常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

オクラ

2013年07月03日 | 日記


伸びはじめたばかりのオクラの小さな木に、早くも花が咲いた。根元の方に咲いた花が落ちている。葉の下に実が生り、少し大きくなったの3つばかりを収穫してきた。初物なので、細かく刻んで納豆に混ぜてて食べると、なるほど、懐かしいオクラだ。今年は少し欲張って、種を蒔いたので、ちょっとオクラが楽しめそうだ。

福田蘭堂に親交のあった志賀直哉の台所を書いたエッセイがある。オクラが珍しかった時代の記述が面白いので引いてみる。

「む。とにかく珍しいものを見せてやるから上がってきたまえ」広間のテーブルの上に、子供のオチンチンのような先細りの実が20個ほどころげていた。
「これ何ですか?」
「終戦2,3年ごろ、この家へ復員軍人が水をもらいにやってきた。気の毒なのでニギリメシを作ってやると、白くて丸い豆粒を置いていった。その豆からどんな芽が出るかわからんが、近所の百姓にたのんで蒔いてもらったところ、こんな実がなったと言って持ってきてくれた。枝ぶりはひましに似ているそうだ」
「食べられるのですか」
「煮ても炒めてもいいが、生のまま細かく刻んで、醤油とカツオブシをかけると納豆のようにねばねばしてうまいと言っていた」
「この植物の名は何というのですか」
「オクラと言っていた。ぼくの学習院初等科の同級生であり、きみもよく知っている大倉喜七郎のオークラと思えばよい」

終戦後の復員兵士は、こん風に大陸の野菜の種を持ち帰った。オクラのほかに、山東菜の種もまたこんな風に持ち帰って日本各地に栽培されていったのである。

口楽しオクラの種子を噛むことも 中村 文平


コメント
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