みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

「死刑廃止検討を」国連規約人権委が勧告/『死刑―人は人を殺せる。でも人は人を救いたいとも思う』

2008-11-01 13:00:07 | ほん/新聞/ニュース
10月10日は「世界死刑廃止デー」だった。
東京や大阪や各地で、イベントやデモが行われた。

1970年代から全国各地で闘われていた住民・市民運動のことを
書き続けている 『月刊むすぶ』(ロシナンテ社)8月号は、
「今、立ち止まって死刑制度を考えてみませんか。」
  


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昨日各紙の夕刊には、国連規約人権委員会が日本政府に対し
死刑制度の廃止を「世論調査と関係なく、前向きに検討すべきだ」
と勧告したと報じられていた。
国連は同時に、従軍慰安婦問題についても、
「法的責任を認め、被害者の多数が受け入れられる形で謝罪すべきだ」
と初めて勧告した。

今朝の朝日新聞には、日本政府に死刑制度の廃止を勧告したことに対し、
「世界の趨勢は死刑廃止の方向に流れていることは承知している」
「国民感情や犯罪情勢、刑事政策のあり方、それぞれの国が
独自に決定しなければならない」と河村官房長官が反論していた。

日本は死刑が存続している数少ない国で、政府は
「国民世論の多数が凶悪犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」
と主張するが、わたしは、死刑制度には反対で、廃止を望んでいる。

裁判員制度がはじまったら、死刑廃止の思想信条の自由を理由に
辞退しようと考えているほどだ。

ということで、国連勧告は大歓迎である。

【国際】「日本は死刑廃止検討を」 
国連人権委、慰安婦謝罪も勧告

中日新聞夕刊 2008年10月31日

 【ジュネーブ=共同】国連のB規約(市民的および政治的権利)人権委員会は30日、日本政府に対し死刑制度の廃止を「世論調査と関係なく、前向きに検討すべきだ」と勧告する審査報告書を発表した。同委員会の対日審査は1998年以来、10年ぶり。
 従軍慰安婦問題も「法的責任を認め、被害者の多数が受け入れられる形で謝罪すべきだ」と初めて勧告した。同問題については女性差別撤廃委員会、拷問禁止委員会に続き、関連する人権条約の管轄機関による勧告が出そろったことになる。
 人権保護団体アムネスティ・インターナショナル日本の寺中誠事務局長は「予想されたほぼすべての問題でより具体的な勧告が出た。日本の人権に対する国際社会の目は厳しさを増している」と勧告内容を歓迎。一方、日本政府筋は「審査では日本の立場について説明を尽くしたが、十分理解が得られず残念だ」などと語った。
 報告書は死刑に関して、世論の廃止支持が少ないことを理由に制度維持を主張する日本政府に対し「廃止が望ましいことを一般に知らしめるべきだ」と、廃止論議を高める責任が政府にあるとの見解を表明。死刑執行の通告で「死刑囚や家族に対し、妥当な期間を置いて事前通告すべきだ」とするなど、現行制度の問題点にも踏み込んで指摘した。
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強制労働被害に 慰労金など支給
韓国政府決定

【ソウル=福田要】

 韓国政府の「太平洋戦争前後の国外強制労働動員犠牲者支援委員会」は30日、日本の植民地時代に強制連行された被害者や遺族計843人に慰労金など総額約49億三千万ウォン(約三億八千万円)の支給を決めた。韓国の通信社・聯合ニュースが伝えた。
 被害者の遺族225人にそれぞれ慰労金二千万ウォン(約154万円)が支給されるほか、五百人以上の生存者も年間80万ウォン(約6万円)程度の医療支援金を受け取る。 
 2005年の日韓国交正常化交渉に関する外交文書公開で、韓国政府が日本に徴用された自国民の被害に補償義務を負うと確認していたことが判明。これを受けて支援法が07年11月に制定。今回支援法に基づいて初めて支給が決定した。
(2008.10.31 中日新聞)



「死刑廃止、日本は検討を」 国連規約人権委が勧告 
2008年10月31日 朝日新聞夕刊 

 【パリ=飯竹恒一】国連規約人権委員会は30日、日本の人権状況に関して問題の改善勧告を含む「最終見解」を公表した。日本政府に対し、死刑制度については「(国内の)世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだ」と勧告。扱いが注目されていた従軍慰安婦問題では「法的責任を認め、謝罪するべきだ」として、「決着済み」とする日本政府の主張を退けた。

 対日審査・最終見解は98年の前回以来10年ぶり。
 最終見解は、死刑制度について日本政府が存続の根拠として「世論の支持」を主張し続けていることに対し「政府は国民に廃止が望ましいことを知らせるべきだ」と指摘した。死刑制度に関しては前回の最終見解でも廃止に向けた勧告が出たが、国際的な死刑廃止機運の高まりを受けて表現は厳しさを増した。
 慰安婦問題は、前回は最終見解に盛り込まれなかったが、今回は言及。「生存している慰安婦に十分な補償をするための法的、行政的なすみやかな措置」を求めた。昨年、米国下院で日本政府に公式謝罪を求める決議が採択されるなど、国際的な批判の高まりを背景にした指摘とみられる。

 最終見解は、代用監獄制度に対しても廃止を勧告した。
 死刑制度や慰安婦問題に関して日本政府は、審査段階の質疑で国内状況を説明して理解を求めたが、委員らには従来の立場の繰り返しで説得力に欠けたとみられる。
 同委員会は全加盟国の「市民的、政治的権利に関する国際規約(人権B規約)」の実施状況を一定期間ごとに審査する。対日審査は5回目。勧告に法的拘束力はない。
(2008.10.31 朝日新聞)



