)にも出席しました。アメリカとアジアという二つの大陸で開かれた、二 つの国際会議に参加するというのは、あまりないことですね。そこで、今年の新春インタビューは、「激動の世界と日本外交のあり方」というテーマでお聞きし たい。一連の外交活動を通じて、どんなことを感じられたのでしょうか。
志位 私たちは昨年、多面的な外交活動をおこないましたが、共通して実感した点が3点ほどあります。
第一は、世界の構造変化という問題です。いまの世界を動かしているのは一握りの「大国」ではない。20世紀後半に独立をかちとった多くの途上国、新興国が、自主独立の立場で、生き生きと大きな役割を発揮し、世界政治の主人公となっている。その姿を目の当たりにしました。
第二は、私たちは21世紀を「戦争のない世界」が現実のものになりうる世紀だと考えているのですが、平和の流れが滔々(とうとう)と広がっている ことです。ニューヨークの国連本部でのNPT再検討会議も、ICAPP総会も、「核兵器のない世界」にむけて重要な前進を記録した会議になりました。ま た、紛争があっても外交的・平和的に解決する流れが世界の本流だと強く実感させるものでした。
第三は、いわゆる歴史問題――日本軍国主義による侵略戦争や植民地支配に対する反省の欠如という問題が日本外交にいろいろな形で影を落としている ことです。昨年はとくに、尖閣諸島や千島問題など領土問題にかかわって、そのことを強く感じました。過去の過ちへの反省があってこそ、問題解決の道筋がき ちんと開けることを痛感しました。
そして、私たちの綱領の立場が、世界の構造変化、平和の流れ、歴史問題という三つの問題で、世界の激動と大きくかみ合っている。綱領の立場は、世界にもアジアにも通じる。これが総括的な実感です。
小木曽 なるほど。いまお話しいただいたこととのかかわりで、日本外交の問題点について、どうごらんになっていますか。
志位 まさに、いまお話しした三つの点で、日本外交の深い病根を感じます。
世界の構造変化が目に入らない。アメリカしか目に入らず、アメリカいいなりでいればよいという外交のあり方は、民主党政権になってもまったく変わりません。
何か事が起こると軍事で対応する「軍事偏重主義」も変わらずです。憲法9条を持つ国、唯一の被爆国なのに、平和の外交戦略を持っていない。
過去の日本の侵略戦争や植民地支配に対する反省の欠如という問題が、新しい政権にも引き継がれています。
この「三つの病根」ともいうべき問題がさまざまな形で絡み合って、日本は外交的にも存在感のない国になってしまっている。国民の外交への信頼も地に落ちている。日本外交は、いま、大本からの転換が求められていると思います。
世界の構造変化
「核兵器のない世界」――途上国・新興国、「市民社会」が大きな役割
小木曽 まず、委員長が目のあたりにされた世界の構造変化とは、どのようなものだったのか。NPT再検討会議への参加の話からうかがいます。
志位 この会議では、私たちは、「核兵器廃絶のための国際交渉の開始」を求める要請文をつくって、各国政府に働きかけました。
そのなかで非常に強い印象を受けたのは、この国際会議成功のために重要な役割を果たしていたのが、途上国や新興国だったということです。議長のカ バクチュランさんはフィリピンの国連大使です。核軍縮を扱う第1委員会委員長のシディヤウシクさんはジンバブエの国連大使です。国連軍縮担当上級代表の ドゥアルテさんはブラジル出身の外交官です。私は、これらの方々と会談しましたが、どなたからも、会議成功にかける情熱と気概をひしひしと感じ、とても感 動しました。
とくに非同盟諸国の積極的役割は目を見張るものでした。会議の初日、議長、国連事務総長の次に発言したのは、非同盟諸国を代表としてのインドネシ アのナタレガワ外相でした。「自国の核兵器を完全廃絶するとの核兵器国の明確な約束を再確認すべきだ」「核抑止論は平和をもたらさず、核廃絶にむけた妨害 になるだけだ」「核兵器禁止条約の検討は、この会議が採択する行動計画の不可欠の一部になるべきだ」――理路整然、格調も重みもある、会議の主題をズバリ 明らかにする素晴らしいスピーチでした。
