マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

取材のお礼に巡る癒しの景観①天理中山田

2023年05月10日 08時17分37秒 | 天理市へ
取材・撮影のお礼に印刷したプリントをもって出かけた。

1軒目に訪れた天理市・中山田のK家。

電話中のご主人に代わって屋内から出てこられた奥さんのTさんに手渡した。

撮影の中心人物は、田植え祝いのさなぶりに田の神さんに手を合わせていた昭和8年生まれの母親。

この地に生まれ暮らしてきた母親Sさん。

こんなにえー顔で撮ってくださって。

いつもと同じ顔ですと、喜んでくれた娘のTさん。

今年も元気で暮らしている、と伝えてくれた。

そのとき、娘さんを呼ぶ声。元気なお声をもらった。

当時、取材中のおばあちゃんは、フキダワラをつくりながら、話してくれた暮らしの民俗。

カメラ撮影と同時に収録していた携帯カメラで撮った録画。

そのデータも、USBに落として差し上げた。

お家から下ってきた道沿いに見る中山田の景観。



暮らしのひとつ小さい畑に野菜つくり。

大きくなった蕗の葉。



前年取材にもって帰りと渡された蕗。

大量の蕗の佃煮つくりは初体験。

たいへんだったが、またつくりたくなるけど・・・。

ハウス内に育った苗はもうすぐ始まる田植行き。



また、今年も田植え祝いのさなぶりをされることだろう。

(R3. 4.25 SB805SH撮影)

出会い、遭遇、縁つなぎの天理本通り

2022年12月20日 07時59分54秒 | 天理市へ
これまで2度も大雪予報が外れた。

今度ばっかしは、間違いなく降るだろう。

これまでのこともあるから、起きてみなきゃわからないが・・。

起床時間に屋外に出た午前6時の時間帯は雨がポツポツ振り出した程度だった。

ところが30分後に降る雪にあっという間に道路は真っ白。

こりゃいかん。

只今、車検中。

代車はノーマルタイヤ。

リスク回避にバス、電車、バスを乗り継いで病院へ行く。

2カ月たんびの通院日に雪アタリ。

久しぶりに見る午前8時の冷たい雪はぼたん雪。

列車から見た白い大平原。

帰りに見たその地は、曼荼羅模様。

一般道路は、ノーマルタイヤでもすいすい走っていた車を見て・・・・・今日は何ていう日だ

暖まった大阪王将天理店から出たお外は寒い。



路地裏に見た小路に積もる雪。

ここも冷たい風が吹く。

天理本通りを歩く人は少ない。

通りにあるお店のほとんどがシャッターを下ろしている。



初めて体験する天理本通りに一抹の寂しさを感じるなか、ほっこりするモノがあった。



POPに書いてあった「マスク差し上げます」に目がいく。

「石西呉服店様(三島町)より自社製造のマスクを寄贈していただきました」に続いて「」マスクは大人用、子ども用、大人用・子ども用セットの3種類ございます」と丁寧に伝えている。

マスクは晒しの生地で作っている。

使用する場合は、マスクの間にキッチンペーパーなど挟み込んでご利用ください、とある。

我が家も自家製の布マスク。

間にキッチンペーパーを挟んでいたが、聞き取り取材に口が動く。

その度に挟んだペーパーの顔出し。

予備のマスクに替えても同じだった。

もういいや、と思ってペーパーなしで今も利用している洗いの布マスク。

心ある呉服店の人がつくった晒し生地のマスク。

思わぬプレゼントに温もりを感じ、一枚のマスクを懐に収めた。

外気温は冷たいが、懐は温かくなったような気がする。



帰宅してから読んだお店の口コミ。

店主の人柄がわかるような気がする。



さらし布製のマスクを懐に入れてほっこり。

そこからほんのちょっと歩いたところに食料品店(日の本食料品店)があった。



通りかかる人に、少しでも目につくように通路近くに・・。

思惑とおりになった私の足。

箱売り商品は袋入り。

その他の商品もみな目の下に見える棚売り。

スーパーにみられるような陳列棚はなく、昔ながらの売り場。

商品は三輪そうめんのふし。

大袋入りが250円、150円の小袋入りに思わず手が伸びた。



地産商品を売る「よってって」にあった大サイズなら350円。

なんとお安いことか。

店主に料金を渡したそのときである。

蓋がガラス板の棚にあった商品は1580円のヒダラ。

都祁白石の辻村商店にもあったヒダラ

これもまたスーパーでは見かけることはない。

買う人がおられるから売っている。

もしか・・と思って尋ねた・・・「お盆のときにみかけるサシサバはありますか・・」の答えは「毎年売っていますよ」だった。

店主の奥さんがいうには、「今でも馴染のお客さんが、買ってくれはる。昔は焦げ茶のような色やった。匂いもあるから今はヒダラと同じように袋入り。それも1枚単位で売っている」という。

