みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

明治の高カカオ「チョコレート効果」CACAO86%と72%/<虐待サバイバーと家族>(上)止めたい、暴力の連鎖(下)孤独な育児、親のケアを

2019-02-03 21:11:22 | ほん/新聞/ニュース
2年ほど前から、高カカオチョコレートを毎日少しずつ食べています。
1年ほど前からは、おいしいチョコをネットで探して
75%チョコを購入していました。
年明けに注文しようと思ったら、
明治の「チョコレート効果」CACAO72%の
1キロ入りの大容量ボックスが出たことを知りました。


「チョコレート効果」はおいしいので迷わず注文。
半分くらい食べて、次も頼もうと思っていたら、
「チョコレート効果」CACAO86%のボックスも出ました。

容量は一キロより少し少なくて、
値段も少しだけお高いです。

とはいえ、カカオが多いほうがよいので注文してみました。
届いた「チョコレート効果」CACAO86%。

さっそく箱を開けて食べてみたら、
ほどよい苦みでとてもおいしいです。

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後半は、
1月30日と31日に中日新聞生活面に連載された、
<虐待サバイバーと家族>を紹介します。

  <虐待サバイバーと家族>(上) 止めたい、暴力の連鎖 
2019年1月30日 中日新聞

 家庭は暴力の温床。地獄だった。
 「虐待サバイバー」として、講演やブログなどの活動をする東京都の橋本隆生さん(40)=活動名=が母と別れ、父と二つ年下の弟と暮らし始めたのは四歳のとき。両親が別れるとき、父は、母を蹴り倒した。以来、母の消息はずっと分からなかった。
 物心が付いたころから、父に毎日のように殴られた。そして五歳の時、悲劇は起きた。夕飯のコンビニ弁当を残し、ゴミ箱に捨てた弟に父が激高。顔を何発も殴り続けた。「ごめんなさい」。泣き叫んでいた弟がぐったりすると、父は風呂場に連れて行き、「ここで反省してろ!」と閉じ込めた。部屋に戻って来た父は、橋本さんに弟の様子を見に行くように言った。風呂場に行くと、弟はお湯を張った浴槽にうつぶせで浮いていた。父は警察に事情を聴かれたが、事故死として扱われた。
 その後、父は再婚。小学四年生の時に、義母が弟を産んだ。橋本さんが弟に触ろうとすると「汚い手で触らないで」「バイキン」などと義母に言われた。次第に父と義母の仲は悪化。義母は怒りの矛先をますます、橋本さんに向けるようになった。「アンタさ、本当、腹立つ顔してる。前のお母さんに似てるのかな。死ねよ」。足に熱いアイロンを押し付けられたり、正座した膝を足で踏み付けられたりした。
 小学校で友達はほとんどできなかった。言うことを聞いてくれないと、橋本さんは同級生をたたいたり、蹴ったりした。付いたあだ名は「暴力人間」。「家で虐待されていることは、誰にも言えなかった。やり場のない怒りや寂しさ、ストレスを他の子をたたくことで解消していた」。母が恋しかった。
 中学に入ると、橋本さんは不良グループと付き合い始めた。交友関係をとがめる父に、包丁を突きつけられて家出。コインランドリーで寝泊まりした。警察に補導され家に戻され、父に殴られてはまた家出した。警察官に「家に戻るなら、人を殺して鑑別所に行きたい」と訴えた。児童相談所の一時保護所を経て、児童養護施設に入所。約一年、施設から中学校に通った。
 中学校の掲示板で、働きながら勉強できる全寮制の高校があると知り、入試を受けて合格。車の部品の組み立ての仕事をしながら、高校で学んだ。お金をためて、早く自立したかった。高校卒業後は、コンビニ店員やトラック運転手などの仕事を転々としながら、バンド活動に夢中になった。
 二十八歳の時、バンドが縁で妻(32)と出会った。妻は複雑な家庭で育った自分を、何の偏見もなく受け入れてくれた。人から傷つけられないように強がり、弱みを見せないように生きてきた橋本さんが、初めて得た安らぎだった。
 幼い頃から憎む対象でしかなかった家庭。それを自分が持つことは考えたこともなかったが、三十歳で結婚した。今、橋本さんと妻には、小学一年生の長男(6つ)と、保育園児の長女(2つ)、二人の子どもがいる。
 「あんなにひどい虐待をされて恐れ、憎みながら、それでも子どものころ僕はどこかで親に褒めてほしい、大切にされたいと切望していた。僕を頼ってくれる妻と子どもたちが、僕を変えてくれた」
 ◇ 
 会社員として働く傍ら、ブログや講演会を通じて、虐待防止を訴えている橋本さん。「虐待されている子どもに、生き抜いてほしい」。その思いに加え、「暴力の連鎖を止めたい」との願いもある。橋本さんと家族の思いを追う。
 (細川暁子) 


