昭和60年から、3年ほど80歳を過ぎた母と暮らした。
その頃は私も働き盛りで、妻も仕事を持ち、子供は学校だったので、母は家で一人の時間をもてあましていた。
子供のころ、私は母がそばを打ったり、漬物を漬けるのをみていたので、妻に料理の仕方を教えてくれるように頼んだ。また、暇な時間に、北海道の思い出を書いてはと、ノートと鉛筆を用意した。
蕎麦打ちはなかなか実現せずにしまったが、三升漬けの漬け方は実現した。
三升の意味は辛い青南蛮一升、麹一升、醤油一升合わせて三升ということだ。辛南蛮は細かく輪切りにし、ばらした麹とよく混ぜ合わせる。そこに醤油を加えて2週間ほどすると、南蛮の香りのいい麹漬けが完成した。
麹には不思議な力がある。最近では塩麹がブームだが、この三升漬けも捨てたものではない。納豆の醤油がわりに用いたり、冷奴に乗せても美味だ。母が残してくれた北海道の郷土料理は、今でも毎年秋に漬け込んで一年中我が家の食卓を彩っている。但し、醤油を同量一升にすると、塩辛過ぎるので半量にしている。これだと、常温で保存すると酸味が来るので冷凍にする必要がある。
残された母のノートを見ると、母が子供のころの食べ物のことが書いてある。
主食は麦ですけれど、ご飯にして食べる麦は裸麦で穂の先にたくさん毛があるので、実にするのに毛を焼き落としカラ棹で叩いて脱穀しました。実にした麦を今度は臼を足で踏んで皮を剥いてはじめてご飯にできるのです。その頃は下川には水田はありません。米は買わなければならないので、麦一升に米は一合も入っていたかどうか、ほとんど麦ばかりでした。
お正月とかお盆とか、特別の日には白いお米のご飯を炊いて食べさせて貰ったものです。今日はお祭りで白いおまんまが食べられるといって子供たちは踊って喜んだものです。お祭りの小遣いは2銭か3銭で、5銭も貰ったら大変なお金でした。いまでも北海道ではサツマイモは取れませんが、他地方から送られてきたものがありました。5銭あたりで小さいのが4本ほど買えました。それを買って弟たちと食べたのを覚えています。そのサツマイモのおいしかったこといまでも忘れられません。(中略)
秋になれば、トウモロコシ、芋、カボチャが主食です。先ず麦のご飯、野菜の味噌汁、お漬物と決まっていました。魚はたまに塩マスが食べられるくらいでした。でも春に、ニシンが獲れたときは箱でたくさん買って塩漬けにしたり、干物にしたりして夏中のおかずでした。数の子を干しておいて、お正月のご馳走だったと思います。
麦一つにしても、それが食卓にのるまでには、多くの手間がかかる。
自分の子供もころもそうだが、母の時代はさらに多くの手間ひまをかけてくらしてきた。便利な生活を手に入れたいま、時代を逆行させることはできないが、こんな暮らしの上に今があることを銘記しておかなければならない。
春になって野山からアサツキを取ってくる。一本づつ根を洗い、葉についたゴミを落として茹でる。台所で数時間もかけた手作業の後初めて新鮮な春の香りが味わえるのだ。山菜や野菜は店頭に並んだとき、すでに採れたての香気を失っている。
その頃は私も働き盛りで、妻も仕事を持ち、子供は学校だったので、母は家で一人の時間をもてあましていた。
子供のころ、私は母がそばを打ったり、漬物を漬けるのをみていたので、妻に料理の仕方を教えてくれるように頼んだ。また、暇な時間に、北海道の思い出を書いてはと、ノートと鉛筆を用意した。
蕎麦打ちはなかなか実現せずにしまったが、三升漬けの漬け方は実現した。
三升の意味は辛い青南蛮一升、麹一升、醤油一升合わせて三升ということだ。辛南蛮は細かく輪切りにし、ばらした麹とよく混ぜ合わせる。そこに醤油を加えて2週間ほどすると、南蛮の香りのいい麹漬けが完成した。
麹には不思議な力がある。最近では塩麹がブームだが、この三升漬けも捨てたものではない。納豆の醤油がわりに用いたり、冷奴に乗せても美味だ。母が残してくれた北海道の郷土料理は、今でも毎年秋に漬け込んで一年中我が家の食卓を彩っている。但し、醤油を同量一升にすると、塩辛過ぎるので半量にしている。これだと、常温で保存すると酸味が来るので冷凍にする必要がある。
残された母のノートを見ると、母が子供のころの食べ物のことが書いてある。
主食は麦ですけれど、ご飯にして食べる麦は裸麦で穂の先にたくさん毛があるので、実にするのに毛を焼き落としカラ棹で叩いて脱穀しました。実にした麦を今度は臼を足で踏んで皮を剥いてはじめてご飯にできるのです。その頃は下川には水田はありません。米は買わなければならないので、麦一升に米は一合も入っていたかどうか、ほとんど麦ばかりでした。
お正月とかお盆とか、特別の日には白いお米のご飯を炊いて食べさせて貰ったものです。今日はお祭りで白いおまんまが食べられるといって子供たちは踊って喜んだものです。お祭りの小遣いは2銭か3銭で、5銭も貰ったら大変なお金でした。いまでも北海道ではサツマイモは取れませんが、他地方から送られてきたものがありました。5銭あたりで小さいのが4本ほど買えました。それを買って弟たちと食べたのを覚えています。そのサツマイモのおいしかったこといまでも忘れられません。(中略)
秋になれば、トウモロコシ、芋、カボチャが主食です。先ず麦のご飯、野菜の味噌汁、お漬物と決まっていました。魚はたまに塩マスが食べられるくらいでした。でも春に、ニシンが獲れたときは箱でたくさん買って塩漬けにしたり、干物にしたりして夏中のおかずでした。数の子を干しておいて、お正月のご馳走だったと思います。
麦一つにしても、それが食卓にのるまでには、多くの手間がかかる。
自分の子供もころもそうだが、母の時代はさらに多くの手間ひまをかけてくらしてきた。便利な生活を手に入れたいま、時代を逆行させることはできないが、こんな暮らしの上に今があることを銘記しておかなければならない。
春になって野山からアサツキを取ってくる。一本づつ根を洗い、葉についたゴミを落として茹でる。台所で数時間もかけた手作業の後初めて新鮮な春の香りが味わえるのだ。山菜や野菜は店頭に並んだとき、すでに採れたての香気を失っている。