小木曽 キューバの代表が、日本共産党の要請文を非同盟諸国に紹介してくれたという報告もありましたね。
志位 これはうれしかったですね(笑い)。キューバのベルソン次席国連大使との会談で意気投合し、キューバは私たちの要請文を非同 盟諸国すべてに紹介してくれたのです。非同盟諸国はいま118カ国で、189カ国が参加しているNPT再検討会議の3分の2を占めています。この巨大な潮 流との響きあいは、とりわけ印象深いものでした。
小木曽 NPT再検討会議では日本原水協をはじめ、各国の反核平和運動が大きな力を発揮したと聞いています。
志位 その通りです。日本からの691万の署名を、カバクチュラン議長が受け取り、開会総会のオープニングスピーチで「私たちは市 民社会の熱意にこたえなければなりません」と演説する。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長がNGO(非政府組織)の集会で、「政府を動かすためにはみな さんの力が必要です」と訴えかける。
NPT再検討会議の「最終文書」には、「核兵器のない世界の達成に関する諸政府や市民社会からの新しい提案およびイニシアチブに注目する」と明記 されました。「最終文書」に「市民社会」という言葉が入ったのは初めてとのことです。「市民社会」とは、被爆者の方々を先頭とする日本の反核平和運動な ど、世界の反核平和運動のことですが、そのパワーが「諸政府」とならんで注目される時代になっている。
途上国、新興国を含めた世界のすべての国々が世界政治の主人公になる新しい時代が到来した。さらに、政府だけではなく「市民社会」――世界諸国民の世論と運動が国際政治を直接動かす時代が到来した。ほんとうに心が躍ります。
小木曽 日本での一筆一筆の署名が、じかに世界政治とつながっている。とてもわくわくしてきますね。
アジア政党国際会議――世界の構造変化を象徴
小木曽 カンボジアでのアジア政党国際会議(ICAPP)はどうだったのでしょうか。
志位 この国際会議は2000年から始まって10周年、プノンペンの総会は第6回総会でした。私は、ICAPPという国際会議の存在と発展それ自体が、世界の構造変化を象徴していると思うのです。
20世紀初頭のアジアは、列強による植民地支配で覆われた大陸でした。第2次世界大戦後、そのアジアから植民地体制の崩壊と、独立の波がおこりま す。その波が1960年代にはアフリカにまで及び、植民地体制が完全に瓦解(がかい)する。世界の構造変化はアジアからスタートしたのです。しかし、すぐ に平和が訪れたわけではなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、分断と敵対の舞台にされるという苦難も続きました。
そういう大陸で、ICAPPという、与野党を問わずすべての政党が参加する国際会議が生まれ、発展してきた。この会議は特定の政治的立場に立たな いことを原則にしている会議なのですが、毎回の総会「宣言」には、平和と進歩をめざす充実した内容が盛り込まれます。そしてその主催国を見ると、フィリピ ン・マニラ(第1回)、タイ・バンコク(第2回)、中国・北京(第3回)、韓国・ソウル(第4回)、カザフスタン・アスタナ(第5回)、カンボジア・プノ ンペン(第6回)と、韓国をのぞけば、途上国・新興国がホスト国となって、国をあげて成功のために力をつくす。こうして、この国際会議の発展の足取りその もののなかに、世界の構造変化がきざみこまれています。
小木曽 日本共産党は連続して参加していますね。
