山田泉さん今月初めから体調を崩し、昨日の朝亡くなられた、ということを、
昨日、友人の菅井さんから聞きました。
山田泉公式ブログ
山田泉さんの本は、二冊とも読んでいて、
二冊目は、福井の判決のときにメッセージを書いた縁で、
上野千鶴子さんが帯を書かれたのです。
15日にも朝日新聞に、映画「ご縁玉」完成の記事が出て、
紹介しようと思っていたところでした・・・・ショックです。
『ご縁玉 パリから大分へ』作品紹介
映画「ご縁玉」完成 命の尊さ 乳がん女性の出会い通じ描くドキュメンタリー 2008.11.15 朝日新聞 乳がん体験から中学校で「いのちの授業」に取り組んできた大分県の元養護教諭、山田泉さん(49)のドキュメンタリー映画が完成した。 15日の大分上映を皮切りに、各地で公開される。完治が望めなくなって約1年半。人柄に引き寄せられた人たちの新たな出会いを通し、命の尊さを描く。 (高橋美佐子) 主人公の山田泉さん「生と死 考える素材に」 10月下旬から大分市内のホスピスに入院している山田さんを個室に訪ねた。 「やっと完成したよ」。そう言って見せてくれたのは、手作り絵本。今年3月末に自殺した元教え子の女子高生を追悼するため、元同級生9人と一緒に作った。山田さんは、彼女が生きていたことを忘れず、人に無関心にならないで、との詩を寄せた。 生徒も同僚も友人たちも皆、「山ちゃん」と呼ぶ。県内の小中学校で28年間、保健室の先生をしながら、性教育や人権、平和問題に情熱を傾けてきた。乳がんになった9年前からは、障害のある人、ハンセン病の元患者ら有名無名のゲストを教室に招く「いのちの授業」をした。真剣に生きる大人が、中学生に語りかけた。 昨年3月に退職した直後、2度目の再発がわかった。絶望とは裏腹に、長年の教育実践や「いのちの授業」が話題になり、今年9月ごろまで本の執筆や講演、出前授業などを積極的にこなした。 最後の海外旅行 映画は、山田さんが「人生最後の海外旅行」と公言して昨秋訪れたパリでの、不思議な出会いから始まる。もう1人の主人公は35歳の仏人男性チェリスト。共通の言語を持たない2人なのに意気投合した。彼は3ヶ月後、「山ちゃん」にもらった1枚の五円玉を手に、大分にやってきた。 山田さんは男性を各所に連れて歩く。自分がボランティアとしてかかわってきた児童養護施設、入院したホスピス・・・・・・。男性は先々でチェロを演奏する。集まった人たちは、弦の荘厳な響きを聴き、涙を浮かべたり、笑ったりする。 男性はベトナム戦争孤児。生後まもなく仏人夫婦に引き取られたが、その義母を9年前に乳がんで失った。「山ちゃん」を訪ねる旅は、果たせなかった親孝行と自分探しの旅。「たくさんのものを受け取った。 それは『縁』であり、譲り受けたら返すもの」と男性は映画を締めくくる。 縁結んだ五円玉 タイトルの「ご縁玉」は、2人の縁の始まりとなった五円玉からとった。監督で仏在住の映像作家、江口方康(まさやす)さん(44)は「初対面の山ちゃんに『いつか映画を撮りたい』と話すと『人生は短い。グズグズしていちゃだめ』と背中を押された」と話す。 山田さんは今、痛み止め薬を増やし、水さえのみ込むのが苦しい。「桜は見られないだろう」と医師に告げられている。夫の真一さん(52)ら家族が泊り込んでそばにいる。 「上映が決まって本当に良かった。生と死を考える素材にしてほしい」。 山田さんはしっかりとした口調で、こう話した。 ---------------------------------------------------- 上映予定は次のとおり。 【大分】11月15日から、シネマ5【山口】12月12~14日山口情報芸術センター・スタジオC【佐賀】12月13日から、シエター・シエマ【東京】12月20日から、渋谷区の、ユーロスペース。 09年1月以降、大阪のシネ・ヌーヴォ、名古屋シネマテークなどで順次公開。問い合わせは配給元パンドラ(03・3555・3987)へ。 (2008.11.15 朝日新聞) |
/『いのちの恩返し』山田泉著・高文研(5/6)
第Ⅰ章の〈インタビュー〉「団子を売るように保健室にいました」は、
『We』2007.12/1月号に掲載された友人の菅井純子さんの記事。
『いのちの恩返し がんと向き合った「いのちの授業」の日々』
(山田泉著/高文研/1600円)
がんになり方も山ちゃん流!
