高浜原発3号機と4号機について、今年3月大津地裁が、
運転の停止を命じる仮処分の決定を出し、
関西電力は、仮処分の決定の効力を停止するよう申し立てていました。
今日、大津地裁は効力の停止を求める申し立てを退けたというニュースが入ってきました。
高浜原発は再稼働できない状態が続くことになり、良かったです。
きょうの朝日新聞と毎日新聞の社説は、どちらも
7月の参院選で、安倍首相や与党が、憲法改正の争点隠しをしていることを
批判する内容です。
まずい政策については争点を隠して、選挙で勝てば、
その政策を表に出してすすめるというのは、安倍政権の常套手段。
今度こそもうだまされないぞ、と有権者がNO!の意思を示しましょう。
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ところで、
毎日新聞に「(選挙に)「勝てば正しい」は間違い」という
とてもおもしろい記事が載りましたので、紹介します。
多数決の問題点と弊害を、言葉で明確に説明していて、なるほど!、と思いました。。
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関西電力は、仮処分の決定の効力を停止するよう申し立てていました。
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高浜原発は再稼働できない状態が続くことになり、良かったです。
きょうの朝日新聞と毎日新聞の社説は、どちらも
7月の参院選で、安倍首相や与党が、憲法改正の争点隠しをしていることを
批判する内容です。
まずい政策については争点を隠して、選挙で勝てば、
その政策を表に出してすすめるというのは、安倍政権の常套手段。
今度こそもうだまされないぞ、と有権者がNO!の意思を示しましょう。
社説:参院選 改憲の是非 正面から問わぬ不実 2016年6月17日(金)付 朝日新聞 各政党の党首らが街頭演説に繰り出し、公約も出そろって参院選は事実上スタートした。 その中で、与党側からぱったり聞こえなくなったのが、憲法改正をめぐる議論である。 安倍首相の最大の政治目標が憲法改正であるのは周知の事実だ。先の国会では「参院選でも訴えていきたい」「私の在任中に成し遂げたい」と強い意欲を何度も示してきた。 ところが、これまでの街頭演説では一切、触れていない。 民進党の岡田代表が、安倍政権による9条改正反対を公約の2本柱のひとつに掲げ、街頭演説でも力を込めて訴えているのとは対照的だ。 憲法改正は、日本国民が戦後経験したことのない極めて大きな政治テーマだ。それを実行したいなら、最大の争点と位置づけてしかるべきだ。 それなのに、首相は国会中の雄弁とは打って変わって口をつぐむ。この姿勢は不可解であり、争点隠しの意図があるなら不誠実と言わざるを得ない。 自民党が公約で憲法改正について触れているのは、26ページの冊子の末尾の2項目だ。 この参院選から導入される、県境をまたぐ合区を解消するため、「憲法改正を含めそのあり方を検討します」とうたい、次に「衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」と記している。 合区の解消から改憲に取り組むのかと思いきや、稲田政調会長は「そこはさまざまな考え方がある」とはっきりしない。 これでは憲法改正といってもどの条文を、どのように改正するのか、有権者には相変わらずわからないままだ。 一方、自民党と連立を組む公明党は、公約で憲法改正に触れていない。山口代表は「議論が成熟しておらず、参院選の争点にはならない」と説明する。 自民、公明の両与党とも、国民に正面から憲法改正を問おうとしない。それで両党とその補完勢力で改憲発議に必要な3分の2の議席を得たとしても、改憲論議を一気に進めることが許されるはずがない。 安倍政権はこれまで、世論が割れる政策については選挙の際に多くを語らず、選挙で勝てば一転、「信任を得た」とばかりに突き進む手法をとってきた。特定秘密保護法や安全保障関連法の制定がその例だ。 公約の末尾に小さく書かれた「憲法改正」の4文字。これを、同様の手法を繰り返す伏線とさせるわけにはいかない。 |
社説:参院選へ 改憲志向の首相 「沈黙」は何を意味する 毎日新聞2016年6月17日 国会の閉会以降、安倍晋三首相は参院選向けの全国遊説に飛び回っている。勝敗のカギを握る1人区を中心に、ほぼ連日のペースだ。 首相は言う。最大の争点は経済。これからアベノミクスのエンジンをフル回転させる。民進、共産の野合勢力は日米の絆を断ち切ろうとしている。自公に託すか、民共に託すかを決める選挙だ、と。 各地での演説内容にはもう一つ、奇妙な共通点がある。憲法について何も語らないことだ。 改憲を究極の政治目標に掲げる首相の沈黙は、何を意味するのか。 小手先の選挙戦術では 少し前までの首相は違った。 年頭の記者会見で「憲法改正は参院選でしっかり訴えていく」と述べたのに続き、直後のNHK番組では「改憲を考えている責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」と踏み込んだ。 憲法改正案を発議するには衆参両院での「3分の2」が絶対要件だ。