常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

椿

2015年12月27日 | 


椿の種類ほど早春から冬まで、赤や白の花が見られるのは、ほかにないような気がする。小学校わきの道路に街路樹のように植えてある寒椿が、花の衣でも着ているように咲き誇っている。折からの寒気で、小雪が舞っているが、椿はそんなことは気にもとめない風である。年賀状を投函してしまうと、この一年のことがあれこれと思い出される。

花弁に昔ながらの恋燃えて 漱石
世を捨てたるに何の陽炎  子規

旧友との再会が今年のできごとの大きなものだったような気がする。まだ雪の残っている早春に、大学のときの後輩夫婦。古紙の研究で大家になった彼は、再開後メールで難しい論文を何本も送ってくれた。これに触発されて、本棚で眠っていた歴史関係の本を読む機会が増えた。秋になって学生時代に親しくしていた友人に、卒業してから初めて再会した。彼は英文科に進み、長く高校で英語を教えていた、ということであった。記念に英文のOF HUMAN BONDAGEとThe Moon and Sixpennceの2冊を送ってくれた。いずれもモームの小説だが、こちらはまだ未読である。来年は、旧友たちとどんな旧交を温められるか楽しみである。

山登りでは何といっても、雲ノ平5泊の山小屋泊まりの山歩きが、大きなできごとであった。身体能力の限界までを使って、山小屋での温かい食事は、長く記憶にとどまるものであろう。これから、次第に衰えていく体力をどうして保持し、山歩きもスローダウンしていくほかないが、やはり来年も、体力の限界を意識しながら歩いていければよい。この冬、初めて千歳山が、雪化粧をした。

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カサブランカ

2015年12月26日 | 


知人から頂いたカサブランカ、赤南天、白南天、五葉松をアレンジして玄関の飾りにした。正月の花も兼用する。ちょうどカサブランカが正月には満開になりそうだ。ヤマユリ、タモトユリを交配させたオリエンタル・ハイブリットの一種で、ユリの女王とも呼ばれている。すでに玄関に芳香がただよい、さらなる開花が待たれる。この写真を年賀状に取り込んで、今年の年賀状をつくり、今日投函する。
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善女のパン

2015年12月24日 | 日記


先日、年を干支で表している話を書いたが、年だけではなく日も干支で表していた。諺に「はなしは庚申の晩」というのがある。一年に庚申の日は6回あるが(今年は12月10日で終わった)、この晩には、寝ている間に体のなかにいる三尸虫という虫が天国に上って、その人の悪事を天帝に告げるという。そこで、その日の晩は虫が出ないように寝ずに夜を過ごす風習があった。庚申待ちと言われている。どうやってそんな夜を過ごすか、それには噺が一番だというのである。

ブログを書いたり読んだりするのは、案外こん風習から、面白い話はないかという気がなせる業かもしれない。イギリスの小説家オー・ヘンリーに『善女のパン』という短編がある。ミス・マーシャがこの小説の主人公だ。マーシャが40歳を過ぎてしゃれたパン屋を営んでミスと呼ばれるは、婚期を逃してしまったからである。彼女は、店に通ってくる中年の男性に興味を感じた。それというのも、彼が買うのは自慢の焼きたてのパンではなく、古くなって堅い、そして安いパンしか買わないからだった。

不思議に思ってある日、その客の指を見ると、赤と茶のシミついていた。客とは時おり挨拶ていどの話をするが、身の上のことなど失礼になるのではと気を使って聞かなかった。マーシャの想像が膨らんでいく。きっと、彼は貧しい画家に違いない。絵が売れるまで、古くなったパンで我慢しながら、絵筆を握っているのだと。マーシャは、自分が焼いたパンとスープで、彼と食事をしていることを何度も空想した。気の弱いマーシャはそのことを話せずにいた。

ある日、チャンスが訪れた。いつものパンを包もうとしたとき、通りを消防車がサイレンを鳴らして走り去った。客はそれを見に通りへ出た。そのすきに、パンを二つに切ってバターをたっぷりと塗り、またパンを元通りの姿に戻して紙に包んだ。客は雑談をしてパンを持ち帰った。彼女をひとり想像をふくらまして、彼がパンを食べる時の驚きと、自分の好意をどんな風に感じるかと心を躍らせていた。それから数十分後、店へ怒鳴り込んだきた客の言葉で、事態がマーシャの想像とは全く異なっていたことが明らかになった。「おまえはおれを駄目にしてしまったんだぞ。」「バカモノ」「マヌケ」

