常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

昭和の匂い

2013年07月28日 | 日記


山道の雑木林をわずかに切り開いた祠がある。コンクリートで作ったものだが屋根苔むしているので、昭和の時代のものであるらしい。灯明台があってロウソクが置かれているのを見ると、この祠に御参りする人がまだいるのであろう。大正時代の人は、「明治は遠くなりにけり」と言い、昭和の人は「なつかしい大正」といってその時代をふり返るが、平成のいまは所々に昭和の匂いをかぎ当てる。

私が結婚したのは昭和39年であるから、東京オリンピックが開催された年だ。テレビはまだ高価で買うことができなかった。バレーの決勝戦を近所の家のテレビで見せてもらったのを覚えている。東洋の魔女が金メダルを取ったことに感動した。このオリンピックを成功させるため、昭和35年から「東京を美しくする5ヶ年計画」が実施された。その中で国電四谷市谷間の外堀を実に300年ぶりに大掃除をした。この堀は水深5mあったが、そのとき底が見えるほどまで埋まっていた。ブルドーザーやベルトコンベアを使ってこの堀を浚渫したが、それほど目ぼしいものは出なかった。

鮒が30貫、古自転車や金庫などがリアカーに50台あまり上がったが、奇妙なのは市ヶ谷の駅前から四谷付近までの300mにわたって、色とりどりの財布が上がったことだ。女物男物、布製皮製、赤青黄色とまるで花が咲いたようであった。ざっと800個、財布の中には一つも金が入っているものはなかった。スリが電車のなかで仕事をし、中身を抜いてこの堀に捨てたものと推定された。昭和にはこんな影の部分もいっぱいあった。



コメント
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