どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

国ガチャ・・・

2022年05月17日 | 日記

こどもの頃 自分の存在について最初に思ったことは なぜ自分は外国人(というかアメリカ人)ではないのか ということだったように思う

西部劇やホームドラマ 名犬ラッシー(若い人は知らないだろうが犬の名前だ) ルーシーショーなどなど 日本のテレビ創成期の頃はアメリカで作られた番組が多く放映されていて 白黒の画面であっても十分に日本人とは違うとわかる容姿や生活様式に なぜ私のそれは違うのかが不思議だった

その頃 私には日本人という意識は(それ以前に国についても)まだ無かった

少し成長して次に思ったのは なぜ男ではなくて女なのか だった

そして最後には なぜ自分は他の家の子ではなくてこの家の子なのか

アイデンティティーなどと言うと大げさだけれど 今も自分が自分としてここに存在することに奇妙な感じを抱くことがある

何故私は あの人ではなく 私として生まれてきたのか 

この家に この日本に この時代に生まれてこなかったら 

別の人間として過去 あるいは未来に生まれることはあっただろうか

生まれ変わりもあの世も 別の宇宙(あるいは星)に自分と同じ人間がいるといったパラレルワールドのような話も 全く信じない私なのに 

去年は「親ガチャ」という言葉が流行った

最近 それから派生して「国ガチャ」という言葉も生まれたが それが運命ということなら今に始まったことではない

アメリカ人だったら良かったのにと思ったのは子供の頃だけで(ついでに男の子だったらという願望も) 今は日本人であることを受け入れているけれど おそらくどこの国に生まれようともそうであっただろうし そうでありたい いや 誰もがそれぞれにそう思う国じゃなくちゃいけないんだよね

それに当たりかはずれかなんて 一生を終えてみなくちゃわからない

まあ 終わった時にはもうどうでもよくなってるけれどね

 

コメント (2)
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