常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬至かぼちゃ

2012年12月21日 | 日記


今日は24節気の冬至である。北半球では、太陽の高さが最も低くなる。したがって、昼の時間が最も短い。この日を境に、少しづつ昼の時間が長くなる。一陽来復、気候は厳しい冬だが、春に向かって歩みを始める。

我が家では、この日小豆カボチャを煮て食べるのが、昔からの習慣である。ご近所でも一様に小豆カボチャを煮るので、お互いに交換して食べる。何軒もの小豆カボチャを食べると、風邪をひかないという、言い伝えがあるようだ。

カボチャに入れる小豆粥だが、これを食べる風習は中国からやってきた。昔中国で、ある高官の子が冬至の日に死んで、疫鬼となった。この鬼が現われると、国中に病魔をまきちらすので恐れられた。この疫鬼は、赤小豆を怖がったので、厄払いのために小豆粥を作ったのだということだ。

冬至粥土鍋の蓋のことことす  小野内泉雨

いづくにか在りたる冬至南瓜切る 皆吉爽雨

年の瀬は、何かと忙しい。少しは室内を居心地よくするため、クッションフロアを買う。もう店がどんどん少なくなっていく道具屋に行って、五徳や灰均しを買ってくる。こんな店には、年配の主人がいて、古い道具を色々とすすめてくれる。百金で用を足している身にとっては、昔ながらの道具が高級品であることが思い知らされる。
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年賀状

2012年12月20日 | 日記


最高気温5℃、寒いが晴れ間が出る。冬空はあくまで青く、日を受けた瀧山の雪は白い。明日は冬至で、今年も残り少なくなった。気になっていた年賀状のデザインを決めて印刷するばかりにする。来年は巳年で、年男ということになる。蛇はその生態から好きではないが、古来、縁起のいい生きものとして、人々の信仰の対象にもなってきた。

蛇に対する先人の信仰は畏敬と嫌悪の矛盾した感情がその根底にあると、指摘するのは「蛇 日本の蛇信仰」を著した吉野裕子氏である。蛇の異形な姿への嫌悪は、信仰対象を秘すことが行われてきた。その代償として、象徴とするものへの信仰として存続を続けてきた。その象徴とは、トグロ姿を象る鏡餅であり、その姿をダイレクトに現すしめ縄、さらにその姿とは遠い扇、箒、笠なども蛇の象徴物として先人の信仰の対象となった。

今年の年賀状は、蛇をモチーフにしめ飾りを誂えたデザインを選んでみたが、どうであろうか。パソコンの年賀デザインから選らんでダウンロードするが、一年ぶりの作業ということもあって、印刷できる状態までに思わぬ時間をとられる。



冬空に三日月がきれいにかかった。夕方の空であるので、きれいに写真に撮ることができた。寒い空気が透明で、一層月を美しく見せる。

冬の月野の篁に靄しづみ 水原秋桜子

冬の三日月は冷たく冴えわたり、匕首のように鋭く見える。こんな月を見るのも、年の瀬のわずかの時間だけにのみ可能である。
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雪女郎

2012年12月19日 | 民話


昔々、村のはんずれの雪原さ二軒の家あったけど、吹雪の夜、白い着物を着た娘子が道に迷ってさまよっていたと。ようやく東の家にたどりついて、一夜の宿を願うと、「家には病人がいるから泊められね。隣の家に頼んでみろ」と嘘(ずほ)こいて追い返したと。
娘ァ、仕方なぐ、テデッポポーみだえな眼して、西の家さ行って見だれば、しどく貧乏な家だけど、こころよく泊めてくれたと。娘は涙ながして寝たと。

翌朝は、ウソのように晴れていい天気になったと。早く起きた西の家の主人が、娘が起きてくるのを待っていたども、なかなか姿を見せないもんだから、どしたことだとて起すえいったれば、もう娘の姿はなかったと。蒲団がビシャビシャに濡れていて、そこに金の塊が置いてあったど。

雪女郎ァ、この西の家の貧乏な親父のなさけに融けてしもて、宝物だけおいていってしまっただけど、ほれから西の家ァ、だんだん福しくなって、東のねっぴり親爺ァ、病気がてで、すっかり、しんしょうつぶしてしまったと。こだな吹雪の時ざ、、人ば泊めてやっと必ず福が授かるて言うごんだ。
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笠地蔵

