常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

日本尊厳死協会

2012年04月23日 | 日記
いかにも堅いいかめしい名称だ。
この協会が目指すところは、すでに意思を失い、生命維持装置だけに頼って延命することを断ることを宣言した人を守って、人間本来の死を実現することにある。いま、会員は全国で12万3千人を数える。

私と妻が、この協会の会員になって15年が過ぎた。幸いこの宣言を医療関係の人に提示する事態にはまだ至っていないが、その意義は益々大きくなっているように思える。
ただ寝たきりになるだけではない。その前には認知症という危険も増えつつある。これは残された時間をどう生きるかという問題でもある。

宣言書に書いている内容は

1 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断されたに  は、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします

2 ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な  緩和医療を行ってください

3 私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取り  やめてください

昨年行ったアンケート調査によるとこの宣言書を医療側に提示した人は83%にのぼり、残された家族の90%がこの宣言書が生かされたと回答している。
きのうも中学の同級生の訃報が届いた。今月には従兄の死があった。死への準備をする時期がすでにきている。

最終医療については、妻と話し合ってどちらが先になってもこうしようと決めた。
そして葬儀と墓についても考えている。いま、立派な葬儀が営まれ、生前に墓を求めている人も多いようだ。しかし、自分はいま世間で行われているような葬儀は一切望まない。葬送は近親者による通夜のみにする。墓は設けず、散骨(できれば海)を希望する。
世話になった方へのお礼は生きているうちに済ませて置きたい。この辺の計画はこれから少しずつ考えていくことにする。

皆人の知り顔にして知らぬかな
  必ず死ぬる習ひありとは  慈円



コメント
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