志位 はい。第2回のバンコク総会いらい「皆勤」です(笑い)。私たちは、1999年にそれまでの外交方針を発展させ、野党外交の 方針を決めました。すなわち、共産党間の交流ということにとどまらず、相手が保守であれ革新であれ、与党であれ野党であれ、交流の意思がある政党、政府と は大いに交流をおこない、一致点で協力するという方針の発展をおこないました。与野党問わずアジアの政党が一堂に会するICAPPという会議は、私たちの 野党外交の方針とも実にピタッとマッチする会議なんです。
小木曽 「皆勤」の理由がよくわかりました。(笑い)
カンボジア――悲劇をのりこえ、明るく前進する姿
小木曽 カンボジアの印象はいかがでしたか。
志位 カンボジアは途上国の中でも後発といわれる国ですが、ホスト国としての心のこもった歓迎ぶりは、見事なものでした。とくに 600人もの若いみなさんがボランティアとして、出迎えから宿舎の案内、見送りまで懇切に対応してくれる。若いみなさんの目が輝き、元気いっぱいなのが、 とてもうれしかったですね。
カンボジアというと、ポル・ポト派による大虐殺を思い起こす方が多いと思います。300万人もの人々が殺され、いまなお傷痕は生々しいものがあり ます。そういう甚大な犠牲をこうむりながらポト派支配を打破したのが1979年です。その後、内戦を終結させ、民族の和解をかちとり、東南アジア諸国連合 (ASEAN)の一員となって、発展と繁栄の道の第一歩を踏み出した。そのプロセスにはたいへんな苦労があったと思います。悲劇を乗り越え、明るく前進す る姿を見た思いでした。
小木曽 カンボジアの連立政権を構成している二つの与党――人民党、フンシンペック党とも会談をされていますね。
志位 人民党は、フン・セン首相、ソク・アン副首相とあいさつを交わし、サイ・チュム幹事長とまとまった会談をおこないました。フ ンシンペック党は、カエウ党首との会談をおこないました。どちらの党とも関係発展で一致し、核兵器問題やアジアの平和の問題での協力が確認された、充実し た会談となりました。
カンボジアは1993年に新憲法をつくっているのですが、それを読むと「永世中立、非同盟」「平和共存」「不可侵、内政不干渉、紛争の平和的解決」「軍事同盟、軍事協定への不加入」「核兵器の絶対的禁止」などが明記されています。
小木曽 憲法でそこまで書いているのですか。
志位 ええ。外部からの干渉もあって民族同士の殺し合いという悲劇をまねいた。それを二度と繰り返さない。憲法の内容に、新しい国づくりへの強い決意を感じ、「これらは私たち日本共産党のめざす方向とも一致しています」と話しますと、話がはずむという会談になりました。
日本共産党とカンボジア人民党との関係は、1979年に救国民族統一戦線がポト派を打倒した最初のときから、ポト派の復権阻止、外部からの干渉反 対、カンボジアの主権と民族自決権の擁護という立場で連帯してきた歴史があります。人民党との間で、新たな関係発展で合意したことも重要でした。
新しい世界で、どういう国際関係をつくっていくか
小木曽 そういう新しい世界にあって、どういう国際関係をつくっていくか。これは大事なテーマですね。
志位 ええ。私は三つほど大事な点があると思っています。
一つは、国連憲章にもとづく平和秩序を打ち立てる、国連憲章を侵犯する無法な戦争は誰であれ許さないという立場で連帯していく。平和の問題では、 かつては「反帝国主義」が連帯の旗印だったのですが、いまは「国連憲章を守ろう」、「核兵器のない世界を」などの旗印で、世界の圧倒的多数が共同できる新 たな条件が生まれています。
二つ目に、経済関係でも、世界の構造変化のもとで、それに即した新しい国際経済秩序が必要になってきていると思います。OECD(経済協力開発機 構)の「世界開発の展望2010 富の移動」という報告書を見ますと、世界のGDP(国内総生産)に占めるOECD加盟国=先進国と、非加盟国=途上国・ 新興国の比率は、2000年は先進国60対途上国40でした。それが、2010年は51対49と半々になっている。2030年の予測は43対57で完全に 逆転する。これをOECDの報告書自身が「歴史的重要性をもつ構造変化だ」といっています。
