漱石の『吾輩は猫である』には、明治の正月風景が書かれている。親にはぐれて迷子になった子猫を飼うことになったのは、学校の先生の家であった。子猫は家の人々にには、不評であった。猫君は飼ってくれた先生を慕って、膝の上に上って暮らすのが日課になった。ある年の元日、先生の手元に一通の年始状が送られてきた。「恭賀新年 恐縮ながらかの猫へもよろしく御伝声願い上げ奉り候」とあったので、主人はちらと猫を見たが黙ったままだ。
寒月という客がくる。年始の挨拶だが、口取りには蒲鉾が出される。欠けた歯で蒲鉾を食いながら、二人は他愛ない世間話をしているが、連れ立って散歩に出かける。根津、上野、神田辺だが、そこで見たのは、待合の前で、芸者が裾模様の晴れ着を着て、羽根つきをしているところだ。先生は感想に「衣装は美しいが顔はまずい。なんとなくなくうちの猫に似ている」と書いたのものだから、猫君は憤慨した。
先生の家では雑煮で新年を祝ったが、胃弱の先生は雑煮を椀のなかに食い残した。猫君は、餅を食ったことがないので、誰もいない台所で餅を食ってみた。角のところを一寸ばかり食い込んだ。たいがいのものは、これかみ切れるのだが、餅はそうは問屋が卸さない。猫君が餅を取ろうと大暴れするのを、子どもが見つけて「あら猫がお雑煮を食べて踊りを踊っている」と言ったものだから、家じゅうの人が見物に集まってきた。みんな大笑いである。猫君の窮地も知らず、囃したり、笑ったり。見かねた主人が「餅をとってやりなさい」のひと言で一件落着。今日にも、明治の正月風景は少なからず残っているような気がする。