みはらしの丘に立つと、蔵王山が指呼の間である。雪が少ないとはいうものの、刈田岳や地蔵山が真っ白な雪を被っている。上山の金瓶に生まれた斎藤茂吉も、朝に夕に蔵王山を仰ぎ見たであろう。
蔵王山をここより見れば雪ながらやや斜にて立てらくあはれ 斎藤茂吉
この歌は昭和22年5月、茂吉の門下、山形市本沢の結城哀草果の家を訪れて詠んだものである。大石田で病に伏せていたが、この年になって県内を小旅行して歩けるほどに回復した。哀草果の家では、手打ちの蕎麦や鶏の肉を食べ、据え風呂に入った。8月には、上山で哀草果を伴い、上山に来た天皇陛下に拝謁している。
茂吉にとって蔵王山は、山上歌碑のある故郷の山である。写真に見える尖って白い刈田岳の山頂に歌碑がある。この歌碑が建てられたのは昭和9年のことである。当時、歌壇では歌碑を建立することが流行のようになっていた。茂吉はこの風潮を嫌い、歌碑建立を渋っていた。弟の高橋四郎兵衛が、「書の師である梧竹翁に富士山上碑があるのに、朝晩仰いで育った蔵王山に歌碑を建てない法はない」と説得されて、歌碑の刻む歌を作った。
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 茂吉