客と一緒にきた男が説明した。「彼はね、この3ヶ月というもの、市役所の新しい設計に取り組んでいたんですよ。懸賞に応募するためにね。きのうやっと線にインクを入れるところまできたんです。鉛筆で書いた線を消すには古いパン屑が一番だったんですよ。ところが、あのバターですよ。おかげで下図はめちゃくちゃ、使い物にならなくなったんです。」そしてマーサがとった行動は、彼のために着た少しおしゃれな服を脱ぎ、化粧品を捨て去ったことだった。


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狐疑逡巡

2015年12月24日 | 日記


キツネという動物は疑い深い動物らしい。北方の川は氷が厚く張って、車馬も渡れるようになるが、キツネが渡る姿をみるようになると安心して人が渡った。狐疑と言われるほど疑い深く、慎重なキツネは、すぐれた聴覚を持ち、氷の下の水温が聞こえなくなってはじめて渡ると言い伝えられている。狐疑逡巡とは、生来疑い深いキツネが決断を逡巡していることから、人がなかなか決心できない状況を表す言葉だ。

キツネの尾には霊力を宿している。なかでも九尾のキツネは最大の霊力を持つ伝説のキツネだ。このキツネが化身して絶世の美女玉藻前となって鳥羽上皇寵愛を受けるようになった。ところが上皇が病気になって床につくようになって、安倍晴明が本性を見抜いて難を逃れたという話も伝えられている。占い卦に「未済」というのがあるが、これは「子狐、ほとんど済る。その尾を濡らす。利するところなし。」であるとし、この卦が出るとうまくいきそうな計画でも、失敗するから止めた方がよい、とする。

キツネはその尾に霊力を宿す。その尾を水に濡らすとその霊力は落ちてたちまち沈んでしまう、と言い伝えられている。キツネを肉として利用することは余りないが、毛皮は昔から珍重われてきた。脇にある白い毛は狐白と呼ばれるが、裘にすると高価で得難い高級品である。狐疑と言われるほどキツネを疑い深くしたのは、狐白を求めて狩をした人間のなせるところかも知れない。
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くるみ割り人形

2015年12月23日 | 日記


クリスマスの夜、少女が時計職人のおじさんから、不格好なくるみ割り人形をもらったところから物語は始まる。おじさんの名は長くて忘れてしまった。少女の名はマリー。兄のフリッツが人形を見つけて、僕も欲しいと奪い合いになり、人形を壊してしまう。少女は悲しくなって、壊れた人形を自分のベットの傍らに置いて、子どもを癒すようにいたわった。来る夜も、来る夜もそうやっていると、ある夜、マリーは人形の世界に入ってしまう。人形はマリーを大歓待してくれたが、ネズミの軍団が攻めてきて戦争になる。人形がネズミ軍団に勝ったところで目がさめる。マリーの様子を見て、おじさんが人形を直してあげようと申し出る。

おじさんが直した人形をマリーに届けにきたとき、くるみ割り人形の秘密を聞かせてくれる。くるみ割り人形は美しい王女だったが、魔女に呪いをかけられてこんな姿になってしまった。この呪いを解くには、世界一堅いくるみを割る歯を持ち、ひげを一度も剃ったことのない青年が、くるみを割ってその実を人形に食べさせなければならないということだった。方々を探しておじさんは、親戚の青年が強い歯を持ち、一度も髭を剃ったことがないことを知った。おじさんは少年を連れて王国へ行き、堅いくるみを割って実を人形に食べさせた。すると、どうだろう、あの不細工な人形が見るもあでやかな王女に生まれ変わったのです。

それを見た魔女は怒り、今度は青年に呪いをかけて不細工なくるみ割り人形にしてしまった。王様は約束通り、青年の人形と王女を結婚させようとした。ところが醜い人形を見て、王女は泣いていやがり、他の青年と結婚してしまった。この話を聞いてマリーは、人形にされた青年に同情し、これまで以上に人形を慈しんだ。マリー清い心で魔女の呪いが解け、くるみ割り人形は凛々しい青年になった。こうしてマリーと青年は結婚することができた。

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