常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪中の幽霊

2014年01月12日 | 日記


雪の降る日に『北越雪譜』を開くのは楽しい。江戸時代雪深い越後の国に住む文人が江戸に出て、雪国の珍しい話を集めて一冊の本にまとめた。これほどの多い雪を見たこのない江戸っ子の格好な読み物となって大いに売れた。現在でも岩波文庫に収められている。

この『北越雪譜』のなかに「雪中の幽霊」という話がある。越後湯沢の隣村に関山という村がある。そこに念仏三昧に明け暮れる源教とい僧侶がいた。その僧が語る幽霊の話である。この村に魚野川を渡る木橋があった。小さい橋のため、冬ともなれば雪が降り積もり橋が隠れてしまうこともしばしばであった。そのため雪が降るたびに村人は雪を掘り、橋をだして通行できるようにしていた。それでもにわかの雪に誤って橋から落ちて溺死する人が出ることもままあった。

源教は溺死した者を回向してひたすら念仏を唱えた。そうしたある日。この日も源教は念仏に余念がなかったが、煌々と輝いていた月がにわかに曇って朦朧とすると、目の前に年のころ30ほどの女が出てきた。腰から下は無いように見え、身体が透き通るようだ。聞けば、橋から川に落ちた幽霊だという。自分の黒髪のためどうしても成仏できない。どうか貴方の手でこの髪を剃り落としと頼みこんだ。

源教は幽霊の願いを聞き、自分の住む庵に呼んで剃髪する。その様子を見る証人として村人をひそかに仏壇の引き出しに隠れさせて、幽霊が本当にいることを語らせる、という話である。雪という自然の大きな力の前に、人間は自分では成仏すらできない非力な存在である。幽霊話は人を怖がらせる話としてではなく、人間の哀れさを語ることから成立してきたものであるとも言える。
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