今年の参院選でそのラインをクリアしたいという意思表示である。3月には「私の在任中に成し遂げたい」と実現の期限にも言及した。 安倍氏の自民党総裁任期は2018年9月までだ。特例的な任期延長がない限り、今回の参院選がラストチャンスになる。衆参同日選が可能になるような国会日程を組んだのも、改憲への執念とみられていた。 もしも、憲法改正の機が熟していないと首相が考え直した結果の沈黙であるなら、決して不自然なことではない。国の骨格を定める憲法は、国民の広範な同意に支えられるべきものだからだ。 しかし、実際に首相が改憲を棚上げしたとは到底考えられない。首相が好んで口にしてきた「戦後レジームからの脱却」とは、「占領軍による押しつけ憲法の書き換え」と同義と受け止められている。 すなわち、遊説で憲法に触れないのは、ひとえに選挙戦術であろう。自民党幹部は「改憲を訴えても票にならない」とあからさまに語る。 自民党が参院選用に作成した公約集は、「経済の好循環」が前面に押し出されている。憲法はと言えば、最後に申し訳程度に「各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」とあるだけだ。憲法のどこを改正するかも書かれていない。 選挙の時は経済一本やりで支持を求め、首尾よく勝利を収めたら、その力を安倍カラーの濃い政策に転用する。特定秘密保護法も、安全保障法制も、その方式で成立を見た。 仮に首相が再び同じやり方で改憲を狙っているとしたら、有権者を愚弄(ぐろう)するものではないか。憲法に対しては、奇策に頼ることなく、正々堂々と訴えることが、最高権力者の取るべき態度であろう。 憲法は、国民と政府が共有する最も大事な決まり事だ。そのあり方について不断に議論がなされるのはむしろ健全な社会の証明にもなる。 ただし、今の日本ではなかなか落ち着いた憲法の論議が成立しない。その大きな要因は、政権党である自民党が時代に逆行するような改正草案を保持していることだ。 論議の土台を立て直せ 野党時代の12年にまとめられた自民党の草案は、前文で日本の伝統を賛美し、天皇の国家元首化や自衛隊の「国防軍」化、非常時の国家緊急権などを盛り込んでいる。 しかも、国民の権利を「公益及び公の秩序」の下に狭く制限しようとする条文がいくつもある。 人間は本来、多様だ。多様な集団が一定の領域で共存していくために、憲法という決まり事がある。なのに、自民党の草案は、憲法によって国民を一つの型にはめ込もうとしているかのようだ。 小泉政権時代、自民党の立党50年に合わせて採択された新憲法草案は、まだしも穏健だった。伝統賛美の前文はなかったし、天皇の元首化にも触れていない。自衛隊は「自衛軍」となっていた。 このように自民党の立ち位置が大きく右に寄った反作用として、旧民主党の左傾化が目立つようになった。現民進党もその流れにある。 民進党の参院選ポスターの一つには「まず、2/3をとらせないこと。」と書かれている。これでは民進党が憲法にどう向き合おうとしているのか、伝わってこない。 自民党が観念的な自主憲法論に固執し、最大野党がかつての社会党のように「改憲阻止」に主眼を置くようでは、憲法をめぐる論議は空洞化する一方だろう。 改憲勢力が参院で3分の2に到達するかどうかは、確かに重要な指標だ。ただ、内実を伴わなければ数の消長はむなしいものになる。 選挙戦を通じて、憲法論議の土台を健全な形に立て直すよう与野党に求めたい。無論、最も大きな責任を負うのは自民党である。 独善的なイデオロギーで憲法を扱ってはならない。ましてや、「改憲隠し」で票を集めるような発想はもってのほかだ。選挙の前と後での使い分けは許されない。 |
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毎日新聞に「(選挙に)「勝てば正しい」は間違い」という
とてもおもしろい記事が載りましたので、紹介します。
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そこが聞きたい:多数決の結果は民意の反映か 坂井豊貴氏 「勝てば正しい」は間違い 慶応大教授・坂井豊貴氏 参院選が22日に公示される。結果次第では選挙後に憲法改正の発議や国民投票がある可能性もある。これらは全て多数決で決められる。その結果が民意だとされているからだ。だが、それは本当に正しいのか。「多数決を疑う」(岩波新書)の著者、坂井豊貴・慶応大教授(40)に聞いた。【聞き手・尾中香尚里、写真・中村藍】 −−「多数決を疑う」必要性を訴えているのはなぜですか。 「選挙で勝った自分の考え方が民意だ」という政治家の言葉を、よく耳にするようになったからです。選挙に勝ったというだけで、政治家が自分のやることを全て正当化するのは、大変危険なことだと危機感を持っています。 選挙では候補者や政党が、複数の政策を「抱き合わせ」で訴えます。AさんとBさんが争い、Aさんが勝つとします。しかし、同じ選挙で個々の政策ごとに多数決をとったとすると、全ての政策でBさんの政策が選ばれ、実現する政策が正反対になり得る。これを「オストロゴルスキーのパラドックス」==と呼ぶのですが、数学的にはこんな可能性が実際に生じます。