みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

映画「子供の情景」/「拝啓 未来を生きる君 こどもの日に考える」(中日新聞社説)

2009-05-05 19:17:35 | ほん/新聞/ニュース
5月5日は「こどもの日」。

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)
『星の王子様』(サン・テグジュペリ作)より


昨日から、何度目かの三重県の長島温泉で骨休めをしていました。

ブログは帰ってから、最近の新聞各紙の映画解説でとりあけられている
映画「子供の情景」のことを紹介したいと思っていたら、今日の中日新聞の社説
「拝啓 未来を生きる君 こどもの日に考える」のなかでに言及されていました。

 「子供の情景」公式サイト

作品解説・紹介 - 子供の情景
6歳の少女バクタイは、隣に住む男の子アッバスが学校で習った面白いお話を読むのを聞いて、学校に行きたいと思う。市場へ行って、やっとの思いで卵を売ったお金で何とかノートを手に入れる。そしてバクタイは心を弾ませて学校へ向かうが、着いたところは男子校で、追い返されてしまう。女子校を探す途中、タリバンごっこをする少年たちにノートを取り上げられたりしていじめられる。通りかかったアッバスも悪戯をされて・・・。 
弱冠14歳でドキュメンタリー映画『ハナのアフガンノート』を発表した(ヴェネチア国際映画祭コンペ部門に出品)ハナ・マフマルバフ監督は、イラン映画の鬼才モフセン・マフマルバフ監督の娘としても知られている。長編劇映画デビュー作の本作では、タリバンに破壊されたアフガニスタンのバーミヤン遺跡の近くに住む愛らしい少女の“冒険”を通し、戦争のもたらす不条理や残酷さを描きだす。脚本は自身も映画監督で、ハナの母親でもあるマルズィエ・メシュキニ。キアロスタミ作品のような瑞々しい無垢な前半と、後半、“戦争ごっこ”から浮かび上がる大人社会の影響の怖さ、そのイマジネーションの対比が見事だ。


 映画インタビュー:「子供の情景」ハナ・マフマルバフ監督に聞く 
「傷ついた子どもの痛みを描いた」

毎日新聞 2009年4月26日

 イランの名匠モフセン・マフマルバフ監督の末娘ハナ・マフマルバフさんの初の長編劇映画「子供の情景」が18日から、東京・岩波ホールなど全国で順次公開されている。ハナ監督が19歳で完成させたデビュー作は、サンセバスチャン国際映画祭審査員賞、ベルリン国際映画祭で二つの賞を受賞した。戦争で破壊された仏像のがれきが残るアフガニスタン・バーミヤンの少女が、さまざまな障害を乗り越え、学校を目指す物語。紛争の現実を、子供の世界を借りて寓話(ぐうわ)的に描き出した。ハナ監督に話を聞いた。【文・写真:上村恭子/フリーライター】

 --主人公バクタイ(ニクバクトちゃん)がとても可愛らしいですが、子どもたちは現地で見つけたそうですね。
 教室に入ったら、まだ5歳半の彼女が2年生の教室に座っていました。学校に行って勉強したいというバクタイの役そのものだと思いました。ニクバクトは「映画はヤダヤダ」と言っていましたが、「もうやらなくていいよ」と言うと、反対にカメラの前で演じるようになったんですよ。プライドの高い彼女の性格から、キャラクターが生まれました。別の子が演じていたら、また違った主人公になっていたでしょう。ちなみに、バクタイとは「小さな幸運」という意味です。

 --バーミヤンを実際に見て、映画に取り入れた部分は?
 当初この映画は、少女がノートを買って、学校に行くというシンプルなものでしたが、そのまま撮ってみたら、かなりポエティックなものになってしまったので、もっと社会的な問題に触れたいと思いました。そして、バーミヤンの町を母と一緒に歩いて、見聞きしたことを脚本に加えました。少年たちがタリバンごっこをしているシーンは現地で知ったものの一つです。

