梅雨空のなか、東大安田講堂で開催された
シンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」に行ってきました。
曇り空の名古屋駅を出発。
シンポジウムは夜6時半から、8時半までの2時間。
撮影禁止だったこともあり、メモも取らずに集中して聴き入っていました。
東京滞在中に写した白花の花束。
トルコキキョウ・アジサイ・カサブランカ。
庭に咲く白い花たち。
↑アジサイ3種。↓白花オジギソウ、ユリ、実成りクチナシ
50年前の6月15日に亡くなった、樺美智子さんにささげます。
帰り道、鳥羽川堤防を走りながら写した夕焼け。
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東大安田講堂でのシンポジウムの記事が載っていないかと探したら、
岐阜新聞に共同配信の記事が掲載されていました。
16日の朝、NHKでも流れたそうです。
詳しいシンポの様子は、「シネマトゥデイ映画ニュース」にアップされていました。
この日のシンポジウムは、ドキュメンタリー映画『ANPO』をつくられた
リンダ・ホーグランドさんの願いに共鳴する人たちの尽力で実現されたとのことです。
シンポの冒頭に、『ANPO』のダイジェスト版が上映されました。
15分だけでも、「戦争を二度と繰り返してはいけない」という言葉が深く心に残りました。
90分の映画の公開は9月とのこと。
一人でも多くの方に観てほしい映画です。
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シンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」に行ってきました。
曇り空の名古屋駅を出発。
シンポジウムは夜6時半から、8時半までの2時間。
撮影禁止だったこともあり、メモも取らずに集中して聴き入っていました。
東京滞在中に写した白花の花束。
トルコキキョウ・アジサイ・カサブランカ。
庭に咲く白い花たち。
↑アジサイ3種。↓白花オジギソウ、ユリ、実成りクチナシ
50年前の6月15日に亡くなった、樺美智子さんにささげます。
帰り道、鳥羽川堤防を走りながら写した夕焼け。
きれいでした。
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東大安田講堂でのシンポジウムの記事が載っていないかと探したら、
岐阜新聞に共同配信の記事が掲載されていました。
樺さん死亡50年でシンポ 「60年安保闘争を記憶に」 60年安保を振り返りシンポ 東大安田講堂 2010.6.17 岐阜新聞 旧日米安保条約の改定をめぐる「60年安保闘争」の国会突入デモで東大生の樺美智子さん=当時(22)=が亡くなってから50年を迎えた15日、戦後最大規模の大衆運動となった安保闘争を振り返るシンポジウムが東大・安田講堂で開かれた。 ノンフィクション作家の保阪正康さんは「暴力的な議会運営をする岸信介首相への嫌悪感と、二度と戦争をしないという意志が闘争の原動力となった」と指摘。慶応大の小熊英二教授は「戦争と安保は(米軍基地の集中という形で)沖縄に凝縮され、今でもとげとなって残っている。とげを抜くために、わたしたちは記憶しなければならない」と話した。 芸術家らのインタビューや記録映像、写真、絵画などで安保闘争を振り返る新作ドキュメンタリー映画「ANPO」のダイジェスト版が上映され、米国人監督のリンダ・ホーグランドさんは「米軍基地の苦痛はアートを通した方が世界に伝わる」と訴えた。 映画に出演したシンガー・ソングライターの加藤登紀子さんも登壇し「安保闘争に挫折感はあったが歴史に勝利も敗北もない。わたしたちにたくさんのエネルギーを残してくれた」と述べ、樺さんに黙とうをささげた。 2010/06/15 21:30 【共同通信】 |
16日の朝、NHKでも流れたそうです。
