常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

柄井川柳

2014年01月22日 | 


今も行われている笑いに主題を置いた俳句形式を川柳という。この名称は前句付けの点者であった柄井川柳の名をとったものだ。江戸時代に流行した前句付けから川柳が生まれた。点者とは、付け句を募集し、応募句を選ぶ宗匠のことだ。例えば、

障子に穴を明くるいたづら

という前句を出して、これに5・7・5の句を付けさせる。応募には投句料を集め、選ばれた句には賞品や賞金をつけた。この前句を見て、ある人が次のように付けた。

這えば立て立てば走れと親心

障子に穴を開けられば、誰もが腹を立てるだろう。だが、これを親心の視点で見れば、子どものいたづらに目を細める笑いの場が開ける。そのため、この付け句は江戸中の称賛を浴びた。川柳が点者だった33年間の応募句は230万句を数えたいうからいかに人気が高かったが分かる。それに伴い、点者の収入もまた莫大であった。

柄井川柳は享保3年(1718)、浅草新堀端、龍宝寺前の名主の家に生まれ八右衛門といった。前句付けは元禄のころから行われていたが、川柳が句を募集したのは、宝暦7年(1757)8月のことで、江戸の人を限定したものであった。その特徴は、滑稽を主題にしたために人気を博し、宝暦12年には、応募句が1万句を越えた。

木枯やあとで芽をふけ川柳 柄井 川柳

寛政2年(1790)9月23日、川柳は病を得て没した。73歳であった。この句は川柳の辞世である。川の柳の生命力の強さに目をつけたいかにも川柳にふさわしい句である。川柳がいまなお生命を維持していることからも、この辞世の句に逞しい力を感じる。


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