 --タリバンごっこをする少年たちの「石投げの刑ごっこ」のシーンは怖かった。
 「石投げの刑」は実際に存在している刑だから、どうしても頭の中で理解できなくて自分の中で消化するのは大変でした。でも、これを説明しなければ戦争を語れません。撮影しながら、とても痛みを感じました。私は父に「人の痛みを自分の痛みとして感じなさい」と教えられました。戦争を味わった子どもが、将来どうなるのか。傷ついた子どもの痛みについて描きたかった。

 --ハナ監督は、8歳のときに父親マフマルバフ監督の映画学校に入学したそうですがアドバイスなどはありましたか?
 私の行っていた学校は女子への禁止事項が多くて、面白い科目が一つもありませんでした。父の学校では絵、写真、詩、哲学、美術、文学などを学び、例えば文学なら文学だけ1カ月、まるでシャワーを浴びるように勉強します。授業前に必ず父が詩を読んでくれました。「この映画は19歳のお前にしか語れないから」と父からのアドバイスはありませんでした。映画のタイトル「ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた」(原題)は、父が書いた本からの引用です。父は言っていました。爆弾の代わりに本やノートを落としてくれれば、国の文化はずっと豊かになっていただろう、と。

 --イランの女性監督として道を開いた姉サミラさんは、どんな存在ですか。
 ああ、その質問は初めてです! サミラについてなら、すごく長く話せますよ(笑い)。まず、姉としても監督としても偉大です。それまでの映画人といえば、50代くらいで、ハゲで、ヒゲの男性って感じだったんだけど(笑い)、サミラが壊してくれました。女性としても私のモデルとしても、道を開いてくれました。サミラは人の痛みを感じることができ、まるで哲学者のような人。可愛い女の子や、スタイルのいい女の子だけでなく、頭脳でも女性が舞台の上に立てるんだということを証明してくれました。

 --これからどんな映画を作っていきたいですか。
 映画作りは、誰かが勝った負けたではなく、映画人が一つの道を歩いていくことだと思います。映画監督は大きく目を見開いてものをよく見ることが仕事。人が見ないものを取り上げて、見せていくことが仕事だと思います。この映画を73分間見ることは、73分間、暴力について考えることであり、その国に旅することでもあり、73分間、子ども時代に戻ることでもあると思います。私はこの映画を通して、大人に「あなた方は子どもの本当の学校ですよ」と注意をしたかったのです。 
 <ハナ・マフマルバフ監督のプロフィル>
 88年テヘラン生まれ。8歳のときに、父モフセン・マフマルバフ監督の設立したマフマルバフ・フィルム・スクールで、姉サミラさん、兄メイサムさんと一緒に学ぶ。8歳で撮影した短編「おばさんが病気になった日」で、9歳にしてロカルノ国際映画祭に参加。03年、姉サミラさんの「午後の五時」のメーキングで、アフガニスタンを描いた長編ドキュメンタリー作「ハナのアフガンノート」を15歳で発表、ベネチア国際映画祭コンペティション部門に最年少記録で出品し、スペイン・サンセバスチャン国際映画祭で審査員賞を受賞するなど、世界各国の映画祭で称賛された。
(毎日新聞 2009年4月26日)


少女バクタイのまっすぐな目に、吸い込まれそうです。
この映画、ぜひ見たいと思っています。

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中日新聞【社説】、アンジェラ・アキさんの作詞、作曲した「手紙」のことが中心です。

 拝啓 未来を生きる君 こどもの日に考える
中日新聞 2009年5月5日

 拝啓、未来を生きる君たちへ。未来はかすみ、悲しみだって避けては通れません。けれども、明日はきっとよくなるという、希望を少し同封します。
 「誰の言葉を信じ 歩けばいいの?」
 アンジェラ・アキさんは、作詞、作曲を手掛けた「手紙」という歌の中で、繰り返し、そう問いかけます。
 「手紙」は、昨年度「NHK全国学校音楽コンクール中学校の部」の課題曲でした。
 十五歳の「僕」が未来の自分自身に手紙を書いて、多くの悩みで張り裂けそうな心の中を打ち明けます。大人になった未来の「僕」は、十五の「僕」に返事を書いて励まします-。