日本の死刑・代用監獄に批判相次ぐ 国連規約人権委審査
朝日新聞2008年10月17日(金)
 【ジュネーブ=飯竹恒一】ジュネーブの国連欧州本部で開かれていた国連規約人権委員会の日本に対する人権状況審査は16日、2日間の日程を終えた。質疑では死刑や代用監獄制度などをめぐり、委員から「10年前(前回審査)の問題提起に十分対応していない」などといった批判が相次いだ。

 対日審査は10年ぶり。死刑制度は98年の審査で「廃止に向けた措置」の勧告を受けたが、この間、執行数は増加した。委員からは「30年も死刑囚として過ごして70代で死刑が執行された事例は理解に苦しむ」「死刑を巡っては世界的に廃止の流れがある」といった指摘が出た。日本政府は「国民世論の多数が凶悪犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」と従来の主張を繰り返した。
警察の留置場を拘置所代わりに使う代用監獄制度については、委員が「取り調べが長時間になる一方、弁護士との接見が限られる事態を招く」と指摘。日本政府は「廃止すれば、日本の刑事司法制度の利点の基盤が損なわれる」と答えた。

 委員会は、今回の質疑を踏まえて、勧告を含む「最終見解」を月末までにまとめるが、日本に厳しい指摘が盛り込まれる可能性がある。
(2008.10.17 朝日新聞)


この数年でくらいで、死刑判決や執行がめだって増え、
この国の一員であることにかなしい思いを抱いていた。
そんななか今年1月、
『死刑』について深く考える森達也さんの好著が出た。

森達也公式ウエブサイト



『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』
(森達也著/朝日出版社/2008/1/10)
 知っているのに誰も知らない、僕らが支える「死刑」というシステム。
できる限りは直視したい。知ったうえで考えたい。
罪とは、罰とは、命とは、何だろう?
著者渾身の書き下ろし最新作。死刑をめぐる三年間のロードムービー。


すぐに読んだけれど重い本で、感想もかけないでいた。

 死刑―人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う [著]森達也 
朝日新聞 [掲載]2008年2月10日
[評者]香山リカ(精神科医、帝塚山学院大学教授)■廃止か存続か、曖昧でよいのか

 あなたは、知らないうちに死刑について考える権利を奪われている。それを知っているか、と本書は問う。
 もちろん、日本の極刑は「死刑」ということを知らない人は、まずいないだろう。少しでも社会問題に関心がある人ならば、世界的な流れで見ると死刑は廃止の方向に向かっており、いまや先進国ではアメリカと日本だけが例外的にこれを実施している、ということも知っているはずだ。韓国も昨年末から「事実上の死刑廃止国」となった。
 しかし実際には日本の死刑判決は増加しており、世論調査で「死刑もやむを得ない」と答える人は8割を超えている。これも事実だ。
 この8割の中には、自分なりにいろいろ考えた結果、存置という回答にたどり着いた、という人もいるだろう。一方、曖昧(あいまい)な気持ちのまま、「どちらかといえば」と手を挙げている人もいるに違いないが、死刑は執行されるか、されないかの二者択一で、「ほどほどに」といった曖昧さの入り込む余地はない制度だ。その厄介さのゆえ、多くの人はそれ以上、突き詰めて考えるのをやめようとする。そもそも、死刑をめぐる情報はきわめて少なく、考えようにもその材料はほとんどないのだ。
 著者もまた、どこか曖昧な気持ちを引きずりながら、死刑について考える旅に出る。ドキュメンタリー映画を作るときと同じ手法で、著者は死刑判決を待つオウム実行犯、冤罪が明らかになって解放された元死刑囚から死刑執行に立ち会った元刑務官や弁護士、政治家、死刑をテーマに作品を描くマンガ家と、さまざまな立場、職種の関係者に取材し、ベールの向こうにある死刑を浮き彫りにしようとする。
 しかし、取材を重ねれば重ねるほど、著者は死刑が「見せる側は隠すし、見る側は視線を逸(そ)らす」という不可視の領域に位置していることを痛感させられる。たとえば、確定死刑囚は、「心情の安定を保つため」という説明のもときわめて制限された生活を送っているのだが、「色鉛筆は赤・青のみ」といった規則の根拠は誰にもわからない。拘置所や刑務所にある執行場は、完全な非公開だ。私たちは、加害者、被害者あるいはその遺族という“例外的な立場”となってかかわらざるをえなくなる場合を除いては、死刑については考えずにいるのが最も賢明な選択、という状況に知らないうちに置かれているのだ。
 著者は、国民の誰もがこの国家の制度を支えている限り、死刑制度にも無関係ではないはずという立場で、3年以上にわたって綿密な取材と考察を続ける。そして、その不可視の領域にもかなり接近するのだが、存続か廃止かの決め手になるような論理は構築することができない。最終的には、ごく私的な感情に立ち返って廃止という自らの意思を確認し、著者の旅は静かに終わる。声高な存置論、廃止論ではないだけに、「僕は人に絶望したくない」という著者の声が、いつまでも胸に残る。
    ◇
 もり・たつや 56年生まれ、映画監督、作家。オウム真理教に迫った映画「A」「A2」で知られる。著書に『放送禁止歌』など。
(2008.2.10 朝日新聞)

 
ずっと紹介したいと思いながら、下書きに入れたままになっていた書評。
わたしの中にも複雑な気持ちが渦巻いていたのかもしれない。

でも、やっぱり、声をあげよう。

ころしたくない。ころされたくない。

だまっている、と、いうことは、
ころすこと、ころされること、に手を貸すことだから。

「わたしは死刑という制度にはんたいです。」 

今回の国連の勧告をきっかけに、多くの人が「死刑」について考え、
日本でも、もっと死刑廃止の議論が起きてほしい。


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