まさかの出会いが、ここにあった。

仕入れは福井県から取り寄せている。

7月半ばのころだったら棚に出している、という。

実は、と名刺を渡し取材主旨をお伝えしたサシサバ民俗。

その時期、写真に撮らせてもらってもいいですか、の答えは、えーよ、だった。

小躍りしたいくらいに胸が熱くなる。

このお店でサシサバと出会える。

本通りの魚屋さんに売っているサシサバを買って食べている、と聞いたのは、奈良市旧五ケ谷村の中畑に住む、平成27年当時82歳のIさん。

「お盆の8月14日に“サシサバ”を食べている。普段は“サッサバ”の名で呼ぶ食べ物は塩漬けしたサバをカンカラカンに干したもの。両親が揃っている家では開きの“サッサバ”をもう一尾のサバ頭に挿しこむ。平坦盆地部の大和郡山や天理市・斑鳩町で聞き取りした旧村在住の高齢婦人たち。懐かしい味は忘れられないと話していた戦前の幼少期の体験である。今でもその“サッサバ”を食べている中畑在住の2人の高齢者。あまりにも塩辛いから、家族はその味に遠慮。仕方ないから隠れて食べている。“サッサバ”は赤黒い方を「酢」に浸し、柔らかくなれば塩抜きをする。その味は、しょっぽくて辛い。」だった。

今まさに、Iさんが話していたお店であろう

本通りに生もんの魚介類を売る店はないから、この食料品店に違いないだろう。

また、Iさんは、ここ本通りで常に着こなしているモンペとヒッパリも買っていた。

5年もかかって到達した本通り。

まだまだ暮らしの中の民俗が見つかる可能性を秘めているようだ。

食事も摂った大阪王将天理店。

天理本通りもこの日が初めてのお出かけ日。おまけに、夏の民俗を象徴するサシサバを売る店も出会えた。

(R3. 1.12 SB805SH撮影)

