常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

芽ぐむ

2016年02月24日 | 日記


空き地の草むらにフキノトウが花を開いていた。木々の芽ぐみもそろそろ話題になる時期である。ところで芽ぐという言葉だが、兼好法師の『徒然草』に、こんな記事がある。

「木の葉落つるも、まづ落ちて芽ぐむにあらず。下よりきざしつはつるに耐へずして落つるなり。」つまり、木の葉が落ちるのも、先に葉が落ちて、それから芽が出てふくらむのでなく、内部から芽がきざして出てくるのに耐えられなく葉が落ちる、と言っている。フキノトウの芽もまた、春に出るように思われているが、秋がふかまると葉が茂っているうちに、もう芽ぐんで成長している。フキノトウが葉を落とすことはないが、兼好法師の言葉に真実があるような気がする。気の早い山の仲間は、立ち枯れたフキの茎をかき分けてフキノトウをとり、お正月の料理の香りづけにする。

涙ぐむも芽ぐむと同じように、名詞にぐむをつけたことばである。「可哀そうで涙ぐんでしまった」などと使う。この用法から「ぐむ」は出そうになるという意味のようだ。涙ぐむは、涙が出そうになるだし、芽ぐむは芽が出そうになるという意味である。今週は、三寒四温の寒にあたるらしく、寒い日が続く。温かい日には、フキノトウやマンサク、イヌフグリを探しに野山を散策したい。
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瀧山

2016年02月23日 | 登山


いつも家の東に見えている瀧山だが、視点を南に移してみはらしの丘から見ると、これほども違う印象になる。左に走る尾根が、家からいつも見ている部分である。瀧山の奥の方には蔵王温泉、画面には見えていないが、右手の奥には、蔵王山の山並みがさらに白く見えている。もう瀧山には、何度も雪の時期に登っている。1362mとさして高くはないが、雪のなかの登山にはさまざまな危険も潜んでいる。狭い尾根にできる雪庇が、いたるところにできる。山の仲間も、その雪庇を踏み抜いて滑落事故を起こしたこともある。

今年の山行計画は、月に2、3度に減らしている。瀧山へは雪の時期でなく、秋紅葉の季節になった。この山は、蔵王温泉の方から見るのもよい。その切り落ちた峩々たる山容は、山の魅力に満ちている。登山道には、ブナの林が広がり、ちょっとした林の向こうに山形盆地のなかの市街地を目にすることもある。それにしても、昨年の12月から行った山はたった一回。もっと身体を鍛えて、山登りの回数を増やしていきたい。

更科源蔵の「知床日誌」を読みながら、山への飢渇を癒す。

白銀のような朝だ、はれている。午前3時がというのにもうすっかり明るくなり、鶯や山鳩の声が麓の雲の中から聞こえてくる。山の頂だけが雲海の上に島のように浮かんでいる。オホツク海は勿論雲海の底に沈んでいて、その上に知床の山々が投影する。6時出発。山鳩や鶯の声や雪渓を見れば春の山であり、穂薄のかげに虫の声はもう秋である。(昭和11年7月31日)
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梅満開

2016年02月22日 | 日記


梅が満開になったが、枝の手入れもしていないので、徒長して花はまばらに感じる。紅梅の樹に白梅が接ぎ木してあり、こちらはまだ蕾である。『和漢朗詠集』は藤原公任が選んだ、和漢の詩歌集であるが、梅を詠んだ歌もある。そのなかで、王朝人の美意識を感じるものに

梅花雪を帯びて琴上に飛び

柳色煙に和して酒のうちに入る

梅の花が雪のように舞って琴の上に落ちる、柳の薄緑は野辺の霞と溶け合って酒盃のなかに映っている。陶淵明や漢王朝の貴人が梅の花の咲く庭で、琴を楽しみ、酒宴を開いたという趣向を詠んで句である。平安王朝の貴族たちは、先進国である唐の文化にあこがれ、競って梅の木を自分の家の庭に植えた。

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ 菅原道真

道真は延喜元年正月、貶せられて大宰府に赴任する。家にあった梅に、呼びかけた歌である。梅は主人を慕って、筑紫まで飛んで行ったという飛梅伝説が生まれるもとになった。
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スモッグ

2016年02月21日 | 日記


スモッグという言葉はもう死語になったようだ。かわりに登場しているのは、大陸から飛来するPM2.5である。日本は環境で先進国だということもあちこちで聞くが、1990年代まで自動車の排気ガスのオキシダント濃度が高まり、光化学スモッグ予報が出されたいたことは覚えておく必要がある。

スモッグを毒霞とも呼ばんとす 佐藤 春夫

佐藤春夫が亡くなったのは、1964年のことであるから、この時代にすでにスモッグが俳句に詠まれるようになっていた。スパイクタイヤによる粉塵は、春風に舞いあがり、ベランダに白い洗濯ものを干すことできないほどに汚染されていた。それから見れば、大気の汚染は減ったかも知れないが、異常に発達する爆弾低気圧、異常高温、大雨など地球の温暖化による災害は増える一方である。災害のない穏やかな暮らしができるように祈るばかりである。
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水温む

2016年02月20日 | 日記


週末になると荒れた天気が続いている。低気圧に向かって暖かい空気が吹き込んでくるため、気温は高くなっている。山形城址の堀には、枯れ草に隠れるように鴨たちが、休んでいる。なかには沖の方で泳いでいるのもいるが、水が温んで気持ちよさそうだ。

水ぬるむ主婦のよろこび口に出て 山口波津女

外に出て水仕事をする人たちの姿は見かけなくなったが、鴨にとってはこの感触はよろびに違いない。静岡県の河津桜が満開を迎えたようだが、気の早い桜の開花予想が聞こえてくる。関東が一番早く、3月20日ころとアナウンスされた。春らしい陽気になるまでには、春の嵐が通り過ぎるのを待つほかはない。
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