まわりをすべて巻きこんで山ちゃん台風は行く。
もらいつづけ、与えつづけて疾駆する。
おーい そんなに先を急がないでよぉ。
上野千鶴子
がん闘病「いのちの授業」山田泉さんが死去 朝日新聞 2008年11月21日15時2分 乳がんとの闘病体験を教室で話し、命の尊さについて考える「いのちの授業」に取り組んだ大分県豊後高田市の元養護教諭、山田泉(やまだ・いずみ)さんが21日午前9時12分、乳がんのため大分市の病院で亡くなった。49歳だった。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午後1時から豊後高田市高田2137の1の城葬祭高田斎場で。喪主は夫真一さん。 豊後高田市立田染中学校で養護教諭を務めていた00年、乳がんと診断され、休職。復職した02年から、自らの闘病体験をもとに、生と死に向き合う「いのちの授業」を始めた。余命わずかな別の乳がん患者や、村山富市元首相ら、多彩なゲストを講師に招き、生徒たちと語り合った。 05年にがんが再発し、再び休職。いったん復職したものの、07年に退職した。退職後も、各地の学校に招かれ「いのちの授業」を続け、講演も手がけるなど、活発な活動を続けたが、約1カ月前から病状が悪化し入院していた。 著書に「『いのちの授業』をもう一度」(高文研)がある。パリ在住のチェリストとの交流を描いたドキュメンタリー映画「ご縁玉~パリから大分へ~」(江口方康監督)が今月、大分市で公開されたばかりだった。8月には朝日新聞名古屋本社で講演会があり、約340人が参加。モルヒネを飲む体調のなか「子どもたちに本気で語りかけよう」と訴えた。 |
訃報:山田泉さん/「いのちの授業」続けた元養護教諭/乳がんで49歳 2008.11.21 毎日新聞 がんと向き合い8年、命の大切さを訴え続けた元中学養護教諭、山田泉(やまだ・いずみ)さんが21日、乳がんのため死去した。49歳。葬儀は23日(時間未定)、大分県豊後高田市高田2137の1の城葬祭高田斎場。自宅は同市玉津1280。喪主は夫真一(しんいち)さん。 00年に乳がんを発病。2年後復職し同市内の中学で「いのちの授業」を始めた。2年間でハンセン病回復者の阿部智子さんら多彩なゲスト32人を呼び、生徒に「生きる勇気」を伝えた。退職後は自宅を「保健室」として開放、悩む子どもたちの相談にのったりした。 フランスのチェロ奏者との交流を描いたドキュメンタリー映画「ご縁玉 パリから大分へ」(江口方康監督)が大分市内で上映中だが、山田さんは映画を見ることはなかった。著書は「『いのちの授業』をもう一度」など。【大漉実知朗】 2008年11月21日 毎日新聞 |
映画「ご縁玉」の先行上映始まる 2008.11.16 読売新聞 涙ながらに山田さんへの思いを語る江口監督 乳がんと闘いながら「いのちの授業」を続けている豊後高田市の元中学校養護教諭、山田泉さん(49)のドキュメンタリー映画「ご縁玉~パリから大分へ~」(江口方康監督)の先行上映が15日、大分市府内町の府内五番街「シネマ5」で始まり、多くの人が観賞した。21日まで、1日5回上映する。 作品では、昨年8月に訪れたフランスで出会ったチェロ奏者、エリックマリア・クテュリエさんとの交流が描かれている。 ベトナム戦争孤児のエリックマリアさんは、フランス人の育ての母親を乳がんで亡くした。山田さんに音楽療法を施せればと、フランスで「ご縁がありますように」と手渡された5円玉を手に昨年12月、山田さんの自宅を訪れた。 その際、山田さんの腹部にチェロを当てて演奏したり、「いのちの授業」などを通して交流があった児童養護施設「聖ヨゼフ寮」(中津市)で演奏したりした様子が映像化されている。 初日に舞台あいさつに立った江口監督は、山田さんが体調を崩して入院していることに触れ、「本当は山田先生と一緒にここであいさつしたかった」と話した。 観賞後、聖ヨゼフ寮元職員、湯浅浩さん(51)は「心にズシンと響く映画でした。山田さんが口にしている『生かされていることへのありがたさ』を改めて感じた」と話していた。 (2008年11月16日 読売新聞) |
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