苣原町・手造り蒟蒻店

2022年12月04日 08時45分06秒 | 天理市へ
桜井・滝倉からの帰り道は天理・福住から山下り。

途中にある苣原の地で必ず停車して、村の月行事を拝見している。

5日はケイチン、9日はオコナイ。

平成21年に取材ケイチン行事は(宮本の)長老らだけで行われていた。

あれから、時の経過は、もう10年以上か・・・

メンバーもずいぶん代わっているだろう。

そこから20m下ったところに仮設売り場。

手造り蒟蒻の看板に釣られて停車。

どんなんですかと尋ねた売り子さん。

「あんた、昔に閏年の庚申トアゲに来てくれて講中全員揃ったところで記念写真撮ってくれたなぁ」って。

「あれぇ・・・」、にご自宅はと聞けば、あそこだと指差し。なんとその当時お世話になったN区長の家。

写真はうちにあるからよく覚えている、と・・・

久しぶりの出会いに話が弾む。

元々は爺ちゃんが使っていた小屋になるそうだ。

亡くなってからその場に、なにかができないか・・・

6年前から販売している手造り蒟蒻のお店だった。

栽培は元区長のNさん。

蒟蒻つくりは奥さん。

販売に際しては、栽培の勉強から作り方を受講、保健所の許可もとって、現在に至る、という。

これまで6年間、しょっちゅう走っていたこの地でしていたことまったく気づかず・・・

今日が初めての気づき。

実は、毎日が開店でなく、手造りの場はお家に籠ってしているそうだ。

売り場の面倒は代わりがおらんのでシャッターは下ろしている、と・・・

そりゃぁ、タイミングがずっと悪かったんだ。



手造り蒟蒻は水酸化カルシウムを混ぜて作ったものが1個200円。

木灰がほしいからそのときに買ったダルマストーブで木材を燃やし。

その木灰から作ったうわずみを混ぜてつくった蒟蒻が300円。

舌触りは木灰仕様が、えー感じでした。



ちなみにダルマストーブ向こうに貼っている京都・愛宕さんの火の用心札。

数年前までは村代表の愛宕代参3人が京都まで出かけて全戸数のお札を購入していたそうだ。

今はしなくなった愛宕さんの代参。

ここにあるお札は、以前区長をしていたときに少し残していたもの。

売り場にストーブを置いているので貼った、と・・・に、素晴らしい。

ところで、一昨年の暮れ。

12月25日に通りがかった際に見たみしろ(※筵/むしろ)干し

水防フエンスにかけ、干していた。

思わず、車を停めて撮っていた。

背景に見える民家の風情にちょうどはまった干す民俗の一場面。

すごく、えー感じでしたので・・・と伝えたら、それワシがしたんや、と・・・

餅ではなく、採り入れた豆を干していた、というから正月用の黒豆であろう。

今度、豆干しも見せて、といえば、吊るし柿もあるで、と話してくれた。

買って持ち帰ったYTさん手造りのこんにゃく。

一日おいて、5日の食事は家人調理。



尤も、初回の調理は、お造りこんにゃく。

どこのお店で買ってきても、初回の味わいはお造り。

自家製のからし酢味噌味で食べる。

手造りの蒟蒻屋のお造り生がプリプリコリコリ。

からし酢味噌の味にぴったし。

家人はおかずに、私は酒の肴。

2食目は、7日。

手でちぎった塊こんにゃく。

味がしみやすい形は、包丁切りでなく、手でちぎってごつごつした形。



牛蒡に牛肉入れて佃煮風に仕上げる。

牛肉の旨味に佃煮味がしみこんだコリコリ蒟蒻が美味しい。



これもおかずに酒の肴になった。

3食目も手でちぎったこんにゃく料理。

煮もの料理に大根も。



味がしみこんだ大根に、これまた旨いこんにゃく料理。

(R3. 1. 4、 5、 7、20 SB805SH撮影)

