みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

境界を生きる:子どもの性同一性障害/3孤独、偏見/4自分を責め、悩む親/5「自分らしさ」求め行動

2010-06-20 08:26:55 | ほん/新聞/ニュース
女性学会、二日目。
軽朝食を食べて、ドーンセンターに出かけます。
ホテルに戻ってくるのはたぶん夜になるので、予約送信しておいた記事を紹介します。

毎日新聞の「境界を生きる:子どもの性同一性障害」の連載は
木曜日まで毎日続いていました。

あまり知られていない「子どもの性同一性障害」に真正面から取り組んで秀逸です。

境界を生きる:子どもの性同一性障害/3 孤独、偏見…「消えたい」

 ◇揺れる思春期 悩み抱え自傷、不登校に
 ただでさえ多感な年ごろだ。性同一性障害(GID)の子どもたちは性別への違和感に加え、学校でいじめや偏見にさらされ、孤独に押しつぶされそうになる。やっと振り返れるようになった若者たちが、苦しかったころを語ってくれた。
 「誰かに助けてほしい。でも自分からは言えなくて。心の痛みを傷の痛みで追い出すしかなかった」。東京都内でアルバイトをする和希さん(19)=仮名=は「これからの子どもたちの役に立つなら」と静かに語り始めた。左手首には線状の傷跡が無数に残っている。
 女の子の体で生まれた自分を男の子と意識し始めたのは、幼稚園のころからという。男子とばかり遊んでいた。小学5年生の時、クラスの女子全員にトイレに引きずり込まれた。「おとこおんな。本当に女なのか証拠を見せな」。下着まではぎ取られた。いじめはしばらく続いた。
 親に勧められるまま、中高一貫の私立女子校に進んだ。「そのうち慣れるだろう」とセーラー服を着て登校したが、つらさは増すばかり。胸が膨らみ、風呂に入るたびに他人の体を洗っているような感覚が襲ってくる。涙がこみあげた。「みんなと違う。おれは変なんだ」。自分が壊れていくようだった。
 未明まで期末テストの勉強をしていた時だった。ペン立てに差していたカッターナイフに目がとまった。刃を左手首に当て、そっと引いた。流れ出た真っ赤な血。何かが軽くなった。
 高校に進むと、小学校時代のいじめの記憶が何度もよみがえり、教室に入れない日が増えていった。「この世から消えてしまいたい」とマンションの10階から飛び降りようとしたが、頭に浮かんだのは警察で死因を調べるため裸にされている自分の姿。「女の体は誰にも見せたくない。死ぬことさえできなかった」という。
 思い切って担任の女性教諭に打ち明けた。「おれ、性同一性障害だと思う。変だと思いますか」
 「おかしくなんかない。ため込んできたことが、いっぱいあるよね。一緒に一つ一つ解決していこう」。初めて聞いた優しい言葉だった。
 このままでは単位不足で進級できないかもしれない。2人は話し合い、まずは体操着で授業に出られるよう学校に働きかけることにした。専門医でGIDとの診断書をもらい、「女子の制服では高校生活への適応は困難」との意見を付けてもらった。だが学校側は対応に迷い、時間ばかりが過ぎた。進級はかなわず、通信制に転校せざるを得なかった。
 和希さんが言った。「高校は友達も先生も大好きだった。できるならみんなと一緒に卒業したかった」。セーラー服を我慢できていたら。もっと早く学校を動かせていたら……。今も自分ばかりを責めるという。
    *
 01年10月から放映されたテレビドラマ「3年B組金八先生」のシリーズ。女優の上戸彩さんが女の子に生まれたことに苦しむGIDの生徒を演じ、大きな反響を呼んだ。この放送で「自分と同じだ」と気付いた子どもは少なくなかった。
 現在は首都圏の大学に通う晶さん(19)=仮名=もそんな一人だ。ドラマを見たのは小学5年生の時。親には言い出せなかった。男らしい体に成長するのを抑えようと1日1食にして給食をほとんど残し、さらしで体を締め付けた。
 和希さん同様、晶さんも一度は「我慢できるかどうかやってみよう」と心を決めた。男子高に進学したが、「男の演技」は半年と持たず、クラスで浮いた存在になってしまった。学ランを着ているのに雰囲気が女性的だからなのか、通学時に電車に乗っていると、好奇の視線を感じ、さらし者にされているようだった。
 そして2年生の秋。体育祭の準備で4階の教室に1人で残っていた時、急に孤独感が襲ってきてパニックになり、ベランダから飛び降りてしまった。命は助かったが、腰椎(ようつい)を骨折。隠してきた悩みを学校側に明かさざるを得なくなった。
 「あの事がなかったら、最後まで『助けて』という信号を出せなかったかもしれない」。その後教諭らは親身に相談に乗ってくれたという。
 大学に入ってからホルモン療法などを受け、自分から打ち明けない限り、もう男性と思われることはなくなった。心のままに生きようとするだけで異質な存在とみられ、孤独になってしまうGID。晶さんはいま、「普通の人でいられる幸せ」をかみしめている。【丹野恒一、五味香織】=つづく

