常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小泉八雲

2014年07月18日 | 


小泉八雲、ラフカディオ・ハーンはイギリス人で軍医だった父とギリシャ人の母の間に生まれ、イギリスの学校に入ったが父母の死により、アメリカに渡り新聞記者となる。記者のかたわら文学を志し、クレオールなど西インド諸島を訪れ、未開の島の紀行文を書く。1890年、来日し松江に行って松江中学、松江師範の英語教師となる。神社に興味を持ち、出雲大社、杵築大社、日御崎神社などを参拝する。この年の暮れには、小泉節子と結婚している。

一神教でありキリスト教の国に生まれて来日した人で、神道に理解を示し、生きとし生けるものに神が宿ることを信じたのは、帰化して小泉八雲となったハーンが初めてであった。八雲の死後、妻節子が書いた『思い出の記』は大変興味深い。貸家の庭に咲いた朝顔の花に、こんなエピソードが語られている。

「私はよく朝顔のことを思い出します。段々秋も末になりまして、青い葉が少しづつ黄ばんで、最早ただ末の方に一輪心細げに咲いてゐたのです。或朝それを見ました時に「おヽ、あなた」と云ふのです。「美しい勇気と、如何に正直の心」だと云ふのでひどく賞めてゐました。枯れようとする最後まで、かう美しく咲いて居るのが感心だ、賞めてやれと申すのでございます。」

貸家のおばあさんが、もう朝顔は終わりだと、一輪だけの花のまま引き抜いてしまった。それを見た八雲はとても残念がり、おばあさんが朝顔のひどいことをしたと言った。こんな一事を見ても、朝顔を人間と同じ生き物として慈しんでいたことが分かる。八雲は日本の怪談を好み、妻節子に怪談の本を読ませた。八雲があまり怖がるので、節子もつい読むのに力が入ったと回想している。小泉八雲『怪談・奇談』には、「耳なし芳一」「狢」「骨董」など日本の怪談が多数紹介されている。


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油断大敵

2014年07月17日 | 日記


ガソリンの値段が高騰を続けている。リッターあたり170円台も目前だ。160円を越せばガソリン税を廃止して安定価格にする、という主張で民主党が躍進したのはつい5年ほど前である。あの当時は、ガソリン高騰で会社倒産とか、家計破綻とか大騒動であったが、これほどの高騰でもそんな騒動は見られない。消費者のあきらめか、ガソリンを食わない車が普及したせいなのか、何とも不思議である。

「油断大敵」という言葉の同義語は、「畳の上の怪我」「袖からの火事」「月夜に釜を盗られる」などで、気をゆるめて注意を怠ると大失敗や身を滅ぼすもとになるという戒めである。だが、そもそも油断とはどんな意味か。広辞苑によると、涅槃経から出た言葉で、気をゆるして、注意を怠ること。不注意。とある。なぜそれに油断の文字があてられたか、あるいは涅槃経の音なのか分からない。

「油断」を分かりやすく説明したのは、昭和50年に発表された堺屋太一の小説「油断!」である。「過ぎたる自信と傲慢の故に、もてる油を失いその首を断たれた者があった。古の賢人はこれを油断と呼んで後の世の戒めとした」(古代インドの書「ラーマヤナ」より」とその本の題名を説明した。太平洋戦争後、油を失う、というのは、日本人のトラウマのような恐怖の概念であった。この小説は、その日本人の心理を掴んでベストセラーとなった。油を断たれたときの恐怖を梃子に日本は原子力発電の道を歩み始めた。


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薮入り

2014年07月16日 | 日記


お盆である。こちらでは、月遅れでお盆になるが、この日は地獄の鬼が亡者を煮る仕事を休むため、釜の蓋が開いたままになる。「地獄の釜の蓋が開く」というのが、ここからきている。この日は娑婆でも「薮入り」という休日になり、奉公にでた子女たちが、奉公先から暇をもらって実家に帰り、親と水入らずの楽しい時間を過ごした。

やぶ入や浪花を出て長柄川 

春風や堤長うして家遠し

一軒の茶見世の柳老にけり 蕪村

与謝蕪村は「春風場提曲」のなかで、淀川の堤防のうえの風景を詠んでいる。ここで、奉公に出て、子どもから少女へと成長をとげつつある薮入りの女子の姿が、懐かしい点景である。少女の足には、堤の道は長く、家は遠い。だがあまりの懐かしさに、堤を下りて川面へ向かい、草花を摘む。そこには、つめ草の花も咲いていたであろう。

「余幼童の時、春日清和の日ニハ、必ず友どちと此の堤上にのぼりて遊び候。水ニハ上下ノ舩アリ、堤には往来の客アリ。実ハ愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情ニて候。」と蕪村は、「春風馬堤曲」のなかで吐露している。堤を往来する薮入りで里帰りする子女の姿を懐かしむ心中があますところなく語られる。


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象の涙

2014年07月15日 | 日記


テレビのニュースで50年間虐待を受け続けた象のことが報道された。ネットで検索すると、このニュースのネタ元はネットへの投稿であったようだ。50年間鎖で繋がれ、人間の命令を聞かせるための槍が傍らに置かれていた。写真に撮られた象を見ると、身体中に槍で突かれた傷あとが生々しい。虐待された象を解放するため、野生動物の救助団体がこの象のもとを訪ねると、象は痩せて衰え、目から涙のような液体を流した。足にはめらてた鎖をとりはずして解放すると、今度はうれし涙を流したという。

野生動物で感情表現で涙を流すのは象だけだという証言が、動物園で象を飼育している人からのものが多くあるらしい。動物園で象使いが死んだ葬式を、象の檻の前で営んだところ、この光景を見ていた象たちが悲しみで涙を流したという話も紹介されていた。餌をもらう動物がうれしそうな表情を見せることは珍しいことではないが、悲しみやうれしさの感情を涙で表すのは見たことがない。


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収穫

2014年07月15日 | 農作業


収穫の楽しみはもちろん食べることにあるが、その採れたもの形の美しさも忘れてはならない。作家の武者小路実篤は好んで野菜の絵を色紙に描いた。カボチャとタマネギを並べて描き、「君は君、我は我也 されど仲良き」とい言葉を添えた。カボチャや野菜の絵に、「我は野菜を愛す」と書き入れた色紙も残っている。写真のようなカボチャを見ていると食べてしまうのが惜しく、飾り棚に入れて飾って置きたいような気がする。

臍繰りに似し菜園や南瓜蔓 大畑 義昭

南瓜の姿が和風であるのに比べると、マンゴウは南国の風情がある。今年も藤枝の親戚から木で熟したマンゴウが届いた。こちらも食べてしまうのが惜しい美しさである。こんな南国の果物が静岡県で収穫できるのは、やはり日本が熱帯に似た気象条件になってきたからであろうか。



わが家の家庭菜園に今年はプリンスメロンを植えた。蔓は順調に伸び、拳より少し大きい実をつけて熟すのを楽しみしていたが、台風の影響による大雨で実が割れた。やむを得ず収穫して試食してみたが、実が固く熟す少し前でも、甘い実で、完熟すればもっともっとおいしかただろうと、雨を恨んだ。実の割れないものが完熟するのを待つことにする。


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