虎穴を漢和辞典で調べると、「とらのすむあな。転じて、極めて危険な場所のたとえ。」とある。続いて、「虎穴に入るらずんば、虎子を得ず」の成句をあげて、とらのすむあなにはいらなければ、とらの子は得られない。危険をおかさなければ大きな成果は得られないたとえ、と説明している。これは、後漢の光武帝の時代に活躍した斑超(32年~102年)の故事によるものだ。
秦の始皇帝が万里の長城を築いたことは有名だが、秦から漢の時代にかけて西域に跋扈する匈奴をいかに従わせるか、が大きな課題であった。斑超は西域国の使節として派遣されたが、その国王ははじめのうちは、手厚くもてなしてくれたが、急に冷淡になった。このとき斑超は、匈奴からも使節が来たために、王は両天秤にかけて日和見していることに感ずいた。
斑超は部下を決起させて夜襲をかけて匈奴の陣営を全滅させた。このとき、部下の士気を奮い起こさせるために放った言葉が、「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」である。この斑超の行動が、西域に勇名をとどろかせ、50余の西域諸国を帰属させることに成功した。以後、西域にとどまること30年、西域都護として諸国統括を成し遂げた。