全羅道山中の古墳から倭人の木櫛と阿羅伽耶車輪が出土したわけ
湖南圏最大の伽耶古墳、南原清渓古墳
咸安阿羅伽耶特有の車輪土器が初出土
倭系の木櫛も湖南の伽古墳で初
伽耶小国、中国、倭などと活発な交流を立証
湖南東部の「グローバル伽耶文化」の跡が姿現す
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1600~1500年前に全羅道東部の山間地帯に住んでいた伽耶人たちはそれなりに世界人だった。当代の他の伽耶小国はもちろん、中国や倭の交易品まで輸入し、グローバルな生活文化を享受していたことが明らかになった。
国立羅州(ナジュ)文化財研究所は、今年5月から先月にかけて発掘調査した全羅北道南原市阿英面(ナムォンシ・アヨンミョン)の清渓里(チョンゲリ)古墳群の調査結果を5日に発表した。同研究所は、智異山(チリサン)周辺の雲峰(ウンボン)高原にあるこの古墳から、慶尚南道咸安(ハマン)の阿羅伽耶(アラガヤ)圏でのみ出土していた車輪状の土器片と、古代日本の生活遺物である木櫛が確認されたと発表した。全羅道地域の伽耶(カヤ)古墳から東南に数百キロ離れた咸安地域の「阿羅伽耶系土器」と海の向こうの倭の遺物が出たのは初めてで、学界の関心が集中するものとみられる。
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同研究所が発表した資料によると、清渓古墳は現在までに発掘されている湖南圏(全羅道)の伽耶系高塚古墳(土を高く盛った封墳。封墳は土を盛った墓)のうち、築造時期が最も早い5世紀ごろで、規模(長さ31メートル、幅20メートル、残存の高さ5メートル)が最も大きな高塚と分かった。ひとつの墓域に3基の石槨墓を作ったのが特徴で、山の稜線頂上部を削って墓穴の位置を決め、3基の石槨を「T」の字形に積んで土を盛り、その上に石(葺石)を覆う独特の築造技法を使っている。最も大きな関心を集めた車輪型飾土器の欠片は2号石槨から出た。慶尚南道咸安の末伊山(マリサン)4号墳と慶尚南道宜寧郡大義面(ウィリョングン・テイミョン)で出土したと伝わる阿羅伽耶特有の装飾土器車輪と形が一致する。車輪装飾土器はクルマ装飾土器とも言うが、高坏の台の上に「U」の字形に角のような2つの杯がのっており、左右に土で作った車輪が取り付けられているのが特徴だ。
咸安と宜寧以外の地域ではこれまで出土例がなく、この地域にこの土器が入ってきた経緯が注目される。
典型的な倭系の遺物である小さな木櫛が1号石槨から出たのも特記に値する。「樹櫛」とも呼ばれるこの倭系の木櫛は、結んだ髪を固定するための器具で、日本の七廻り鏡塚古墳から出た無突起型の木櫛と形態が同じだ。日本列島では弥生時代の遺跡から多く確認され、韓国でも釜山(プサン)、金海(キムへ)、高興(コフン)などの三国時代の古墳から出土した事例が報告されているが、湖南地域の伽耶系古墳から出土したのは初めて。このほか、1、2号石槨の中では多量のかすがいや棺釘などの鉄器類も出土した。
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今回の発掘の出土品は、智異山麓の山間高原地帯に住んでいた伽耶人たちが、グローバルな性格の文化を享受しつつ周辺の伽耶小国と交流していたことを立証していると言える。特に阿羅伽耶系の車輪土器と倭系の木櫛は、湖南圏東部の伽耶人が他の伽耶小国はもちろん、中国、倭などとの対外交易と文化交流に積極的に乗り出し、当時の国際的な文化地形を形成していたという事実を教えてくれる。
2000年代に入って発掘が本格化した全羅道東部の山岳地帯の伽耶遺跡群はそれまで、近隣の慶尚北道高靈(コリョン)一帯の大伽耶圏に従属する辺境だったというのが通説だった。しかし、ここ数年で南原、長水(チャンス)一帯の斗洛里(トゥランニ)古墳、月山里(ウォルサンニ)古墳などから中国系の磁器や青銅工芸品が出土しており、今回の清渓古墳の発掘調査でも阿羅伽耶系の土器と倭系の遺物が登場したことで、この地域の伽耶人が活発な対外交流で国際性が明確な独自の文化を形成していたという推論が出ている。盛土、埋葬施設など古墳築造技法の面では土着的要素が強い一方、阿羅伽耶・大伽耶・倭系・中国系が混ざった出土品などからは外来的要素が多く、雲峰高原の古代政治体の躍動性をうかがわせるという。
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羅州研究所のチョン・ヨンホ学芸研究官は「他の伽耶小国はもちろん、中国、倭と開かれた交流を続けながら異色のアイデンティティを持つようになったもう一つの伽耶勢力が、全羅道東部の山間で隆盛していた可能性が大きくなった」と説明した。同研究所は7日午後2時に発掘現場で公開説明会を開く予定だ。