瀬戸内寂聴の「かの子繚乱」を読んだ。
天才画家岡本太郎の母で、漫画家岡本一平の妻かの子生涯を描いた伝記小説である。この伝記小説を読むきっかけになったのは斉藤慎爾「寂寵伝 良夜玲瓏」を読んだことにある。
「かの子繚乱」を読み進めていくうちに、著者の瀬戸内寂聴と岡本かの子にいくつもの共通点があることに気づいた。それはこの二人の結婚観であり、複雑な男性関係を昇華させたものは仏教への帰依であった。二人にとって、男性は自らが紡ぎだす文学への奉仕者であり、種から成長していくための養分を補給する土壌であった。
岡本かの子は昭和14年2月17日、50歳でその生涯を閉じている。
だが、この50年という年月が、いかに波乱に満ち、そして生命が充実しきった時間であったことが余すところ書き継がれている。
息子太郎への愛情は、この伝記のなかの圧巻だ。それをそばで見つめ、大きな愛で包む一平の存在もまた大きいと云わなければならない。
「走り出した列車の中で、かの子と一平は折れ重なるようになって泣いた。かの子の直感 が、この時の別れが永久のものになるだろうと無意識にさとっていたのだろうか。人目も恥じず、泣き沈んでいると、まるで、太郎と死別したような切なさがせまっている。
フランスの田舎のけしき汽車にて息子と人いふ泣き沈むわれに
いとし子を茲には置きてわが帰る母国ありとは思ほへなくに
眼界に立つ俤やますら男が母に別れの涙拭きつつ
こんなせつなさを、いったい何のために、誰のために堪えねばならないのだろう。どうして、世間の親子であってはいけないのだろう---かの子は泣きながら、われとわが心に問いかけていた。
涙の中から、ためらいのない太郎の声が聞えてきた。---芸術のためですよ、おかあさん、おかあさんの好きな芸術のためじゃありませんか
かの子は谷崎潤一郎、芥川龍之介との知遇から憧れていた文学の夢を捨てず、林房雄、川端康成らの応援を得て、晩年にその花を咲かせるのである。
斉藤慎爾氏にはほかに「ひばり伝 蒼穹流謫」があり、このほど弟にあたる笹沢信氏が
「ひさし伝」を新潮社から出版した。伝記は寂聴や井上ひさしなどの作家であれば、その膨大な著作を読み、関連する人の講演や対談などあらゆる資料に目配りしながら完成させるが、読むものにとってはその生涯を見通すことができありがたい限りだ。未読のこの2書もぜひ読んでみたい。笹沢信氏は山形市在住で、「山形文学」の編集・発行人を務めている。著書に「飛島へ」(深夜叢書社)がある。