常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

蒲公英

2015年04月24日 | 日記


十日ほど前に蒲公英、タンポポを話題にして書いたが、陽射しが強くなるにしたがって野原には一面のタンポポが見られるようになった。さすがに綿毛はまだ見られないが、再びタンポポを取り上げる。タンポポという名は古くからあったものではない。フジナ、二ガナというのが、古くからの名だ。ナとつくのは、出始めた若菜を食用としたためである。この黄色い可愛い花は鑑賞する対象ではなく、食用にされ、その苦さも他の山菜と同様に、春の味として親しまれきたものらしい。

あたたかくたんぽぽの花茎の上 長谷川素逝

このフジナはツヅミ草とも言った。花が咲き終わり、綿毛が飛んで行った後の形がいかにもツヅミに似ている。このツヅミ菜をタンポポと言ったのは、野に出てタンポポを遊びの対象として摘んだ子どもたちであったかも知れない。ツヅミがタン、ポン、ポンと鳴るをつづめてタンポポと呼ぶやりかたは、なんでも約めて言葉をつくる子どもたちは現代でもたくさんいるような気がする。
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ケマン草

2015年04月23日 | 


ケマン草を移植して二年目。草丈が大きくなり花もたくさん付けた。ハート型の白い花が可憐だ。釣竿に魚を釣ったように見えるからタイツリ草とも呼ばれる。花には白のほか、黄、紫、紅などの種類がある。中国原産のケシ科の花で、コマクサの仲間でもある。花の形が仏具の華鬘に似ているところから華鬘草と呼ばれ、お寺の庭やなどに古くから栽培されてきた。この花が実家の庭に植えられていたのも、隣のお寺から貰ったものかも知れない。

語り歩きいや遠く来ぬ華鬘草 鳥羽とおる

4月、近所の庭を見ながらの散策は楽しい。庭を持たないから、その家々の庭の丹精、花の美しさに思わず足を止め、カメラをむける。チャペックは『園芸家の12カ月』で4月のすばらしを述べている。「四月、これこそ本格的な、恵まれた園芸家の月だ。恋びとたちは彼らの五月を謳歌するがいい。五月は単に草木が花を開くだけだ。ところが四月には、草木が芽を吹くのだ。うそは言わない。このシュートと、蕾と芽は、自然界における最大の奇跡だ。」


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花筏

2015年04月22日 | 農作業


水辺に散った桜を花筏という。昨日のからの風と雨で大半の桜は散り、お堀の水面に分厚く積った。こんなのも果たして花筏というのだろうか。たぶんこの数日しか見られない光景に、カメラを持った人たちが集まってくる。落花のなかに静かに泳ぐ鴨が点在しているもいい。風に吹かれて飛び散る桜の花びらを花吹雪、水に浮かぶ花びらを花筏、なんともうまい表現である。

花屑の流れを風の押し戻す 赤井 雪鳥

きのうまで不安定だった天候が、きょうから落ち着いて晴れ間が戻った。畑の播種も気になるところだ。少しづつ掘り起こして堆肥を埋め、畝作りを始める。昨年蒔いたエンドウ豆が成長を始めている。アスパラが顔を出した。昨年に比べると、これも時期が早まっているようだ。関東方面で日照時間が不足して、野菜の価格が高騰しているという話を聞くが、ここではそんな様子もみられない。霜が降りなくなるとともに、播種も苗の定植も忙しくなる。

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本居宣長

2015年04月21日 | 詩吟


今日、今年の重点練習の課題吟に本居宣長の和歌「山桜」を選んだ。西行法師が桜の花を愛したことは有名だが、本居宣長も桜を好んだことは西行に劣るものではない。課題の和歌は宣長が数多く詠んだ桜の歌でもその代表格だ。

敷島のやまとごころを人問はば朝日にひほふ山桜花

敷島はやまと、つまり大和にかかる枕詞とされている。敷島はそもそも磯城島(しきしま)という地名で、ここには崇神・欽明の両帝の宮が営まれた地である。安永元年(1772)3月、宣長は身近な人を伴って吉野へ桜の花を見る旅にでかけた。その旅には、宣長にとって重大な意味があった。宣長の父は長く子宝が得られなかったことに心を痛め、吉野の実水文神社に神前にぬかづいて子を授かることを祈願していた。そのお礼参りに行かねばと思いながら、父はそれを遂げずに死んでしまった。父はいないものの、自らお礼参りにこの地を訪れたのである。

国学者はこの歌を、やまとごごろを日本の国民精神であるかのように解釈し、国威発揚に結びつけられたこともあった。しかし、本居宣長がこの水分神社の地の心いきは、この吉野の山を覆い尽くす山桜の花であった。宣長は遺言に、自分の墓の周りに桜の木を植えることを指示している。宣長に命を与えたのは、この吉野に咲く桜の花であった。


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アマリリス

2015年04月20日 | 


今年のアマリリスは去年に比べて開花がひと月ほど早い。花茎が2本、一本目には4つの蕾を持った。やはり3月の気温が高かったために早いのか、あるいは昨年4月の気温が低かったために遅かったのか。いづれにしても、花の咲く時期は今年は早いようだ。アマリリスは球根を持つ多年草で、鉢のなかで鱗茎が年々肥大しているので、花茎も二本になり、その脇に小さな芽が出てきた。

もう亡くなった妻の友人からいただいた鉢だが、元気に花を咲かせているアマリリスを見て、天国の友人も喜んでいるに違いない。アマリリスはヒガンバナ科の植物で原産地はアフリカ、メキシコ。日本にはすでに江戸時代に渡来して、ジャガタラズイセンなどと呼ばれた。花の色は多種類があるらしいが我が家ではオレンジ色である。

温室(むろ)ぬくし女王のごときアマリリス 杉田 久女
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