長滝町・九頭神社神輿の修復

2022年11月26日 07時47分23秒 | 天理市へ
カラスのモチ習俗の話題を提供してくださった天理市長滝の住民。

うちは現区長家だが、分家のY家。

本家にも立ち寄ってほしい、と願われて、急坂の道を下っていった。

長滝町に鎮座する氏神社は九頭神社。

3年後にゾーク(造営事業)があり、保管庫にずっと寝かして(※保存)いた神輿を再生することに決めたそうだ。

損傷激しい神輿修復にかかる費用は高額。

村に大工さんがおるので、そこでやってもらうことにした。

その大工さんは宮大工でもなく、建物建築。本家のY家さん。

顔合わせて、修復中の神輿を見てや、と云われ、尋ねた現一老のY家。

やっぱり、このお家や、と思わず声が出たY家。

過去、何度も伺い、取材させてもらった長谷の年中行事。

中でも、未だに記憶が鮮明に遺っているコンコンサンの行事。

山に、そして急こう配の山道にも雪が積もった日のコンコンサン

行事の場は、山中にある稲荷社。

登りに村の人たちが困らないように、手すりとして張ったロープ。

その状況下に運動靴で登るのは無理。

取材は諦め下山しよう、と・・

そのことを気遣ってくれたY夫妻。

その日、にわか神主役を務めたYさん夫妻。

急いでお家に戻り、わざわざ登山口まで長靴を持ってきてくれたK夫妻。

ほんとに心から感謝する日だった。

久しぶりにお会いするお二人に、あらためて年賀の挨拶。

10年前、行事取材に世話なった当時の区長さん。

しゃべっている間に私のことを思い出したようだ。



時間を割いて見せてくれた神輿の彫り物が凄い。

ところが欠損多く、顔もわからん。

なんとか見本になるようなものをネットなどに見つけて彫り出した、という彫り物。

屋根から見下ろす姿は下がり龍。



迫力を感じる龍が屋根お支えている。

武将でもないような釣竿持つ人物の愛くるしい姿に思わずシャッターを押す。

左手に扇をもつ立ち姿。前に大きな甕。



水甕でなく酒甕のよう思える立ち振る舞い。

宴に舞う酔客なんだろうか。

神輿の周り、狭間四面、4カ所に設える彫り物。

大波に人物。



右端に線描き入れた人物顔スケッチ。

少しずつ補修されている。

隠れている裏側にも数々の彫り物があるから、見せてあげよう、と重機稼動。

拝見した雲板4カ所それぞれに力士の姿。



神輿の土台を支える姿に圧倒される。

このように力士が支える形は、稀に見る。

力士が支えるのは、狛犬の台座とかに見られる。

各地の神社。くまなく探せば見つかる”支える力士”の姿に力強さを感じる。

上手くできあがったら、声をかける、というが、ちと不安な気持ちも浮かぶも・・。

翌年の5月に再訪し、伺った神輿の修復状況。

神輿は云十年前、それこそ50年前になる。

担ぎ手が少なくなり、担ぐことなくずっと保管してきた神輿。

来年のゾーク(造営事業)に披露できるよう、修復してきたが、ちょっと無理な状況。

ガラスの眼を埋め込んでいた神輿の4隅に設えていた獅子。

眼玉を作る、と息子さんもそう云ってたが、それも無理なような状況にきている、と・・・・・

(R3. 1. 2 SB805SH撮影)

