常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

孟宗筍

2012年04月29日 | グルメ


きょう、平清水の平泉寺に枝垂桜を見に行く。散り始めた山形の桜だが、ここの枝垂桜は健在であった。だが、かっての感動はないように思う。どこか、葉のついた枝が伸びだし、花が少なくなったように感じる。気温26℃、昨日に続いて、アイスクリームを食う。



初物に出会う感動。初カツオか、タケノコかと楽しみにしていたが、kさんから新鮮なタケノコをいただいた。アマカワは味噌汁に、硬い部分は細切りにして煮物、本体は鰊とコンニャクをいれてホックリと煮あげる。タケノコが大好きな妻は、余すところなく調理する。

考えて見ると、これほど柔らかくて感動的なタケノコを食べるようになったのは、ほんの近年のことである。秘密は流通の発展と言うべきか。5、6年前の5月、鶴岡で朝掘ったタケノコをいただいたことがある。新聞紙に包んであったが、タケノコから出る水がべっとりと新聞紙を濡らしていた。

その日に食した孟宗筍の食味は生涯忘れることができないだろう。その瑞々しさ、柔らかさ、独特の風味。タケノコがこれほどうまいものだとは、その時初めて知った。それから、庄内に出かけたときに買った安いタケノコ、スーパーで求めた九州のタケノコ。あの感動的な味が賞味できるではないか。

九州の取立てのタケノコはトラックに積まれてここ山形で、風味を損なうことなく味わえることをうれしく思う。流通の発展がこんな幸福をもたらしてくれるのだが、やはり地のものを手に入れて旬を味わうという王道に帰るべきなのか。ガソリンがこれほど高騰しては、そもそも贅沢な消費と言わざるをえない。

辰巳浜子は『料理歳時記』でこんなことを書いている。

「春のある朝、裏の家から掘り立ての筍を土だらけの手で抱えて届けていただきました。うれしさと驚きの声をあげながら、取る手も遅しとひと皮だけむいて、時間をかけてゆっくりと茹でてむらし、厚い輪切りにして鰹節、昆布をふんぱつしてじっくり煮ふくめて大鉢に盛り、庭の山椒の若芽を枝つきのまま、スパーっと切って添えました。ひと口、口に入れた時の素晴らしさ、鎌倉でこんなうれしさに逢えると思ってもいなかったのだけに大感激でした」

今夜のタケノコは辰巳浜子の感激に匹敵するくらい上々であった。
コメント
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