2012年12月18日 | 民話


江口文四郎さんという民話を採集、研究する中学校の先生がいた。いま、山形に住んでいても、山形弁はだんだんに影をひそめている傾向であるが、この先生は山形弁の権化のような言葉で話された。「とんと昔があった」で始まる昔語りは、山形弁で聞かなければ面白くないような気がする。

---とんと昔があった。あるところに爺と婆がいた。いろり端であぐらをかいていた爺が、そばでボロつぎをしていた婆にこう言った。
「婆さ、婆さ、一年暮すのは早いもので明日は正月だなァ。餅でもつければいいのだが、餅米もないし、仕方ないからすりこ木で柱たたいて、音だけでもだすようにするか」
すると婆は、「爺っぁ爺っぁ、おらいままで黙っていて悪かったが、嫁にくるとき『ほんとうに困ったとき使え』といわれて貰ってきた銭があるから、それで餅米買ってきてくれろ」と言って木びつの底から袋に入った銭を出してきた。
「おやおや、そんな金があったのか。----それではあたたかい餅が食べられるなァ。」爺はよろこんで餅米を買いにでかけた。

雪がゾクゾク降っていて、ミノも笠もすぐに重くなるので落とし落とし行った。ずうっと行くと、道端に石の六地蔵が立っていて、雪をかぶっていた。
「ああ、地蔵さま方、なんぼか寒いべ。今、雪をはらってしんぜるから---」爺は六つの地蔵さまを、撫でるようにして雪をはらい、また歩いて行ったが、途中で考えた。
「婆さ大事にしまっていた銭だけども、地蔵さまださ笠買って行くべはァ。その方が婆さも喜ぶでないべか。」
爺は米屋に行かず、笠屋に行って、笠を買った。婆からもらってきた銭を全部はたいても五つしか買えなかったが、「ひとつ足りないところは、おれの笠をかぶってもらえばいい」と思って、爺はもどってきた。爺は行くときとおんなじに六地蔵の雪をはらい、笠をかぶせ、ひとつ足りないのには、自分の笠をはずしてかぶらせて、戻ってきた。

「婆さ婆さ六地蔵さまァ雪かぶって寒がっておりもうしたので餅米買わねで笠買って、かぶせてきた---」というと、婆は「それはいい事したなァ、爺さ---」と喜んだ。
元日の朝、爺と婆は暗いうちに起きた。爺は「よいボボ(餅)よい!よいボボよい!」とかけ声をかけてすりこ木で柱をたたいた。婆はたすきをかけて、餅をかえすまねをした。
そうしていると遠くから、「よいさ!よいさ!よいさ!よいさ!」というかけ声が聞えてきた。爺と婆とが、なんだと思って聞いていると、かけ声はだんだん近づいてきた。戸口まできたとおもったら、バタッと聞えなくなった。爺と婆がワラワラ出てみると、そこには、ポウポウと湯気の出る餅があった。そうして、あっちの方、雪の原を新しい笠をかぶった地蔵さまがヨッコラヨッコラ急いで行くのが見えた。

雪の降る夜、囲炉裏のまわりに子どもたちを集めて、お婆さんが、昔を聞かせたのはテレビやラジオのない、時代であった。生きたお婆さんの口から出てくる言葉は、子どもたちの心をわしづかみにした。

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南天の実

2012年12月16日 | 日記


実南天二段に垂れて真赤かな 富安 風生

義母の庭の南天の実は、例年にまして真紅である。久しぶりの青空に、あざやかなコントラストを示していた。義母はこの庭が気に入っているらしく、季節の花や実を眺めては溜息を漏らしている。「もったいないなあ。自分が死んでしまったら、この庭もなくなるんだろうね。」もう、この家を継ぐ人は誰もいないのだから、仕方のないことである。

漢名は南天燭であるが、この燃えるような色を意識したものだろう。中国では、新年の寺廟の祭壇や家、舟に飾っている。日本でも正月用の生け花に用いるが、南天の名が難を転ずるというこじつけで、縁起物に用いられた。戦国の武将は屋敷の床に飾って出陣したという。

我が家でも、この実を正月の生け花に添えるべく枝を切ってもらってきた。ついでに山から五葉松の枝も切ってきた。南天の枝はさして太くないのだが、この枝の堅いの驚く。大きい枝切り鋏を使ったが、一度には切れず、あまり力を入れすぎて手首を傷めてしまった。この木は箸の材料の使われているのも納得がいく。

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