ところが世界の経済システムは、IMF(国際通貨基金)であったり、世界銀行であったり、一握りの先進国、とくにアメリカが握るようなシステムが つづいている。経済の実力が変化しているのに、世界の経済システムは古いままになっている。世界の変化に即した新しい民主的な経済システムが必要になって います。
三つ目は、多くの途上国・新興国が、世界政治の主人公となるもとで、異なる価値観、異なる文明、異なる体制の共存という問題が、いよいよ大切に なっていることです。それぞれの国には、それぞれの発展の独自のプロセスがあります。それを相互に尊重しあう。外から特定のモデルを押し付けない。異なる 価値観、文明、体制の相互理解と共存が、世界政治の大きな課題となっていることを、痛感します。
米国にモノ言えぬ外交から、自主自立の平和外交への転換を
小木曽 いまお話しいただいた世界の構造変化は、残念ながら、日本の新聞やテレビを見ているだけではよくわかりませんね。「しんぶん赤旗」は別ですけれども(笑い)。民主党政権もそういう変化に関心がないというか、まったく見えていない気がします。
志位 そうですね。日本外交には、世界で起こっている生き生きとした構造変化が視野に入ってこない。見ているのはアメリカばかりで す。たとえば核兵器の問題でも、「核兵器のない世界」をめざす流れがとうとうと広がっているのに、相変わらずアメリカの「核の傘」にしがみつき、「核抑止 力」という呪縛から逃れられない。沖縄の普天間基地問題に象徴されるように、アメリカの横暴な支配に対しては、まったくモノがいえない。いま世界では、国 の大小にかかわらず、どの国もアメリカとの関係で堂々と自己主張をするようになっているときに、まったくその姿勢がないというのは、情けないかぎりです。 憲法9条を生かした自主自立の平和外交への転換を、私たちは強く求めたい。
小木曽 沖縄の基地問題では、沖縄を訪れた首相が辺野古(へのこ)への新基地建設が「ベター」だといって、激しい怒りをかいました。
志位 沖縄県の仲井真知事は「バッド」だと言い切りましたね。美ら海(ちゅらうみ)に新基地をつくることのどこが「ベター」か。
私は、昨年5月、訪米したさいに、米国政府・国務省と会談して、沖縄の情勢は、「ポイント・オブ・ノー・リターン」(引き返し不能点)をこえている、普天間問題の解決のためには無条件撤去しか道はないと話しました。
昨年11月の県知事選挙で、私たちも推した伊波洋一さん(前宜野湾市長)は大健闘しながら当選はできませんでした。しかし、県民のたたかいが相手 候補の態度を変えさせた。仲井真氏は、知事選直前の9月に、「条件付き県内移設容認」を転換し、「県外移設」を公約とした。伊波さんは当選はできなかった が、中身では沖縄県民は立派に勝利したと思います。だから、新知事も「バッド」ということになるわけです。県知事選挙は、沖縄の情勢が「ポイント・オブ・ ノー・リターン」をこえたことを、はっきり示しました。
小木曽 地元紙は「説得すべきは米国政府だ」と社説で書きました。
志位 その通りですよ。辺野古「移設」はもはや不可能です。日米合意を白紙に戻し、無条件返還を求めて米国と本腰の交渉をせよ。そ の声を、沖縄県民の声だけでなく、日本国民全体の声にする年にするために頑張りたい。さらに、この問題の根本にある日米安保条約を未来永劫(えいごう)つ づけていいのか。その是非を国民に大きく問いかけ、「時代遅れの軍事同盟は解消し、日米友好条約を結び、対等・平等・友好の日米関係を」という声を広げる 年にしていくために力をつくしたいと決意しています。