常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

永遠の0

2014年01月02日 | 日記


正月2日、昨日の雨は雪になり外は再び雪景色に変わっていた。妻と映画館に映画を見に行くことにした。選んだタイトルは「永遠のゼロ」。百田直樹のベストセラー小説の映画化である。この小説を読んでみてと勧めたのは娘である。2年ほど前、娘が面白かった小説を20作ほど選んでファクスしたなかにあった。その小説は次第に若者に受け入れられ、昨年300万部をこす売れ行きになった。

大晦日から元日にかけて再読した。宮部久蔵、大正8年東京生まれ。昭和9年海軍の入隊。昭和20年南西諸島沖で戦死。宮部が生きていれば94歳になっている。孫の健太郎が姉に頼まれ、祖父久蔵を知っている戦友から大戦のさなかにあった祖父の姿を聞きだしていく。知らなかったゼロ戦とそのなかで家族を思い苦悩しながら戦った祖父の姿が次第に浮き彫りになっていく。

映画館にきたのは、実に久しぶりだ。ひょっとして、「おくり人」以来であったかも知れない。大画面と戦闘シーンの圧倒的な音量と、「死ぬのはいやだ」と語る宮部の静かな語りとが見事なメリハリを持って説得力を持つ。戦争を知らない現代の若者と特攻という極限を生きた世代とのギャップは埋め合わせ難く話は進行する。宮部の生き様が少しずつベールを剥ぎ取られていくうちにこのギャップは消え始める。百田直樹のストリーづくりの手柄と言えるだろう。

映画館は正月2日のせいか閑散としている。昭和30年代の映画館とは隔世の感がある。当時は正月ともなれば立ち見も当然であった。ゼロ戦という世界大戦の映画にしては、若い世代が足を運んでいたことは目立った現象である。映画の最後を飾る軌跡のドラマはやはりここでは語るべきでないだろう。それを知ってしまえば、これから見る人の感動が半減してしまう。最後の場面で館内は静まり返り、ときおり鼻をすする音が聞こえた。

小説と映画を比べると、小説で書かれたいたことが省略されている。映画の臨場感を優先するため止むを得ないこともあろう。百田がこの小説を通して語りたかったことは映画だけを見たのでは片手落ちになる。小説と読み合わせて映画のストーリーはより完全なものになる。
コメント
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