安保闘争50年 東大でシンポ NHKニュース 6月16日 4時43分 日米安全保障条約をめぐる「60年安保闘争」からことしで50年を迎え、デモ活動のなかで亡くなった女子学生の命日に当たる15日、その後の闘争の舞台にもなった東京大学の安田講堂で、安保闘争の影響などを語るシンポジウムが開かれました。 会場の安田講堂には、中高年から大学生までおよそ900人が集まり、東京大学の上野千鶴子教授などが安保闘争について意見を交わしました。日米安保条約の改定をめぐって昭和34年から35年にかけて全国に広がった60年安保闘争は、戦後最大の社会運動とも呼ばれ、ノンフィクション作家の保阪正康さんは「多くの人に戦争への嫌悪感が強かったなかで、安保条約案を強行採決した当時の岸総理への反感が強まり、運動が広がっていった」と指摘しました。また、社会学が専門の慶応大学の小熊英二教授は「基地のある沖縄を中心に、安保条約は日本人の心にとげのように刺さっており、そのとげを抜くには安保闘争の時代に戻って日米関係を検証する必要がある」と述べました。15日は、当時東京大学の学生で、昭和35年に国会議事堂前の学生たちと警官隊との衝突の中で亡くなった樺美智子さんの命日に当たります。会場では、その後の安保闘争にも参加した歌手の加藤登紀子さんが「闘争は挫折に終わったが、そのエネルギーや魂は今も生き続けている」と語って全員で黙とうをささげ、参加した人たちは安保闘争の時代へのそれぞれの思いをはせていました。 |
詳しいシンポの様子は、「シネマトゥデイ映画ニュース」にアップされていました。
加藤登紀子、政府にもの申す!「戦争に勝利・敗北はない」東京大学・安田講堂で安保熱く語る! (2010.6.16 シネマトゥデイ) 1960年6月15日に起こった日米安全保障条約闘争の国会デモからちょうど50年を迎えた15日、シンポジウム「60年安保闘争の記録と記憶」が東京大学・安田講堂で行われ、社会学者で東京大学大学院人文社会系研究科教授の上野千鶴子氏、ノンフィクション作家・保阪正康氏、社会学者・小熊英二氏、ドキュメンタリー映画『ANPO』のリンダ・ホーグランド監督が参加した。会場は安保闘争をリアルタイムで体験した年配者のみならず、20歳代~30歳代の若い世代など約1,000人の観客で埋まった。 イベントは、ホーグランド監督が、デモ参加中の6月15日に死亡した東大生・樺(かんば)美智子さん(当時22歳)の命日にあたるこの日に、映画を上映したいという熱意から実現したもの。米国ニューヨーク在住のホーグランド監督は、日本映画の英語字幕翻訳の第一人者としても知られ、子ども時代に愛媛や山口で暮らした日本ツウ。映画は、安保闘争を題材にした写真や絵画といったアートを切り口に戦後の日米関係のゆがみを振り返るもので、写真家・石内都氏、画家・中村宏氏、演出家・串田和美氏など約30人のインタビューが収められている。ホーグランド監督は「わたしは1960年について語る資格のない米国人ですが宣教師の両親のもとに日本で生まれ、日本映画にあこがれて翻訳の仕事に携わってきました。その中で、大島渚監督や今村昌平監督の作品を通して、1960年に国民が大きなトラウマを抱える事件があることに気付きました。あの成瀬巳喜男監督の作品も1960年を境にトーンが変わっている。そのときに濱谷浩氏の写真集「怒りと悲しみの記録」(※安保闘争の記録写真集)を紹介され、そのときの怒りや挫折から生まれたアートという文化遺産の存在を知りました。それらを通して日本人の主観的な体験を記録したい。米軍が駐留している苦痛や、日本に抵抗の歴史があったことをアートを通して世界に発信したいと思った」と語り、約15分のダイジェスト版を上映した。 シンポジウムは上野氏の司会で「安保闘争は戦後最大の社会運動であり、失敗に終わった反政府運動から何を学ぶのか?」を中心に話し合われた。・・・・(以下略)・・・・ |
この日のシンポジウムは、ドキュメンタリー映画『ANPO』をつくられた
リンダ・ホーグランドさんの願いに共鳴する人たちの尽力で実現されたとのことです。
シンポの冒頭に、『ANPO』のダイジェスト版が上映されました。
15分だけでも、「戦争を二度と繰り返してはいけない」という言葉が深く心に残りました。
90分の映画の公開は9月とのこと。
一人でも多くの方に観てほしい映画です。
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