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ベランダに置いてある梅の鉢のつぼみがふくらみ始めた。きのう、-7.5℃、その前は-7℃という今冬一番の冷え込みのなかでつぼみがふくらむのは、やはり植物という生命体の奇跡というべきであろうか。これを見ると厳寒期であるのに春の訪れをおぼえ明るい気分になる。
紅梅のりんりんとして蕾かな 星野 立子
もともと中国の花である梅が日本で好まれるようになるには、中国へ遣隋使を送った奈良朝にさかのぼる。朝廷に仕える貴族たちは競って梅の木を植えた。宇多天皇の寵を得て、参議から右大臣にまで登りつめた菅原道真もまた梅を愛した。
もともと道真は学者・文人の家の生まれだ。文章博士となり、詩を詠み、朝廷の文章を書くことでその地位を保ってきた。藤原氏という貴族勢力の台頭と詩無用論が朝廷の流れであったなかで、道真の詩文を愛した宇多天皇の寵愛が皮肉なことに道真の晩年を不幸へと導いた。宇多上皇に反発した藤原時平は醍醐天皇と図り、道真を太宰へ左遷させた。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 菅原道真
昌泰4年(900)1月25日、道真左遷の宣命が下された。驚いた宇多上皇は内裏に駆けつけ、建春門に座り込んだが、参内はかなわなかった。そのわずか6日後、道真は追われるように京の邸を出立した。そのとき庭にある梅の木を見て詠んだ和歌である。梅の匂いを筑紫の配所まで春風にのせて送ってほしいと、梅の木に語りかけたのである。
配所で寂しく死んでいった道真は、その後、京を襲った雷が清涼殿に落ち、それが道真の怨霊のためであるいう風説によって復権する。道真を祀ることで怨霊の祟りを鎮めようとして
天神信仰が広く行われるようになった。
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