 ◇自殺の危険性高く 「考えた」6割、「未遂」1割
 GIDの当事者を対象にした自殺関連の調査によると、精神的な苦痛は思春期にピークを迎える。
 受診者が多いはりまメンタルクリニック(東京都)で受診者1138人に尋ねたところ、自殺を考えたことがあるという人は62%に上り、自殺未遂経験は10・8%、自傷行為経験は16・1%。
 このうち自殺未遂を起こした年齢が分かった67人を調べると、高校生、中学生、小学生の年ごろの順で多かった。一般的に多い首つりや過量服薬、リストカットだけでなく、体の性別への嫌悪感から胸や睾丸(こうがん)を自分で切ったり、はんだごてを押し当てたというケースもある。
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毎日新聞 2010年6月15日 東京朝刊



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境界を生きる:子どもの性同一性障害/4 自分を責め、悩む親

毎日新聞 2010年6月17日 

 ◇我が子と世間の板挟み 覚悟決め、前向きに
 <あなたは仲間がいるけれど、私は誰にも話せない>
 二ノ宮悠生(ゆうき)さん(29)は、母がくれた手紙にあった言葉が忘れられない。届いたのは地方都市から上京し、同じ性同一性障害(GID)の友人が増え始めたころだった。
 女性の体で生まれた自分の心が男性であると打ち明けた時、母は「どうしてもそうだというなら、あなたを殺して私も死ぬ」と苦しんだ。今では当事者グループのスタッフとして活躍する二ノ宮さんだが、ホルモン療法も手術もするつもりはない。これ以上の心配をかけたくないからだ。
 我が子が性別への嫌悪感に苦しんでいると知った時、親も深い悩みを抱え込む。子どもを守りたいがすぐには受け入れられず、周囲の目も怖い。自分を責める日々が始まる。
 首都圏に住む麻沙さん(21)=仮名=の母(64)もそんな一人だ。中学で不登校になった麻沙さんは第2次性徴で低くなった声への嫌悪感で言葉さえ失ったが、専門医の受診を機に7年間の引きこもりから脱出した。我が子がぽつりぽつりと語りだした記憶に、母はショックを受けた。
 「5歳の時に女の子の格好をしたら、お母さんに『体が違うんだからやめてよ』と拒絶された」「男子の制服に耐えられず、ずっと我慢してたけれどやっぱり女だと泣いて訴えても、『また始まった』と相手にしてくれなかった」
 母にはどれも覚えがあった。「私の何気ない言動がそんなにも子どもを苦しめていたなんて」。父(66)は「ずっと仕事優先で、子どもの悩みに正面から向き合ってこなかった」と唇をかんだ。
   *
 鹿児島市内の温水プール。ガラス越しに子どもたちの泳ぎを見ていた直子さん(41)は、小学5年生だったまりあさん(14)が海水パンツ一枚になっているのに気付き、はっとした。一緒に着せていた女児用水着は脱ぎ捨てられていた。
 まりあさんは幼稚園のころからスカートを嫌い、2人の姉と違って女の子向けのアニメにも興味を示さなかった。直子さんは「もしかして」と感じつつも「隠さなければ、ここでは暮らせない」と不安でならなかった。
 中学生になって間もない昨年6月。好きな子ができたというまりあさんが口にしたのは、女の子の名前だった。「セーラー服を着て、自分と同じおっぱいが付いている。気が狂いそう」と訴える我が子と一緒に泣いた。でも「お母さんも女の人を好きになったことがあるんだ」と聞かれると、とっさに「あるわけないじゃない」と返してしまった。
 まりあさんの笑みが消えた。その瞬間、直子さんは我が子が遠くに行ってしまったように感じた。「この子を理解しないと、いつか親子でいられなくなってしまう」
 夫の雄一さん(44)と一緒に、学校にセーラー服から学ランへの変更を願い出た。校長は他の生徒が動揺するのを恐れ、難色を示すばかり。雄一さんが声を荒らげた。「西郷隆盛も大久保利通も、前例がないところで日本を変えた。同じ薩摩なのに、前例がないと何もでけんとか!」
 直子さんはインターネットで他県の中学生が制服を変更したことを知り、学校に伝えた。校長もやっと前向きな姿勢になった。まりあさんは今年2月にGIDの診断が確定し、4月から学ランでの登校が認められた。
 幼なじみの女子は「制服が変わっても、関係は変わらない」と言ってくれる。最近は男子の友達も増えた。
 大人になっても、男性に仲間として認めてもらえるのか。恋愛や結婚はかなうのか。不安は尽きない。
 「この子を独りにはしない」。両親はGIDの子どもや親たちがつながれるよう、グループ作りの準備を始めた。
   *
 学校での性別変更が昨秋認められた埼玉県の児童の母(47)は、報道後の世間の受け止め方を知りたくてインターネット上のコメントを探した。7割は好意的だが、心ない意見も目にとまる。「周りには不快に思う人もいる。親は何を考えているんだ」。心が折れそうになった。
 子どもはいま小学3年生。毎朝スカートをはき、楽しそうに学校に向かう。「どうして女の子に産んであげられなかったのか」と自分を責め続けたが、ようやく思えるようになった。「生きていてくれれば、それでいい」【丹野恒一、五味香織】=つづく

