みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

発信箱:「今変わらねば」=永山悦子(科学環境部)/ルタオのチーズケーキ「ドゥーブルフロマージュ」

2011-10-07 21:31:40 | 花/美しいもの
昨日は東京で島崎今日子さんと上野さんの対談を聴いて、
一晩泊まって帰ってきました。

11月の「議員と市民の勉強会」の課題の提出が始まっているので、
かえって休む間もなく届いたレジメを読んで対応。

お土産に東京駅で見つけたルタオのドゥーブルフロマージュ(チーズケーキ)を買ってきたので、

   

ともちゃんに淹れてもらったコーヒーを飲みながら、

  

おいしいねー、と言いながら、

   

二人で半分を、ペロッと食べてしまいました。
   

よく考えたら、急いで帰ってきたので、お昼ご飯を食べていませんでした。

チーズケーキを食べてエネルギー補給して元気が出たら、もうひと仕事。

  

青菜たっぷりの夕ご飯も、ともちゃんがつくってくれました。

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毎日新聞の発信箱で、亡くなった高木仁三郎さんの名前を見つけました。
高木さんが生きていたら・・・と思わずにはいられません。

  発信箱:「今変わらねば」=永山悦子(科学環境部) 

「山には、きびしさをもって我々に対するものと、暖かく我々を包容してくれるものと、二種類ある」

 深田久弥の「日本百名山」で、こう始まる「赤城山」(群馬県)の項。「赤城山はその後者のよい代表である」と続く。この赤城山に包まれるように、反原発運動の理論的主柱と呼ばれた高木仁三郎さんが眠っている。11年前の10月8日、62歳で亡くなり、赤城山に散骨された。

 高木さんは高校時代まで赤城山の裾野、前橋市で過ごした。冬は強い季節風「赤城おろし」が吹き荒れる。著書で、「この自然の峻烈(しゅんれつ)さに、何がしかの影響を受けた」とつづる。まさに北風に立ち向かうかのように、脱原発を目指すNPO「原子力資料情報室」に設立からかかわり、原発の危うさを訴え、社会へ警告し続けた。

 赤城山への散骨は、高木さんの遺言だった。人間が自然を克服し、生活から切り離そうとする社会に疑問を持っていた。だから「自然へ帰りたい」と願い、古里・赤城山へ帰った。最期に、「自分はいなくなるが、核や原発を利用しない社会を作ってほしい」と言い残して。

 ところが、原子力政策も社会も変わらぬまま、福島の事故が起きた。高木さんの命日を前に、ゆかりの人はどう感じているのか。妻の久仁子さん(66)は「彼が生きていたら、今変わらねば大変なことになる、と訴えるだろう。元のもくあみになることが一番怖い。人間にとって何が大事なのか。一人一人が考え、行動してほしい」と話す。前橋市に住む長姉の佐藤香(かおる)さん(86)は、こうつぶやいた。「仁ちゃんは、かわいそうなことをしました。もっと早く国が言うことを聞いてくれればよかったのに」

 2人の訴えは同じだ。こんな後悔を繰り返してはならない、と。

毎日新聞 2011年10月4日


   
名古屋駅から見たミッドランドスクエア。
行きは名古屋で途中下車して、高島屋でこの時期限定販売の『すや』の栗のきんとんを買いました。


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