みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

原発にこのまま頼っていけるのか?(下)●「人任せでは命守れない」寺町みどり

2011-07-25 17:34:01 | 地震・原発・災害
きょうは連れ合いのバースディ。
昨日、名古屋で途中下車して買ってきた、、好物の「堂島ロール」をプレゼントしました。
賞味期限がきょうまでだったので、二人でペロッと完食し、
さすが、お昼ごはんはパスしました(笑)。

 


友人にいただいた一点物のてづくりの素敵なガラス皿で涼しげに。

朝日新聞岐阜版の特集【浜岡停止 市民たちに聞く】の
「原発にこのまま頼っていけるのか?(下)」がアップされたので、紹介します。
松井さん、兼松さん、安楽さんは全員、知り合い。
最後の●「人任せでは命守れない」は、わたしの記事です。

「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(開沼博著)の書評が
中日新聞にも掲載されましたので、あわせて紹介します。
本が品切れだったのですが、やっとわたしも入手して読み終えたところです。

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 【浜岡停止 市民たちに聞く】原発にこのまま頼っていけるのか?(下) 
2011年07月23日 朝日新聞

●事故は「史上最悪の公害」 岐阜の医師・松井英介さん
 岐阜市の医師、松井英介さん(73)=放射線医学=は、内部被曝(ひばく)の危険性を一貫して強く訴えてきた。1回だけ外部からX線を浴びるレントゲン撮影と違い、大気や食物から体内に取り込んだ放射性物質が、長時間繰り返して細胞の至近距離で照射するからだ。
 もちろん、外部被曝も強力な場合は確実に人体に影響を与える。66年前の8月6日、原爆によって広島で死亡した人たちが顕著な例だ。しかし、当日は爆心地から遠い場所にいながら、肉親捜しや作業のため数日後に現地に入った多数の人々も放射線障害に苦しんでいる。これが内部被曝の恐ろしさだ。
 松井さんによると、少しの損傷であれば染色体は正常に回復する。だが、多くの箇所が何度も破壊されると、元とは違う部分と結合することがある。この染色体の異常が、ガンや先天性障害の原因になる。
 政府が示す様々な被曝許容量は内部被曝を考慮していない。だから、福島県内の汚染がれきの処理基準を緩和しようという動きも出てくる。松井さんは「線量は低レベルでも細胞にとっては脅威。他県で焼却・埋め立てすれば新たな内部被曝を生む」と警告する。
 アスベスト被害の救済にも取り組んだ松井さんは、今回の事故を「史上最悪の公害」とみる。国民と原発労働者に計り知れない生命の危険をもたらしたからだ。
 松井さんは、福島県の子どもの集団移転や、農林水産業で生計を立てていた世帯が別の場所で同じ業を営めるような措置を提唱する。そして、「公害である以上、原因者の国と東京電力らが費用負担するべきだ」。

 ●あらゆる想定、クリアせよ 名古屋の市民団体・安楽知子さん
 名古屋市の安楽知子さん(48)は、「核のごみキャンペーン・中部」で、静岡県の中部電力浜岡原子力発電所の監視を続けている。菅直人首相の要請で運転を停止しているが、地震に対する認識がそもそも甘いのではないかと危惧している。中電が想定する東海地震の揺れは、国の中央防災会議が作ったモデルを前提にしているからだ。
 安楽さんによると、モデルはあくまで平均的な数値。地震で特に強い揺れを放つ「アスペリティー」と呼ばれる領域の位置も、震源域の深さも実際に地震が起きるまでは分からない。
 国の原子力安全委員会は2006年、原発の耐震指針を28年ぶりに見直した。しかし、07年の中越沖地震の際、新潟県の柏崎刈羽原発では想定以上の揺れを観測。放射能漏れも引き起こした。そして今年、福島では……。
 「原発を設置するなら、あらゆる想定で一番厳しい条件をクリアしてから」。安楽さんが電力会社に求めることだ。ただ、そうなるとコストがかさみ電気代に跳ね返る。ただでさえ浜岡原発は、防波壁に金を費やしている。そこまでして造らなくてもいい、と思う。
 気になるのは電力会社だけではない。当時東大大学院教授だった原子力安全委員長の班目春樹氏が07年2月、浜岡原発をめぐる訴訟で「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、物なんて造れない。割り切りです」と証言したことだ。
 「国民に実験台になれということなのか。運試しに付き合っていると大変なことになる」と安楽さん。「大変なこと」はすでに始まっている。