長滝町・Y家のカラスのモチ

2022年11月25日 08時12分19秒 | 天理市へ
何度も訪れたことがある天理市長滝町。

山間の地にある村落。

数々の年中行事を撮影、記録してきた。

秋祭りの宵宮座分け正月ドーヤカンジョウナワオコナイコンコンサン閏庚申涅槃さんも取材してきた長滝の地。

前方に杖をついて歩くお方は、顔見知り。

行事取材に幾度も世話になった。

その当時は、急な山道も軽々登っていたコンコンサン。



後ろから声をかけたいが、これから目指す目的地は、火の見やぐらがある消防団倉庫から急な坂道を登ったどんつき。

柿の木に吊るしたカラスのモチがみつかった。

昨年末、大晦日の夕暮れにかかった電話の声は、写真家のKさん。

砂モチ調査に伺った天理市の長滝。

取材の目的は砂モチ。

現在はしていない、とわかった。

目的を失ったKさんが、その地にたまたま出会わせた高齢の女性。

話の展開は、どこからどうなったのか不明であるが、その女性が云った言葉。

「カラスのモチなら、今からしてやる」、と云われた。

その女性がいうには「翌年には90歳になる」と、いう高齢者。

おばあさんの心に惹かれて、案内してもらったそこは柿の木があるお家。

山の上にあるお家にたどり着いた。

その場で作ってくれたカラスのモチ。

大晦日のその日は、お家で正月の餅を搗いていたようだ。

その餅のうち、いくつかを藁に詰めこんで、柿の木に吊るした。

野鳥に食べてもらうために吊るした藁詰めの餅はカラスのモチ。

藁ズト(※藁束)のようなものを2本用意する。

二つとも、藁束の中に6個ずつのカラスのモチを詰めて柿の木に吊るす。



まさに、Kさんが伝えた通りの場。

柿の木の枝に吊るしていた。



遠景、近景などから見た初見のカラスのモチ。

想像していた通りの形だった。



シャッターを何枚か、押していた音に気がつかれたのか、89歳のおばあさんが、屋内から出てこられた。

私の顔を見るなり、「あんた、昨日の大晦日も、元日にも来てくれて・・・」と、いわれる。

いやいや、そうではなく、大晦日も昨日も、それはKさん。

Kさんから教えていただき、私は今日が初めてです、とYさんに伝えたが・・・

あんた「林檎3個に大きな写真を持ってきてくれたやろ」、と云われるが、それはKさん。

見た目は違うのだが、土地の人ではないから、みな同じように見えるようだ。

入口前での会話。にぎやかし、していたら屋内から出てこられたから若奥さんが、「寒いから家に入って」、と云ってくれた。

玄関土間に据えている客間にテーブル・椅子のセットがある。

お客さんとの会話はこの場で済ませる。

紹介された、Y家の当主。昭和24年生まれのY区長。

70歳までは奈良市法蓮町にある花屋さんに勤めていいた。

義理の父、母が高齢になり、花屋を定年退職後に家族ともども、妻の実家に転居。

親子どもども長滝に転居し、分家のY家を継いだ。

村のことは、なにも知らなかったが、村に認められて区長に就任(※福住連合区長会の会長も勤める)した。

24軒の長滝を預かった区長役。

地区に暮らす先輩たちの支援を受けて役目を務められるだろう。

さて、カラスのモチである。

おばあさんがいうには、百姓はみなしていた、というカラスのモチである。

柿の木に吊るしているからカラスは来ない。

正月開けたら、少し歩いた山行きに梅の木があり、そこに吊るし替える。

そうしたらカラスがやってきて餅を喰ってしまう、と話してくれる。

カラスのモチは、12月30日に搗く正月の餅の一部。

正月の餅から、12個の餅をいただき、藁ヅトに収める。

柿の木に吊るすのは、例年が31日にしているようだ。

また、旧暦閏年の年のカラスのモチは、13個。

ここも見られた旧暦閏年の13の数。

県内の民俗事例に、多彩、多様な民俗。

あちこちの地域行事に13の数を示す祭具。

多すぎると思えるほど数々の事例が各地に継承されてきた。



今日は、元日。ご厚意により、正月の膳から分けてくださった練り物をよばれた。

南天を皿に敷いたそこに盛った食べ物は、蒲鉾に、さつま揚げ。

毎年同じだけど・・という練り物が美味しい。

特別のお店で買ってきたと、いう練り物は、ほんまに旨い。

席を立とう、としたときに気づいた祭具が目に付いた。



「無病息災 五穀豊穣」を記した矢羽根。

その祭具は、たしか見たことがある。

二ノ正月の2月5日は、長滝の年頭行事である正月ドーヤがある。

平成22年2月5日に取材した正月ドーヤは、九頭神社のケイチン地蔵寺のオコナイカンジョウナワカケからなる一連の行事。

元々は4日、5日の両日に亘って行われる行事であったが、1日にすべてを終えるよう短縮化された村の初祈祷行事である。

Y家の玄関口に見た矢羽根の本体は矢。

マトウチに描かれた鬼を射る弓から放たれた矢である。

マトウチ射手は、座の一老。

続いて矢を打つ二人の本当家と、受け当家の2人に行司。

打った最後。弓の角で、鬼をバラバラにしてしまう。

鬼のとどめをさす行為。

鬼は無残な形。

鬼を退治した、マトウチの儀式によって、村の安全が確保され、五穀豊穣を願った矢は、拾い集めて持ち帰り、無病息災を願う家の守り神となる。

(R3. 1. 2 EOS7D/SB805SH撮影)

