みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

「〈私〉だけの神―平和と暴力のはざまにある宗教」「 アイデンティティと暴力――運命は幻想である」

2011-10-11 21:04:49 | ほん/新聞/ニュース
朝日新聞の書評に乗っていた本が読みたくて、
先週、高島屋9Fの自由書房に行ってきました。

ところが、
もう売れてしまったのか、書評が張り付けてある新刊紹介のところにもなくて、
そうなると、読みたくなるのが人の常、というもの。

図書館に行ってみたら、新着図書の棚に、
「〈私〉だけの神―平和と暴力のはざまにある宗教」がありました。

   
 〈私〉だけの神―平和と暴力のはざまにある宗教 [著]ウルリッヒ・ベック/岩波書店 

読み始めているのですが、難しい本で・・・
でもおもしろい本です。

 〈私〉だけの神―平和と暴力のはざまにある宗教 [著]ウルリッヒ・ベック   
[評者]松永美穂(早稲田大学教授)  [掲載]2011年09月25日  

■異なる信仰、いかに共存するか
 世界を震撼(しんかん)させた同時多発テロから十年。世界は一向に平和になったように見えない。つい最近も、右翼思想の青年がノルウェーでテロ事件を起こしたばかりだ。グローバル化の進む社会のなかで、価値観の異なる者同士がどのように共存していくべきかが切実な問題になっている。
 「個人化」「リスク社会」というキーワードで知られるドイツの社会学者ベックは本書において、宗教が国境を超えて平和を生み出す力を持つ一方で、信仰者と不信仰者を区別し、不和と暴力の原因を作ってしまう可能性も指摘して、さまざまな角度からの現状分析を行いながら、「個人化」する宗教の、平和創出の可能性を探っている。
 ドイツでは、20世紀前半ごろまで、親の宗教を子が受け継ぐのは当たり前だった。無宗教も含め、自分の宗教を自分で選べるようになったのは比較的最近のことだ。こうした「個人化」によってヨーロッパのキリスト教会が著しく衰退したのに比べ、たとえばアフリカでは、キリスト教徒がめざましく増加している。逆に、移民の流入により、ヨーロッパに住むイスラム教徒の数がどんどん増えているのは周知の事実だ。狭い地域に複数の宗教の信者が混住するのが普通になっている。
 それぞれの宗教が唱える「真理」が信仰の異なる者を排斥せず、他者と平和的に共存するためには、何が必要なのか? 「自由とは常に、思想の異なる者の自由」といったローザ・ルクセンブルクの言葉が思い起こされる。
 ベックはユダヤ人エティ・ヒレスムが記した神との対話や、ガンジーの「方法論的改宗」、ドイツの劇作家レッシングが示す三つの指輪のたとえ(父親が全く同じに見える「家宝の指輪」を三人の息子に与える話。「真理」と「宗教」の関係を表す)などを挙げている。スピリチュアルな共存を考える上での、たくさんのヒントがありそうだ。
    ◇
 鈴木直訳、岩波書店・3465円/Ulrich Beck 44年生まれ。『危険社会——新しい近代への道』など。


今日の岐阜新聞にも書評が載っていました。


2011.10.12 岐阜新聞


もう一冊は、もっと難解と思われる、『アイデンティティと暴力―運命は幻想である』。
何しろ、出版社は勁草書房で、著者はアマルティア・センですもの。

アイデンティティと暴力―運命は幻想である 
[著]アマルティア・セン

2011.10.2 朝日新聞
 
■「単一帰属」の幻想を打ち砕く
 グローバル経済の格差と貧困を温床とするテロと暴力の連鎖。この、それこそグローバルなテーマにどう向き合ったらいいのか。
 本書は、ノーベル経済学賞受賞のセンによる渾身(こんしん)の処方箋(しょほうせん)である。そのキーワードは、アイデンティティーだが、本書が心打つのは、センが自らのアイデンティティーをめぐる「生体解剖」的な分析を通じて、アイデンティティーの複数性と「選択」の必要を説いていることにある。
 この揺るぎない信念から、センは、暴力への誘因となる「単一帰属」のアイデンティティーの幻想を打ち砕こうとする。その一つが、狭隘(きょうあい)な利己的功利主義に基づく「合理的愚か者」の幻想だ。これは、一切の個別的なアイデンティティーを消し去り、人間をただ欲望機械のような利己心だけで動く「普遍的な」アイデンティティーに還元しようとする。このような還元主義を代表するのが、新自由主義的な市場原理主義の幻想だ。
 これに抗(あらが)うようにテロや暴力に走る宗教的原理主義があり、そしてより知的な意匠をこらした還元主義的な単一アイデンティティーの幻想がメディアや学術の世界を闊歩(かっぽ)している。マイケル・サンデルに代表されるような共同体主義(コミュニタリアニズム)と、ハンチントンの「文明の衝突」論だ。両者とも、人間と社会を、「共同体」と「文明」という単一のアイデンティティーに還元し、アイデンティティーの複数性と選択の自由を否定する点で共通している。これらもまた「運命」としてのアイデンティティーという幻想を分かち持ち、目に見えない暴力に荷担(かたん)していることになる。
 センの共同体主義の解釈などには異論もあるかもしれない。しかし、本書は、アロー以降の社会選択論・厚生経済学とともに、ロールズ流の公正としての正義や自由論を受け継ぐセンの信仰告白にも近いマニフェストとして読み応えがある。
    ◇
 大門毅監訳・東郷えりか訳、勁草書房・2205円/Amartya Sen 33年生まれ。ハーバード大教授。 



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東京で、でっかい新高梨をもらってきました。
包み紙を見て「しんこうなし」と言ったら、
「にいたかなし」と教えてもらいました。

   

食べたことがないのが、バレバレです。
梨は好きなので、一個でもずっしり重いのに、3個ももらってきました。

持ち帰った梨を見たともちゃん、「にいたかなし」と知っていました。
「めちゃ高価な梨だよ」と聞いて、さっそく調べてみました。
超特大は一つ、3000円ほどもします。
「新高梨ははガリガリして好きじゃない」と、いくらでももらえそうだったので、
どんなに重くても、もう少したくさんもらってくれば良かった、
と後悔している、欲張りなみどりです(笑)。

  新高梨(にいたかなし)
秋の定番!梨の「王様」と呼ばれて・・
味覚、風味、大きさ共に秋のNo1と言えば「新高梨」。大きさばかり話題に上りますが、香りが良い梨としても有名です。
他の品種の梨と決定的に違うのが「保存して熟す」ことです。
よく「新高はガリガリして硬い」などの感想を見かけますが、そういった場合は梨が新しくて若い可能性があります。
半分に切った後でも「若いな」と感じましたらラップして冷蔵庫へ。3日~で熟して芳醇な香りが出てきます。
それに合わせて少し実も柔らかく食べやすくなります。(加減問題ですので、くれぐれも置きすぎにご注意!) 
よく呼び名が間違われますが正しい呼び名を是非覚えて欲しい!
「しんこうなし」 →×
「にいたかなし」→○  


東京駅で、ルタオのお隣の店で、かわいいチーズケーキを買ってきました。

   

勉強会の課題のレジメを見てる合間に、コーヒーと食べると、ほっとします。

   

脳は甘いものを欲しがっている、と実感。

あしたは、新高梨(にいたかなし)をむいて食べよう。

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