人生の転機
大学まで日本の学校を通い、国籍は日本。そんな同胞青年の人生の転機は、立命館大学入学後、アルバイト先で出会った留学同OBに、自分も朝鮮人だということを告げたことから始まった
▼05年のある日、先輩に連れられて参加した留学同の集まり。参加者たちに、生まれて初めて朝鮮の名前で呼ばれた。そのときの照れくささと喜びは10年以上が経った今でも忘れられないという。それ以来、少しずつ留学同の活動に携わるようになった
▼同時に「朝鮮語も話せないうえ日本国籍まで取得した自分は朝鮮人と言えるのか」という悩みで頭がいっぱいだったという。一方、裕福な家庭ではなく学費の工面は簡単ではなかった。そんな状況の中、総聯のはからいで祖国からの教育援助費と奨学金の恩恵を受けることになった。「そのおかげで留学同活動にいっそう積極的に取り組むことができ、『悩み』も解消されていった」。現在彼は留学同中央の専従活動家として、過去の自分のように日本社会に埋もれて暮らす同胞学生を探し、朝鮮人として堂々と生きていけるよう導いている
▼教育援助費と奨学金送付60周年に際して4〜5月、本紙朝鮮語版に、初めて送付されてきた当時の高揚した雰囲気を知る90歳から上記の留学同活動家など30歳までの幅広い年齢層が随筆を書いてくれた。共通しているのは実利面もさることながら大きな心の支えになったということだ。今も活動の原動力となっている。(進)