檜垣町・大日堂の正月初御供

2022年11月21日 07時54分14秒 | 天理市へ
元日お披露目の大和郡山市の小林町から離れて天理市の檜垣町へ向かう。

到着した時間は、丁度の午前10時。

先に参拝した三十八社。数年前に拝見していた砂の道は、前日の大晦日にも見ていた。

なんとか間に合ったものの、大日堂にはどなたもどなたもおられず。

と、いうのも承知のとおりである。

大日堂の役をされる人たちは、朝8時に持ち寄った正月餅を供える。

朝8時に伺うのは難しい、と伝えていたからそれでいいのである。

たぶんに、朝10時になるかと、思いますと伝えていた。

まずは大日堂に参拝する。

本堂前に立てた門松。

写真でもわかるように、扉を締めている本堂の前に正月御供餅がある。

元日の朝日の光を浴びて輝いていた正月の御供餅。



供えた時間が遅かったのか、猫や烏。鳥獣などから受ける被害もなく・・・。

今日は、鳥獣にとっても元日だったのだろうか。

何事もなかったかのように、おすまししている。

半紙を敷き、ウラジロの葉の上に二段の白餅に吊るし柿がひとつ。

すぐ傍にもなにやら御供のような・・・

形からしてわかる正月の御供餅。

半紙に包んだおひねりの形。

心あるご近所の人が供えたものだろう。

しばらくの時間に撮っていた正月御供餅。

そのとき、郵便屋さんが運んできた新年の挨拶を伝える初配達の年賀状。



元日の民俗を取材中に出会った郵便屋さん。

これまでいくつかの、シャッターチャンスに恵まれたことがある。

さて、新年の挨拶をしたいお家は、すぐ近くにお住いのMさん。

前年の、といっても、お会いしたのは前日の大晦日。

令和2年12月31日に紹介してもらったMさん。

大日堂の行事などを話していただく。

僧侶無住の檜垣町。大日堂の面倒をみてもらうため京都東本願寺にお願いして今に至っているそうだ。

傷んでいた大日堂を修復した、と話してくれたSさん。

屋根を修復したときに見つかった棟札によれば、江戸末期に建て替え。

仏師の名もあった、という。

盗人に盗られて行方不明になった大日如来。

歩いて戻ってきた、という説話もあるが、盗人が返しに来たようだ。

元々は4日だった大日如来の縁日を、戻ってきた日の8日に移した。

毎月の8日に清掃した7人の有志が、御供上げ。

般若心経一巻を唱え、灯したローソクが消えるまで堂内で過ごしているそうだ。

本堂に安置している仏像は4体。

煌びやかに美しい西陣織りの幕裏に隠れておられる。



本尊大日如来の他、室町期製作の地蔵菩薩立像、不動明王、弘法大師座像。

それぞれ左右に彩るお花も新しく花替えし、仏像前に正月の御供餅を供える。

半紙を広げたそこにウラジロ。



二段重ねの鏡餅に昆布。

吊るし柿は一つ。

葉付きみかんを載せた御供台は、脚付きのヘギ。

本尊の大日如来の前にだけは、雑煮の具盛りも。これらは当番が供えたそうだ。

また、4人が個別に供えた鏡餅もある。

形式も二段重ねの鏡餅に葉付きみかんに吊るし柿をひとつ。

盛ったお盆の様式は、丸型や四角に長方型。

それぞれお家で使用しているお盆であろう。

毎月8日のお勤めは、季節によって始まる時間を替えている。

夏場は午後6時よりはじめるが、日が短い冬場は、1時間早めた午後5時にしている、という。

堂内在廊中の撮影取材。

そのとき、屋外から声が聞こえてきた。



有志の方たちの正月参拝を堂内から撮らせてもらった。

毎月8日の営みとは別に、5月8日は特別な日になる。

盗人に盗られた大日如来。

それがなんと盗人が返しに来た。

その日が5月8日。

戻った日を記念し、それ以降の5月8日は特別な日にされた。

大日如来の縁日は、本来が4月であるが、檜垣町は戻ってきた日を記念に5月8日を縁日にされたワケである。

かつては、村中の人たちが寄り合縁日であったが、徐々に離れた人もおられ、現在は7人の有志のみなさんが寄り添い、檜垣町の文化を継承された。

午後6時、有志たちは1月の初庚申の日にも集まり、清掃後に般若心経を三巻唱えているそうだ。

また、7月23日は、大日堂に安置している室町期製作の地蔵菩薩立像のお祭り。

関西では、どこの地域でもしている地蔵盆がある。

その日は、連れてきた子どもたちとともに、この場でみなが寄り添って、家でつくったお弁当を持ち込み堂外の場で食べていた、という。

今は、弁当を広げることのできないコロナ禍。

終息した、としても以前のようにふるまえるかどうか・・・

檜垣町に、薬師講もあるが、現在は休憩と称し、中断状態。

心経唱える際に打つ小型の伏せ鉦に目が動いた。

ついつい拝見したくなる鉦の銘である

Mさんに立ち会ってもらって見た三本脚の小さな伏せ鉦。



直径が10cmの伏せ鉦。

返して見た裏面に「京大仏 西村左近宗春作」の刻印があった。

作者名は、他の事例などから判断、おそらく元禄~、享保、宝暦年代の製作であろう。

(R3. 1. 1 EOS7D/SB805SH撮影)

