常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

穀雨

2015年04月19日 | 漢詩


春の最後の二十四節季の穀雨である。しとしとと降る雨が大地を潤し、播種に適した季節である。日本では昔から、菜種梅雨の名で知られている。この季節になると、畑の仕事に向かわなければならない。中国南宋の詩人范成大の詩に、この季節が詠われている。題して「四時田園雑興(春日)。

土膏動かんと欲して雨頻りに催し
万草千花一餉に開く

春がきて大地がゆるみ地中の養分が動こうとすると、雨がそれをしきりに促す。あらゆる草や花がたちまち芽吹き、たちまちのうちに開く。まさにこの詩の通りに、野原はそこかしに草の緑や花の色で装って行く。ただ降る雨はしとしととしたものではなく、強風と空を黒く染める雨雲から、短時間に集中して降る大雨である。そんな、悪天候をものともせずに花々は咲き誇っている。
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山の花たちとの再会

2015年04月18日 | 登山


今週の山行は宮城県大和町の七つ森である。仙台の北18キロ、宅地開発の進む富谷町の西にある200m~300m位の里山が7つ並んでいる。仙台在住の人たちは、この山を7つかけて踏破することもあるようだが、今回我々の計画はその内の三つである。七つ森という名の通り、7つある里山のうち、たがら山、遂倉山、鎌倉山の三つだ。春の訪れとともに、山の様子は日一日と変わっていく。雑木林の新緑、そして目を足元に落とせば可憐な山の花との一年ぶりの再会となる。日当たりのよい場所では、もうカタクリの花は終わっていたが、所々に凛とした姿を見せる。



カタクリの花の脇で、咲いたばかりの美しい花はスミレ。タチツボスミレというのもあるが、その名の由来は、花の形状が大工道具の墨つぼに似ているからこの名になったという説がある。写真のスミレがタチツボスミレであるかどうかは定かではない。カタクリにしろスミレにしろ、木々の葉が繁る前に、たっぷりと日を受けて可憐な花をつける。この日、我々の登山仲間は7名であったが、山中で仙台のグループ14名、7名。そのほか、カップルで登る組みも2,3あった。いずれも、里山に春を告げる花々との出会いがその目的らしい。そのために、女性登山愛好家の姿が目立った。



宮城の山は、山形に比べて1週間ほど春が早くやってきているようだ。萌え出たばかりの新緑は、山に春がきている証である。ウグイスの初鳴きが、山のあちこちで聞こえている。加えて、木の芽、アイコ、コゴミなどの山菜も顔を見せている。天候に恵まれて、春のそよ風のなかの山歩きは快適である。里山の特徴として所々に急な斜面の登りや下りがあるが、足元に注意すれば、難所も短時間で通り過ぎる。



ニリンソウの群落に出会う。沢筋の雪解けあとにでるが、斜面に広がる花はお花畑のようだ。この若芽も山菜として食用になるが、葉の形状がトリカブトに似ているため、誤食すると命にかかわる。ニリンソウはこのように白い花を咲かせるから、間違わないためには花を確認した方が確かだ。キノコもそうだが、山菜という食材は人間が採取生活したころから、その安全性が確認されてきた。動物は本能的に食べるものを選択するが、人間は語り伝えられて知識によって安全性が守られる。山にある知らないものをむやみに食べるのは、厳に慎みたい。



エンレイソウの花は小さく、緑に包まれて地味な花だが、それだけに珍しく可憐である。こんな可憐な花に出会えるのも、春の山歩きである。カメラを携えたカップルが、珍しい花を見つけた写真を撮っていた。春山で山の花の知識を増やすものその醍醐味のひとつである。



鎌倉山の頂上への登りで、下山してくるグループにであった。この人たちは、7つのうち4つ登るという話であった。鎌倉山の頂上は14名のグループが昼食。コッヘルで湯を沸かしラーメンに舌鼓をうつ組もあった。本日の歩行距離4キロ、歩行時間3時間半。鎌倉山の下山中に風がつよくなった。下山後の温泉は滝ノ原温泉、ちどり荘。入浴料500円であった。