 ●放射能ゴミ、受け入れ阻止を 岐阜の市民団体代表・兼松秀代さん
 「放射能のゴミはいらない! 市民ネット・岐阜」。文字通り、放射性廃棄物の受け入れ阻止を訴える団体だ。岐阜市の兼松秀代さん(63)が代表を務める。
 1995年8月、旧動燃(原子力研究開発機構)が瑞浪市に超深地層研究所を作るという新聞記事を読んだ。「何だろう」。友人と2人で動燃中部事業所に聞きに行った。「地層を科学します」「開かれた研究施設にします」。意味が分からなかった。きちんと説明できないのは何か変だと思い、勉強を始めた。
 動燃が86年には東濃ウラン鉱山で高レベル放射性廃棄物地層処分の研究を始めていたこと、岡山県・人形峠での動燃のウラン再燃料化実験が問題になっていること。いろいろ分かってきた。「こんなに馬鹿にされて……」。心底腹が立った。以来、超深地層研究所の動向に目を向けている。
 放射性廃棄物を研究所に持ち込まない。動燃と県、瑞浪、土岐両市の4者が結んだ協定に明記されている事項だ。しかし、兼松さんは「研究所周辺は大いにありうる」と警戒する。
 フィンランドやスウェーデン、フランスなどヨーロッパでは、研究所を含む原子力施設の近隣地域に処分場の建設が決まったり、候補地になったりしているからだ。政権交代後の事業仕分けで、「絶対に(処分場に)ならないという前提か」と問われた文部科学省は「そこは非常に微妙です」と答えている。
 兼松さんらは、放射性廃棄物拒否条例の制定などを求める質問書を2010年12月、古田肇知事に出した。回答はまだない。(青瀬健)

 ●「人任せでは命守れない」 山県の市民団体事務局・寺町みどりさん
 山県市の寺町みどりさん(59)は「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」事務局。30年近く前に、核廃絶を訴える市民団体を作った。原発にも目を向け「細々と」反対運動を続けていた1986年、チェルノブイリの事故が起きた。
 岐阜に最も近い原発は福井県にあり、1年の7割は東海地方に向かって風が吹いている。これを市民に幅広く知らせようと88年3月、関西電力美浜原発前の砂浜から風船2千個を飛ばした。県内では八百津町や大野町で見つかった。一部はたった2時間後に拾われていた。複数のメディアが取り上げたが、どれだけ市民が関心を持ったのかは分からない。
 そして福島の事故。発生を知った寺町さんは、6年前に始めたブログと、2年前からかかわっている女性総合情報サイト「ウィメンズアクションネットワーク」に、次々に新着情報をアップした。
 原発に限った反対運動は今はしていない。事故を受けて「続けていたらよかった」というじくじたる思いはある。だが、長年の蓄積をもとに情報やその意味を伝えることはできる。
 「事故は起きる。次は福井かもしれない。明日かもしれない」。そうなった場合に、どう対応するのかを日々考えている。
 チェルノブイリでも神戸でも、行政が機能しないさまを見てきた。
 「人任せでは命と暮らしは守れない。できるだけ多くの情報を仕入れて、自分で信じられると思ったものを選んで欲しい」。その一助にと、日々発信を続けている。 


 【浜岡停止 市民たちに聞く】 原発にこのまま頼っていけるのか? (上)(2011-07-23)

浜岡停止 国会議員に聞く
原子力政策のあり方について、県選出の国会議員はどう考えているのか聞いた(朝日新聞)
 

 「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか [著者]開沼 博
[評者]川村 湊(文芸評論家)

■都市化の幻想煽った「原子力」
 二つの「原子力ムラ」がある。官・政・財・学の世界が癒着し、危険で不経済な発電用原子炉を日本中で現在五十四基も稼働させた「原子力マフィア」といったほうがいい「ムラ」と、その原発と関連施設が立地する「ムラ」だ。この本で取り上げられているのは、もっぱら後者で、具体的な対象はまさにタイムリーな「フクシマ」という原子力ムラである。
 もちろん、この大部で綿密な社会学的著述が、3・11以降、にわかにまとめられるはずはない。この本は今年一月十四日に東大大学院学際情報学府に修士論文として提出された「戦後成長のエネルギー-原子力ムラの歴史社会学」が基である。それが『「フクシマ」論』という書物となって出されたのは、当然、3・11の原発災害が引き金となっている。「注目されるべきではない研究」が、にわかに注目の的となってしまったのだ。
 「フクシマ」という原子力ムラが形成されたのは、戦前と戦後、そして現在に至るまでの日本の近代における<中央と地方>の葛藤と共犯の歴史に関わっている。衰退してゆく地方の村を一発逆転で近代化、都市化する幻想のメディアとして「原子力」があった。柏崎、福島(常磐)、玄海など、原発の立地する原子力ムラは、かつて石炭や石油(そしてウラン!)の産地であり、エネルギー転換の政策の下でムラが徹底的に衰亡し、過疎化する過程で、「原子力」という打ち出の小づちとも、やがては全身を滅ぼす麻薬ともなりうるものを<誘致>してしまったのである。
 「東京へゆくな ふるさとを創れ」と戦後詩人の谷川雁はうたったが、「東京になるな」とはいわなかった。「フクシマになるな」と、この若い福島県いわき市出身の社会学者は、自分の故郷に向かって言わなければならなかった。3・11以降、真に読むべき原発本が二十代の著者によって書かれたことを称(たた)えたい。
2011年7月24日 中日新聞



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