 ◇各地で家族会や交流会
 GIDへの理解を広める団体が徐々に増えてきた。本人、家族が参加し、悩みや体験を共有できる交流会も開かれている。

▽NPO法人「GIDmedia」(http://gidmedia.org/) 東京・高田馬場を拠点に毎月、10~20代を中心にした交流会を開催。
▽「ESTO」(http://akita.cool.ne.jp/esto/) 秋田県に事務局を置く。東京都内と仙台市内で年数回ずつ親子交流会を開催。
▽「性同一性障害をかかえる人々が、普通にくらせる社会をめざす会」(http://www.gid.jp/) 全国に支部がある。今年から家族交流会を年3回のペースで開く予定。

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境界を生きる:子どもの性同一性障害/5止 「自分らしさ」求め行動
毎日新聞 2010年6月17日 

 ◇若者ら交流、支え合い 勇気得て告白や街頭へ/strong>
 ゴールデンウイークの昼下がり、東京・高田馬場の小さなバーは10~20代の若者約20人で埋まっていた。性同一性障害(GID)の若者らでつくるNPO法人「GIDmedia」が月に1度開く交流会。「家族に打ち明けられない」「学校で居場所がない」。悩みを語り、分かち合おうと、全国から参加者が集う。
 中心メンバーの一人で、心の性別に合わせて男性として暮らす園田純さん(29)が目配りをしながら各テーブルを回っていた。「周りの人に知ってもらうと楽になれるよ。どうしたい?」。ためらう参加者の背中を押すこともある。
 関東地方の高校2年、歩さん(16)=仮名=は自宅から2時間がかりでやって来た。体は女性だが心は男性。学校では男性用の教職員トイレを使えるよう配慮してもらっているが、同級生には秘密だ。ここではみんなが自分を男性として扱ってくれる。「自然体でいられる」解放感が好きだという。
 前回の交流会では、学校で公表し男子として通学している高校生と知り合った。この日も隣に座り、体験談に耳を傾けた。
 仲間との出会いを機に、歩さんも「身近な人に知ってほしい」という気持ちが強まってきた。学校の友達と並んで歩きながら「今なら言えるかも。何て言えばいいかな」とドキドキする瞬間がある。あともう少しで勇気を出せそうだ。
   *
 東京での交流会の2週間後、大阪市内の公民館でも別の交流会が開かれ、約25人が集まった。性別に違和感を持つ生徒たちが安心していられる場所を作ろうと、関西の教育関係者らが数年前から実施。回を重ね、支えられる側から卒業してサポートする側に回った若者もいる。
 初参加した兵庫県の高校3年、奈緒さん(17)=仮名=は腰のくびれや走ると揺れる胸が嫌で仕方がない。髪を短く切り、女性に見られぬよう心掛けているが、そうすればするほど「胸と顔を見比べて、まるで人間じゃない生き物を見るような視線を感じる」。
 この日はみんなで水ギョーザを作り、食べながら自己紹介が始まった。おくすることなく悩みを語って交流の輪を広げていく同世代の子たちに圧倒されたが、収穫は大きかった。「自分だけちゃうんや」
 同じ日、東京のJR新宿駅前では高校生を含むGIDや同性愛などセクシュアルマイノリティー(性的少数者)の若者約20人がマイクを握り、インターネットで募った当事者や家族、友達からのメッセージを読み上げていた。「ありのままの私たちを見てほしい」「どんな性でも個性でも生きていける社会に」
 東京と大阪で07年に始めた多都市同時開催街頭アクション。4回目の今年は8都市に広がり、延べ約100人が参加した。リーダー役の大学生、遠藤まめたさん(23)は「街頭はいろんな人にメッセージを伝えられる。声を掛けてくれる通行人も増えてきた」と話す。
   *
 偏見や差別を恐れ、親や友達にさえ思いを明かせなかったGIDの若者たちが、ようやく声を上げ始めた。
 「GIDmedia」は今夏、神奈川・逗子海岸に初めて海の家を開設する。人前で裸や薄着になるのは多くの当事者にとって苦痛だが、「隠さず、自由にやりたいことに挑戦しよう」と企画した。
 海の家の名前は「BORDERLESS(ボーダーレス)」。性別の境界にとらわれず、自分らしく堂々と生きていきたい。そんな思いが込められている。【五味香織、丹野恒一】=おわり