下仁興の門松飾りに九頭神社のしめ縄

2022年11月15日 07時10分15秒 | 天理市へ
午後3時半。

晦日のころの仁興町は山の陰。

冬日に感じる時間は早い。

平坦でさえ、午後4時半には、車のヘッドライトを点灯する晦日の日。

今もイノコ座を継続していた上仁興

宝前の灯籠に供えていたカラスのモチも拝見した。

村の入り口に下仁興も掛けていた勧請縄も撮っていた。

これまで何度も訪れて行事を取材してきた下仁興。

振り返って、遡った11年前の下仁興。

私にとって、下仁興最後の取材になってしまった九頭神社の御ぜんさん行事

長老六人衆の寄合に、その年に行われる村行事を確認し合う。

それまで取材した行事は、御供屋当籤祭礼御供屋当

祭礼中に行われる農具を模してつくった祭具を括っているしめ縄かけ

宵宮のシコスモウ、春まつり、的座式烏帽子着座神綱掛式風祈祷

下仁興に初めて立ち寄った年は、16年前の平成17年の8月21日

九頭神社に居合わせたご夫婦が教えてくださった年中行事。

行事名からして、奥が深いような気がした。

さて、晦日に到着した時間帯は、午後3時40分。

1時間も経たないうちに日が暮れる。

出荷場から見える高台にある会所。

階段から下りてくる人の姿が見えた。

急いで向かった会所に門松があった。

95歳になった座の長老他、5人が会所に門松を立てていたそうだ。

11年間の空白もあったが、長老六人衆の顔ぶれはほとんど変わりなく、今でも元気な様子だった。



解散されてお家に戻った長老らを見送ってから足を運んだ九頭神社。



会所同様の形式で設えた門松。風に煽れ、落下した葉っぱが散らばる境内。

屋根にも多くの落葉がみられる九頭神社。

まつりのときには綺麗に掃除おされた、としてもその後の季節は落葉の季節。

いくら掃除しても、イタチごっこになる、と県内各地の宮守さん。

ため息はでても、綺麗にするのが役目と云っていた宮守さんもいたなぁ。

長老らは、そのまま高齢化したと伺える下仁興の年齢層。

屋根に上るのも難しい。

そのことはともかく、神社拝殿に祭具が見える。



コロナ禍であってもしなければならない神事ごとがある。



新しく架け替えるしめ縄に、小当人らが括りつけたスキ、クワ、ノコギリ、ナタ、カマなどのミニチュア農具は、この年も見みられた。

(R2.12.30 EOS7D撮影)

下山田・一番星、明けの明星御供にイタダキ膳

2022年11月14日 08時08分24秒 | 天理市へ
いつ停止してもおかしくないバッテリー上がり。

ブースター接続に起動したものの、不安しかない。

ヒヤヒヤしながらも走った10km。

十分な充電ができよう・・。

次に向かうは、天理市山田町・下山田。度々、お世話になっているSさん。

玄関にしめ縄をかけていた。

その一部に、昨年の元日に拝見した三角の形で設えた藁つくり

今年もされていた。

一番星明けの明星の正月迎えの鏡餅を供える場ができていたので、いつされるのか聞いてみた。

なんなら今からでもしてあげよう、といってくれた

小餅は2段重ねの鏡餅。

「ニコニコ、仲睦まじく」の名がある10個連なる吊るし柿から串ごと2個取りした串柿。

蜜柑は大きいからはみ出し。

本来なら夜半にされているのだが、せっかく来てくださったんだから、してやりや、と奥さんの声。



午後4時過ぎにしてくれたのがありがたい。



この場を借りて厚く御礼申し上げる次第だ。

おまけに、これもしてあげようと、室内で見せてくださったイタダキの膳。

かつては赤膳に盛っていたそうだが、たいそうになってきたことから、現在はSさん手つくりの台に載せた。

珍しいのは餅重ね。

一般的な2段の鏡餅でなく、S家は薄くつくった餅を5枚重ね。

上は大きく、下は小さく。

逆三角錐形の餅重ねは末広がり。



お家の繁盛が末永く、と願う形だそうで、昔はもっと大きかった、という。

今年の恵方(※さいとくしんと呼ぶ歳徳神)に向けてイタダキする時間帯は、午前0時すぎから。

イタダキをしたら、若水でつくった雑煮を食べる。

ちょっと取ったおすそ分けの雑煮の具。

その一部を一番星明けの明星の正月迎えの棚に追加する。

それを済ませてから、大とんどの火で迎える春日神社に出かけて初詣。

役に就いていた宮守さんらとおめでとうしてから帰宅。

午前1時には就寝し、元日の朝は、講中になっている関係から三輪神社に初詣に出かける。

イタダキにもう一つ。

閏年の場合は、餅を13個にする月の数の餅。

てっぺんに三日月の餅。



その他、用意はできなかった一升桝も。

頒布されたお伊勢さんのお札を桝に立て、内側に財布を入れるそうだ。

お礼を伝えて下山田を離れ、帰路に就こうと思いハンドルをにぎったそこに見える夕景。

雪が積もった下山田の田園地。

真っ白な情景に、カメラを構えた。



刻々と変化する下山田の景観。

集落が、今まさに暗闇に包まれようか、という午後5時直前の時間帯は、今まさに「山眠る」。

除夜の鐘が鳴る大晦日の日暮れ時に、電話が鳴った。

写真家Kさんからの緊急連絡だ。

砂モチ調査に伺った天理市長滝。

今はしていない、とわかった長滝の民俗である。

カラスのモチなら今からしてやる、と云われて急遽、取材することになった。

翌年には90歳になるおばあさんの心に惹かれて、山の上にあるお家にたどり着いた。

その場で作ってくれたカラスのモチ。

藁ズトのようなものを2本。

両方とも、餅を6個ずつ入れて柿の木に吊るす。

消防団の火の見やぐらがある筋の急な坂道を登りつめたどんつき。

柿の木の枝に吊るしているそうだ。

初祈祷行事から、秋祭り座分け正月ドーヤカンジョウナワオコナイコンコンサン閏庚申涅槃さんも取材していた長滝の地。



場がどこであるのか、すぐにわかったが、今からでは暗闇の地。

急遽、決めた正月二日に訪問するつもりだ。

(R2.12.31 SB805SH/EOS7D撮影)