 <虐待サバイバーと家族>(下) 孤独な育児、親のケアを
2019年1月31日 中日新聞

 「目の下の傷は父に殴られた痕。義母には足にアイロンを押し付けられた。僕は虐待されて育ち、幼い弟は父に殴られ風呂場に閉じ込められ、死にました」
 昨年十月、名古屋市であった「虐待、当事者からの発信」と題した勉強会。東京都の会社員で「虐待サバイバー」として講演やブログなどの活動をする橋本隆生さん(40)=活動名=が、約四十人に語った。
 その後、参加者らは円になって「父から性的虐待を受けた」「イライラして子どもを虐待してしまいそう」など、体験を語り合った。「僕の経験を話すと『実は自分も』と口を開き始める人がいる。心に閉じ込めてきた苦しさを聞いてもらうことが、虐待と向き合い、どうすればなくせるか考える第一歩になる」と橋本さんは言う。
 橋本さんは四歳で両親が離婚。父と義母から虐待を受けた。今は妻(32)と、小学一年生の長男(6つ)と保育園児の長女(2つ)がいる。「夫は優しくて料理、掃除、洗濯もしてくれる。保育園の送り迎え、小学校の保護者会も出てくれて本当に助かっています」。共働きの妻は橋本さんに感謝する。
 だが、橋本さんも長男が生まれた直後は、ときに恐怖を感じた。泣いてばかりの長男と、初めての育児にイライラする妻。「僕は、自分を虐待した父の血をひいている。無意識に子どもをたたいてしまうかも」
 しかし、長男に甘えられたり、「パパ」と呼ばれたりするにつれ、「自分が守らなくては」との思いが強まった。同時に「なぜ父は、自分や弟を虐待したのか」を知りたくなった。
 約三年前、橋本さんはほとんど会っていなかった父を訪ねた。「しつけだった。おまえがそんなに苦しんでいたとは知らなかった」。父はそう話した。弟の事故のことは、「申し訳ないことをした。毎日遺影に手を合わせている」とぽつりと話した。その父は先日、急死した。数年前に義母とも別れて一人暮らしだった。
 「自分と弟を虐待していた当時の父は、孤独だったのではないかと思う。母と離婚し、会社員として働きながら男手一つで育てていた父は追い詰められていたのだろう。父が苦しさを打ち明けられる人、助けてくれる人がいたら、弟は死なずに済んだかもしれない」。橋本さんは言う。
 母の消息も分かり、昨年夏、橋本さんは三十五年ぶりに母に会った。「私が二人を引き取っていれば」。母は泣いた。母は離婚前、橋本さんと弟を連れて家を出たが、父に連れ戻された。父が親権を取り、経済力がなく、泣く泣く子どもたちと別れた。後に、警察から事情を聴かれて弟の事故を知ったという。
 しつけと虐待は紙一重のこともある。だが、橋本さんは「暴力で子どもを支配しない」と固く決めている。家で虐待された橋本さんが、学校では同級生をたたいたように、暴力は連鎖するからだ。
 橋本さんの妻も、長男に思わず手が出てしまったことがある。「私って怒りすぎだよね。子育てに向いてないよね」。落ち込む妻に、橋本さんは「子育ては大変だよね」と笑いかけた。「育児に協力的で、味方になってくれる夫がいるのに、私は何をしてるんだろうと反省した」と妻は話す。
 「百パーセントの親なんていない。虐待は誰にとっても人ごとではないけれど、暴走しそうな気持ちを止めてくれる人の存在が抑止力になる。親をケアすることが、子どもを虐待から守ることにつながる」。橋本さんは言う。
 (細川暁子) 


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2月2日(土)のつぶやき

2019-02-03 02:03:51 | 花/美しいもの
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