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 ■ご意見お寄せください
 連載への意見や感想、体験をお待ちしています。〒100-8051(住所不要)毎日新聞生活報道部「境界を生きる」まで。メールは表題を「境界」としkurashi@mainichi.co.jpへ。ファクスは03・3212・5177。



性同一性障害:「打ち明けること大切」--ネクサス高知・永瀬さん /高知毎日新聞 2010年6月9日 地方版

 ◇男性の格好に違和感
 「小学校に入学したころから違和感があった」。県のセクシャルマイノリティーサークル「ネクサス高知」を運営する永瀬まどかさん(仮名)はそう語り過去を振り返る。小学校入学前から赤いランドセルにあこがれた。中学、高校時代はネクタイの着用が嫌で、冬でも半袖シャツを着て過ごした。そうして高校3年の秋、あるホームページで一つの障害に自分が当てはまりそうなことに気付く。「もしかして」と感じたその障害は性同一性障害(GID)。永瀬さんは男性の体を持ちながらも、自分の性に対して違和感を抱えていた。【倉沢仁志】

 GIDは、自分の性に対する違和感▽他の性に同調したいと強く思う心▽それらに伴う精神的・社会的苦痛、などの項目に当てはまることで診断される。
 しかし、三つの項目の内、二つの項目にしか自分は当てはまらない。女性になりたいと強くは思わなかったからだ。「自分が本当にGIDなのか自信が無かった」。そんな気持ちを持ったまま、大学に進学し気付けば2年が過ぎていた。いまだに男性の格好をしたまま学生生活を送る毎日。それに違和感を感じていたが、周囲に打ち明ける勇気もなかった。
 転機となったのは県内のセクシャルマイノリティ自助グループの会合に参加してから。周りが、同性愛やGIDであることを自然に語っているところを見て、気持ちが少し楽になった。「GIDかどうか診断をしてみよう」と心に決めた。高知には充実した受診機関がないため、徳島まで行って受診。帰宅後、家族にGIDであることを告げる。初めはお互いにとまどいや誤解があったものの、家族は無事受け入れてくれた。
 あとは学校でのカミングアウト。どのタイミングで、どのように打ち明けるか、今度はそんな迷いが生じた。同時期に高知大医学部のメンタルヘルスケアクラブ(MHCC)から講演会の依頼を受ける。学生たちがカウンセリングや精神医学を学んでいるクラブだ。「打ち明けるきっかけになれば」と依頼を引き受けた。講演で永瀬さんは自分のことを精いっぱい話し、後のクラスメートへのカミングアウトにつなげていった。
 現在も永瀬さんはトイレや更衣室、免許証での身分証明など、日常生活で自分の性について不便と感じることは多い。選挙に行っても、毎回本人確認を入念にされる。警察からの職務質問では、改名した免許証を見せても「男?女?」と性別を求められる。それでも「私は確かにGID。けどつらくはない。ただ面倒くさいだけ」。そう言って見せた笑顔は穏やかだった。

 ◇驚きと笑い 高知大で講演会も
 MHCCは今年も講演会を実施する。「驚きや笑いもあって面白い」と好評で今年で3回目。永瀬さんは「来場者には『性』について理解をするのではなく、むしろ混乱して帰ってほしい」と意気込む。分からなくなることで、考えることにつながるからだ。
 MHCC代表の西川浩文さん(27)は、「教科書にはない身近な話が聞ける、貴重な機会」と話している。講演は9日午後6時10分から、高知大医学部(南国市岡豊町小蓮)の講義棟1階。入場無料。
毎日新聞 2010年6月9日 地方版



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6月19日(土)のつぶやき

2010-06-20 00:44:40 | 花/美しいもの
10:54 from movatwitter
これから女性学会にでかけます。会場は大阪のドーンセンター。明日の夕方からはWANの総会です。
16:30 from movatwitter
女性学会。休憩が終わって、後半のディスカッション。
by midorinet002 on Twitter
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