ある政治家が勝ったからといって、彼の政策が有権者から支持されたとは限らないのです。 −−多数決にはどんな問題があるのですか。 多数決というと、いかにも多数派の意見が尊重されそうです。だから「少数意見も尊重せよ」と言われるのですが、そもそも多数決が本当に「多数派の意思」を尊重しているのかというと、極めて怪しいのです。 致命的な欠陥として、多数決は「票の割れに弱い」点が挙げられます。2000年の米大統領選で、共和党のブッシュ氏と民主党のゴア氏が争いましたが、第3の候補・ネーダー氏が現れ、ゴア氏の票を食ってブッシュ氏が勝ちました。最近の国政選挙で野党候補が乱立し、野党側の票が多い場合でも与党が勝った例も同様です。 今回の参院選で、野党は1人区で候補者を一本化しました。好むと好まざるとにかかわらず、そうせざるを得ないのです。しかし、結果として選択肢が減り、有権者は細かな意思表示ができません。 また、全ての有権者から2番目に支持されている候補がいると仮定します。万人のための民主主義の観点からは望ましい候補ですが、この候補は多数決の選挙では1票も得られない。有権者は1位の候補しか選べないからです。 だから候補者は万人に配慮するより、極端な発言で悪目立ちしたり、特定の層への配慮やバッシングをしたりするようになります。候補者が悪いというより、制度が彼らをそうさせてしまうのです。結果として多数決が社会の分断を招きかねない。多数決は民主主義との相性が悪いのです。 −−では、憲法改正の発議要件である「3分の2以上の賛成」など、圧倒的多数の支持を求めている場合は、多数決の結果が多数派の意思を表したと言えますか。 50%より大きい可決ラインを求める多数決を「特別多数決」といいます。重要なことを多数決で決めるなら、次のようなことが起きないようにすべきだと考えます。 現行案Aと、代替案B、Cの3案があるとします。B案はA案より、C案はB案より人気があるが、C案よりA案の方が人気がある−−。これを「多数決のサイクル」と呼びます。じゃんけんの三すくみのような状態ですね。こうした状態が起きないようにするには、数学的には最低でも64%以上の賛成が必要とされています。 「3分の2以上の賛成で可決」は、ハードルの高さとして適切です。ただし、憲法改正について言えば、衆院では小選挙区制の導入で「地滑り的勝利」が頻発しており、「3分の2の賛成」は高いハードルではありません。一方、発議後の国民投票は過半数の賛成で可決。過半数とは投票で物事を決める時の最低ラインです。 つまり衆院の「3分の2」も、国民投票の過半数も、改憲のハードルとしては低い。改憲への実質的なハードルは、複数区や比例代表の比率が高い参院選だけなのです。その意味でも、今回の参院選はとても重要です。 −−多数決の弊害を緩和する仕組みはあるのですか。 私が推すのは「ボルダルール」という制度です。スロベニアの国会議員選挙の一部などで用いられています。これは、3人の候補者がいれば、1位に3点、2位に2点、3位に1点と加点します。このルールのもとでは、選挙で勝つためには多くの有権者から少しずつ加点した方が有利。先ほどの「全ての人から2位になる候補」は、かなり強くなります。 従来の多数決に決選投票を付ける方法もあります。自民党総裁選や、旧民主党の代表選で用いられています。死票を減らし、少なくとも多数派の意思をより尊重することはできます。 −−しかし現実に、多数決を用いた選挙制度は、日本だけでなく世界の多くの国で採用されています。多数決で選挙が行われるなかで、有権者や選ばれる政治家は何に留意すれば良いのでしょうか。 繰り返しますが、多数決は票の割れに致命的に弱い。勝った候補が有権者の多数派であるとは限りません。また、全ての有権者から2位にされる候補は勝てないことから分かるように、勝った候補が有権者の広い支持を得られているとも限りません。 そうであれば、道徳的な話になってしまいますが、権力の使い方には節度がなければなりません。権力を使う側には「節度を持つことが必要だ」という自覚を持つ必要があります。節度を持つとは、つまり「立憲主義的抑制を守る」ということです。多数派の力でやるべきではないこと、合法であっても権力の使い方として正しくないことについて、権力者は常に自覚すべきです。 有権者も、常に権力をチェックすることを忘れてはなりません。おかしな権力の使い方があれば、きちんと声を上げるべきです。 現行制度では、選挙から次の選挙までの間は、有権者には手続きとしての意思表示の機会がありません。ですから、投票以外の意思表明の場、例えばデモや言論活動などについて、参加はしないまでも、リスペクトする(敬意を払う)ことはとても重要なことだと考えています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■人物略歴 さかい・とよたか 1975年広島県生まれ。米ロチェスター大博士課程修了。専攻は社会的選択理論。横浜国立大、慶応大経済学部准教授を経て2014年より現職。著書「『決め方』の経済学」が近日刊行予定。 |
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