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山形霞城公園の桜

2015年04月17日 | 日記


桜が咲いて、感動的な景色に浸れるのは、山形ではやはり霞城公園ということになる。明日からの花見イベントを前に、早朝から花見の人たちで賑わった。夜のライトアップよりも、朝日を受けて城の石垣に映える桜、そしてお堀の水に映る桜の方が断じて感動的である。桜に向けてカメラを向ける人も少なくない。「写真なんか撮るよりも、桜は肉眼で見るに限る」とつぶやいている人もいた。カメラを持ったからといって、桜を肉眼で見ていないわけでもない。その感動を、記録するのがカメラだ。

現在見られる山形城址は、最上義光が天正から文禄にかけておこなった大改築によるものである。山形の地形が東にある奥羽山脈の扇状地であるため、東西に大きな高低差がある。堀は低い方から掘りはじめ、水を落としながら高い方へ堀り進めていく必要があった。この城の東西の高低差は20mもあった。堀に囲まれた本丸は、現在復元工事がすすめられている。城に配された桜に感動するは、この城の歴史を語っているからであろう。



南追手門には、朝の光が十分には届いていない。石垣にしても、城址を整備するために手を加えられいるが、堀や桜に届く朝日は改修工事の雰囲気を再現している。最上義光の墓所のある光禅寺もまたその参道はみごとな桜並木である。義光が桜を愛したことは疑いのない事実だ。連歌師として名高い里村紹巴らと同席した連歌の座で、飛鳥井雅庸の句に義光がつけた句がある。

変わらじとのみ契りつる仲 雅庸
花ゆえに馴れそめけるも縁あれや 義光

いつまでも変わるまいと固い約束をした二人の仲と詠んだのを受けて、義光はそれは春の花見が縁でしたねと、城に咲く桜を持ち出してたくみに応答している。

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散りぎわ

2015年04月16日 | 日記


満開になる前の桜は、たとえ強風や雨が降っても散らない。枝につけた蕾がすべて咲き、人々に見る楽しみを与えたあとで、春のそよ風に桜吹雪となって散っていく。梅の花は、枝に蕾を残しながら散っていく。それに比べて桜の散り際のよさとして、古くから日本人に愛されている所以でもある。

散る桜 残る桜も 散る桜 良寛

良寛の辞世の句として伝えられている。単純に考えれば、いずれ桜の花はすべて散っていくものだ、人の生命とて同じこと、というように捉えられる。しかし良寛はそれだけではなく、桜の花の命の先を見ている。今はすべて散っていくけれども、一年が過ぎてまた新しい春になれば、この花はまた咲く。自分は死んでいくが、桜と同じ自然の流れなかに入っていく。どうか寂しがらないで欲しいという意味をこめたのではないだろうか。
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親指姫

2015年04月15日 | 日記


アンデルセンの童話に「親指姫」という話がある。親指姫はチューリップの花から生まれた親指ほどの大きさしかない小さな少女だ。ある日、ヒキガエルに誘拐されて池に連れ込まれる。そこで親指姫は、魚たちに助けられて何とか池を脱出する。池から出たものの今度は、コガネムシに誘拐されて道端に置き去りにされてしまう。秋になって親指姫は野ネズミのお婆さんの家に居候をさせてもらうことになった。ところが、隣家に住むモグラがやってきて、親指姫に結婚を迫る。親指姫はモグラが嫌いで、結婚は断りたかったが、強引に話を進める。

親指姫は心のやさしい少女であった。モグラの家には、瀕死の状態で飛べないツバメがいた。親指姫は、毎日ツバメを介抱して病気を癒してやった。いよいよ、モグラとの結婚式の当日、ツバメに連れられて、花の国に逃げっていった。親指姫は、花の国でそこの王子さまに見初められ、結婚することになった。「親指姫」は子どもたちの心を揺さぶる童話である。

今日は年金の日。銀行に行くと、チューリップの鉢をプレゼントに貰った。赤い花と、黄色い花があったが、黄色い花を選んだ。オランダでチューりップの栽培が盛んで、毎年収穫する球根は12億個とも言われている。日本で一般に栽培されるようになったのは、明治以降のことである。

チューリップ開くを真上より覗く 鎌田 健一
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