常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

室生犀星 俳句

2016年01月05日 | 


俳句にはドラマがある。室生犀星の長女朝子が生まれたのは、大正12年8月27日のことである。東京の田端で生まれたが、その5日後、関東大震災が襲った。一家は辛うじて震災の被害を免れたものの、混乱する東京を引上げ、犀星の故郷金沢へ疎開した。一時母の実家に仮寓するが、川岸町の借家で、一年余りを過ごした。

雪みちを雛箱かつぎははが来る 室生 犀星

この句が詠まれたのは、大正13年の春で朝子の初節句のときである。孫の初雛を祝うべく、雛人形の入った箱を背負って、借家にやってきたのである。生後6ヶ月ほどの朝子が分かるはずもないが、疎開で暗い気持ちでいた一家に、ぱっと花が咲いたような華やぎが訪れた。犀星夫婦も、この心遣いに、驚きを、それにもまして喜びをかくせない。

朝子が生まれる半年前には長男を亡くしていた犀星は朝子を可愛がった。翌年には、一家は田端の旧家に帰るが、そこで長女の成長を見守った。

桃つぼむ幼稚園まで附きそひし 犀星

家を出て幼稚園へ向かう朝子と話しながら歩くのだが、好奇心の強い子どもと会話をしているうちに幼稚園まで来てしまったという、微笑ましい光景である。犀星が書いた小説『杏っ子』は、朝子をモデルにしている。通っていた幼稚園は、芥川龍之介の長男たかしと同じ幼稚園で、朝子はたかしと連れ立って幼稚園に通った。
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