福住・西念寺茅葺本堂の雪かぶり

2022年11月13日 08時00分40秒 | 天理市へ
年の瀬はみな忙しい。

気忙しく時間だけが過ぎ去っていく。

大晦日に行われるお家民俗の取材に車を走らせた西名阪国道。

一週間前から気象庁が伝える大雪に積雪予報。

平たん部も20cmは積もるとアナウンスしていたが・・。

大慌てで取り換えたスタッドレスタイヤ。

能力発揮することもなかったが、山間地の天理福住に出たとたんに周りは雪、雪・・。

目的地に向かう行路にある融通念仏寺の西念寺。

茅葺本堂に積もった雪が輝いている。

思わず車を停めて撮ってみた。

レンズ越しに見える本堂の回廊に人の姿。

作務衣を着た僧侶が箒で掃いていた。

(R2.12.31 SB805SH撮影)

上仁興・四社神社の正月飾りにカラスのモチ

2022年11月08日 08時02分49秒 | 天理市へ
写真家のKさんに教えてもらった村行事のカラスのモチ。

場所は、天理市の上仁興四社神社に見たことがある、という。

早いうちに行かねば、カラスのモチが、それこそカラスの餌食になってしまう。

急いでいかねばと、思う気持ちが胸躍る。

都祁白石から南之庄。

福住手前に遭遇した倒木処理。

天理ダムに向かう前の苣原を経て、ようやく到着した天理市の仁興町。

先に拝見した下仁興。

村の入り口に勧請縄を掛けていた。



さらに車を移動した上仁興の入り口にも勧請縄を掛けていた。

平成18年、19年、22年、23年、24年に行事取材していた仁興(にごう)地域。

知ったところは行きやすい。

初めて上仁興の年中行事お拝見した年は、平成18年12月8日。

村の行事の(八日講の)勧請縄掛け

下仁興もされている勧請縄掛け。

尤も行事名は神綱掛式

カンジョウナワかけを、神々しい詠み字にされたのであろう。

そのことはともかく、上仁興、下仁興の両地区とも一年に2度も、同じ場所に勧請縄を掛ける。

上仁興は12月8日に、年明けの1月7日

両日とも、綱に掛ける房に括る木々の葉は松葉。

下仁興も年末の12月8日であるが、翌年は2月9日

掛ける葉は、12月は上仁興同様の松葉に対して2月はシキミ(※樒)の葉をかける。

下仁興、上仁興の順に拝見した両地区の勧請縄。

コロナ禍であっても、なかっても掛けなくてはならない村を守る勧請縄。

以前にもブログなどで発信してきたように、下流から遡上してくる悪いもの、疫病などが村に入らぬよう、願いを込めて村の入り口に掛ける。

今年も、例年同様に掛けられた勧請縄。

その下を潜るのが申しわけなく頭を下げて、上の地に向かう。

そのときに気づいた、正月を迎える印し。



作業場の一角。

さりげなく飾っていた輪〆のしめ縄。

ウラジロもしているし、赤い実の南天も。



上仁興の集落は、そこよりもうすぐ。

歩いても数分のところに村の掲示板がある。



うち一枚の伝言は、12月の村行事を報せる掲示物。

毎年されてきた亥の子座は、神事ごとの”三献の儀”を取りやめ、自由参拝に。

全国的に、どこの地区もそうせざるを得なかったコロナ禍の対応。

”三献の儀”の場は、四社神社の拝殿内。

狭い場に人が寄り合う集会は極力避けたのだろう。

平成19年12月9日に拝見した亥の子座の行事など、秋まつりも同じような対応されたと思う。

掲示板から歩いてすぐ、四社神社がある。



手を合わそうとした、その場にあったたくさんの御供餅。



門松を立てた左右の石燈籠の屋根、火袋付近に。

前述した写真家のKさんの話によれば、これらの餅がカラスのモチである。



乾いた餅のようだから、今日に搗いて供えたんものではないだろうが、相当数の餅があったから貴重な映像記録になった。

(R2.12.30 EOS7D/SB805SH撮影)