 未来との往復書簡
 二人の「僕」のやりとりにそれぞれの今を重ね合わせてか、「手紙」は中高生だけでなく、世代を超えた愛唱歌として広がりつつあるようです。
 アンジェラさんは十代のころ実際に、「未来の自分へ」と題した分厚い手紙をしたためました。
 大人になって読んでみて、夢や希望をつづるというより、悩みと愚痴が延々と続く「未来への手紙」に驚きました。
 友達や先生の何げないひと言にひどく落ち込んでしまったり、片思いに悩んだり…。ところが今では、片思いの相手の顔さえ、まったく思い出せません。
 「正直、『そんなことで悩むなぁ!』と思うことばかり書かれていたけれど、当時の私は『そんなこと』でいっぱいいっぱいだったのだなと思いました」と、アンジェラさんは、コンクールで「手紙」を歌う中学生との交流を記録した「拝啓 十五の君へ」(ポプラ社)で語っています。
 「そんなことで」とあっさり言えてしまうのは、今、現に見えない明日におびえて悩む十五の「僕」よりも、二十五歳になった「僕」は十年分だけ、未来を知っているからです。

 大人になれば大丈夫?
 子どもにとって、大人は未来そのものです。ひと足先に未来をのぞいた者として、大人は子どもに安心と希望を示さなければなりません。希望への道しるべであり続けなければなりません。
 アンジェラさんは、その本の中でこんなことも言っています。
 「中学生が歌いながら、『自分も大人になったら、きっとこういう気持ちになれるんだ』と思ってくれるように。今は先が見えなくて、苦しくてつらいかもしれないけれど、でもきっと大丈夫だから!」
 五月五日の背比べも、もう今は昔でしょうか。端午の節句は、未来への階段を上る子どもの成長を、一年に一度柱の傷を見比べながら、家族そろって確かめ合う日だったのでしょう。
 さて、その大切な道しるべ、このごろ特に間違いが多いみたいで気がかりです。

 公開中の映画「子供の情景」はイランとフランスの合作です。
 撮影当時十九歳だったイラン人女性のハナ・マフマルバフ監督は、アフガニスタンの子どもたちを戦争やテロへ導く大人の影を、リアルに描き出しています。
 貧困と孤独の中で、大人と同じ暗い目をして、米国相手の戦争ごっこ、タリバンごっこ、処刑ごっこに没頭する少年たち。
 「戦争ごっこなんか嫌い」と叫ぶ少女の悲痛な声は、砂漠の風にかき消されてしまいます。
 遠い異国の出来事だけではありません。「先進国」と呼ばれる日本では、食品偽装、エコ偽装、拝金経済、虐待、汚職、振り込め詐欺に環境破壊…。政治家も確かな未来を示すことができません。
 世界各地でミツバチが、なぞの大量死を遂げています。
 ハチの社会では、外敵に巣を襲われたとき、まず老蜂(ろうほう)が戦います。人間界ではその逆です。
 ミツバチは、未来を生きる子孫のために、目に見えない環境異変と戦って、人知れず犠牲になっているのでしょうか。私たちもハチに負けてはいられません。

 私の言葉を信じなさい
 「誰の言葉を信じ 歩けばいいの?」
 アンジェラさんは「手紙」の中で、答えもちゃんと示しています。「自分の声を信じ 歩けばいい」と。でも、それだけでいいのでしょうか。
 今、負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな「僕」や「私」は無数にいます。彼らの肩を抱きながら、大人たちが「私の言葉を信じなさい」と、正々堂々、胸を張って言える社会を築くべきではないですか。
 端午の節句。さわやかに泳ぐ鯉(こい)のぼりを見上げつつ、大人としてのひそかな決意を、心の中の柱に深く刻みつけておきました。
(中日新聞 2009年5月5日)  


手紙 ~拝啓 十五の君へ~ - アンジェラ・アキ


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