遅い春を催促するような爆弾低気圧が日本列島を吹き抜けるように通過していったころ
菅野良吉さんの命の灯火もこの強風の前に吹き消されそうになっていた。昨年の3月に長年連れ添った糟糠の妻を亡くしてから、病魔が良吉さんの体を蝕んでいった。
私が最後に良吉さんにお会いしたのは昨年の初夏のころであった。奥さまの仏前に線香をあげるために訪れたのだが、もうその時、居間に伏せておられた。やせ細って元気のない様子ではあったが、「ありがとう。よくきてくれたな。」と人懐っこい笑顔を向けて話された。
尾花沢市大字寺内。最上川の支流である野尻川沿岸に位置するこの地方は、最上氏の領として拓かれていった。江戸から明治にかけての家数90、人口400ほどの集落は、すでに奥羽山脈に阻まれてこの規模を変えていない。明治22年から福原村、昭和29年からは尾花沢町、昭和34年からは尾花沢市の大字となった。
菅野良吉さんは大場家から菅野家へ入り婿したのだが、農業のかたわら、村会議員、町会議員、市会議員を務め、この地域のために尽力した。議員辞職後も統計事務扱い、民生委員などの要職を歴任、地域の人々の人望も厚かった。平成15年にはその功績が認められ、藍綬褒章を受章した。
農業にあっては米作のほかトマト栽培を手がけ、広い倉庫一面にトマトを並べて出荷に備えた。トマトは赤くなり過ぎると、市場に出てからの足が速く、売りものにならないため、早めに収穫して倉庫に置いて出荷を待つのだ。
お盆近くなるとトマトの収穫も終えるので、このころ木で真っ赤に完熟したトマトをいただいたことがある。「どうせ売り物にはならんのだから、欲しいだけ持っていきな」と言って大きな籠いっぱいに完熟トマトをもいでくれた。そのトマトの味はいまでも忘れられない。
4月17日、いつもの年なら桜も咲いているころであるが、葬儀の会場周辺はまだ見渡す限りの雪原であった。こんな雪原のなかに静かに眠りについて良吉さんは何を思ったであろうか。この地区から後継として久しぶりに市会議員になった青野氏の弔辞に、生前の良吉さんの心を語る場面が語られた。
「どうか、この地区のためにがんばってくれ」
それほど、豪雪地帯のこの地域の環境は農業にとって不利な条件が重なっている。最上川と月山、葉山の山系が季節風を袋小路のようにこの地区にとどめて豪雪をもたらし、夏には太平洋から吹くヤマセが鍋腰峠の鞍部から吹き込んできて稲作に悪条件をもたらす。
ましてや、この冬の誰もが経験したことのないような豪雪である。例年ならもう始まっているスイカの定植は、その時期さえわからない。日本一といわれるスイカの産地で、栽培農家は空を見ながら、その推移を憂慮している。
菅野良吉さんの命の灯火もこの強風の前に吹き消されそうになっていた。昨年の3月に長年連れ添った糟糠の妻を亡くしてから、病魔が良吉さんの体を蝕んでいった。
私が最後に良吉さんにお会いしたのは昨年の初夏のころであった。奥さまの仏前に線香をあげるために訪れたのだが、もうその時、居間に伏せておられた。やせ細って元気のない様子ではあったが、「ありがとう。よくきてくれたな。」と人懐っこい笑顔を向けて話された。
尾花沢市大字寺内。最上川の支流である野尻川沿岸に位置するこの地方は、最上氏の領として拓かれていった。江戸から明治にかけての家数90、人口400ほどの集落は、すでに奥羽山脈に阻まれてこの規模を変えていない。明治22年から福原村、昭和29年からは尾花沢町、昭和34年からは尾花沢市の大字となった。
菅野良吉さんは大場家から菅野家へ入り婿したのだが、農業のかたわら、村会議員、町会議員、市会議員を務め、この地域のために尽力した。議員辞職後も統計事務扱い、民生委員などの要職を歴任、地域の人々の人望も厚かった。平成15年にはその功績が認められ、藍綬褒章を受章した。
農業にあっては米作のほかトマト栽培を手がけ、広い倉庫一面にトマトを並べて出荷に備えた。トマトは赤くなり過ぎると、市場に出てからの足が速く、売りものにならないため、早めに収穫して倉庫に置いて出荷を待つのだ。
お盆近くなるとトマトの収穫も終えるので、このころ木で真っ赤に完熟したトマトをいただいたことがある。「どうせ売り物にはならんのだから、欲しいだけ持っていきな」と言って大きな籠いっぱいに完熟トマトをもいでくれた。そのトマトの味はいまでも忘れられない。
4月17日、いつもの年なら桜も咲いているころであるが、葬儀の会場周辺はまだ見渡す限りの雪原であった。こんな雪原のなかに静かに眠りについて良吉さんは何を思ったであろうか。この地区から後継として久しぶりに市会議員になった青野氏の弔辞に、生前の良吉さんの心を語る場面が語られた。
「どうか、この地区のためにがんばってくれ」
それほど、豪雪地帯のこの地域の環境は農業にとって不利な条件が重なっている。最上川と月山、葉山の山系が季節風を袋小路のようにこの地区にとどめて豪雪をもたらし、夏には太平洋から吹くヤマセが鍋腰峠の鞍部から吹き込んできて稲作に悪条件をもたらす。
ましてや、この冬の誰もが経験したことのないような豪雪である。例年ならもう始まっているスイカの定植は、その時期さえわからない。日本一といわれるスイカの産地で、栽培農家は空を見ながら、その推移を憂慮している。