天理市柳本町・
伊射奈岐神社の栞に年中行事が書いてあった。
中でも気になったのは9月下旬に綱掛祭である。
「往年の注連縄神事は、宮司宅で注連縄を製作して鳥居にかける」と、あった。
下旬であればたぶんに日曜日と判断して出かけた。
今年の1月13日、御田植祭行事の取材に訪れていた伊射奈岐神社。
手水舎手前に架かる橋がある。
ほとんど舗道と区別ない状況につい見逃してしまう、神社に向かう橋は「天神橋」。
伊射奈岐神社は、かつて“楊本の天満社“であった。
天神信仰の隆盛する時代。
『大乗院寺社雑事記』の寛正二年(1461)の記録によれば、中世楊本郷の信仰中心であった”天満社“と書いている。
手水舎右の石段を登って鳥居を潜れば西向きの本社殿が見える。
その鳥居にある注連縄は月日の経過を感じる朽ちる前の状態。
で、あれば、まだ注連縄の架け替えはしていない。
社務所に立ち寄ってみるが、扉は締まって不在。
社務所右隣のお家。
呼び鈴を押して出てこられたK宮司に尋ねた綱掛祭の件である。
これまでは氏子ら有志が社務所で、稲わらを結って注連縄を作っていた。
稲わらはたぶんにモチ藁であろう。
作った注連縄をかける時間帯は夜中。
なんでも人に見られてはならん、と人目を避けてかけていたそうだ。
神事ごとの綱掛祭は、秋の祭り前に新しくかけ直していたが、作っていた人たちが高齢化。
材のモチ藁は生産もしなくなり、入手は困難な時代になっていた。
そういうことで、3年前より地元業者に依頼して作ってもらうようにした。
以前は、4房の下がりであったが、今は3房。
藁束をひっくり返すようにして作っていた房さがりである。
かける場は、西、東の鳥居の他に社務所、末社の稲荷社の鳥居に拝殿や本殿前の鳥居にもかける。
今から頼んでおいて、業者に作ってもらった注連縄ができあがるのは年末。
今は大晦に行なわれる大晦日祭に時期を移したそうだ。
本日に撮った西の鳥居の注連縄が朽ちているが、拝殿や社務所の注連縄はまだまだ新しいように見える。
その理由は天日や雨風など自然の猛威にからしのぎやすい場所であるか、それともまともに当たる位置に晒されている場だから多いか、否かの違いである。
また、神社より下った天理街道、つまり古代の往路である上ツ道と交差する辻にも鳥居があったそうだ。
宮司が赴任する前のころ。
およそ40年前には建っていた鳥居。
車の往来も増えてきた時代の道路拡張工事が持ち上がり、それをきっかけに鳥居を降ろした。
当時の鳥居の柱を載せる台(※
礎石、沓石とも)の石は二分割して、遺したという。
それが宮司家のカド、左右に置いてあった。
撮影の了解をいただいて撮らせてもらった鳥居の台石。
文様でわかったが、話を聞いてなければ見落としそうなくらいに、その場に馴染んでいた。
ところで、宮司さんに伺うもう1件。
1月の御田植祭は拝見したものの、肝心かなめの松苗のことである。
豊作を願って奉ると思っていた松苗は見ることがなかった。
その松苗について教えを乞うた。
実は、現在の御田植祭には松苗はなく、護符にしている、という。
当日、はっきりは見えなかったアレが護符だった。
以前は、山から伐り出した松の葉を集め、束にした模擬苗の松苗を作っていた。
山に行っても松が見つからない時代。
材がなければ松苗は作れない。
業者から松を購入する手段にはいかず、祈祷するのは護符だけにしたという。
「
柳本百選」に載せていた写真に松苗がないのは、そういう事情があったからだ。
その護符を農家の人たちはどのようにしているのか存知ないようだ。
柳本もてなしのまちづくり会が調査し、纏めた「
柳本百選」は、ネットに公開されている。
柳本の場合は、苗代つくりのときではなく、“苗代締め”に護符を立てる。
掲載している映像では、田植えもとうに終えて稲がすくすく成長している時季。
「苗代の隅に五穀豊穣のお札と、花、紙袋の中にお米を入れて置く。これを“苗代締め”と云って、今年も無事にお米が獲れますように、田んぼの神さんに祈りを捧げる風習」と書いてあった。
護符にある願文を読めば「祷 天地神 苗代為千穐”アキ“齢 柳本町 伊射奈岐神社」。
この護符は、成人の日に同神社の御田植祭で祈祷されたのち農家に配られ、6月の”苗代締め“に立てるようだ。
奈良平たん部は6月初めころが田植えの時季。
田植えをはじめるまでの育苗は苗代が場。
苗床から移した苗箱すべてを運び出して、田植えを終えた段階で苗代の役目を終える。
苗床は壊して、田んぼにして稲を植える。そのことが”苗代締め“である。
今年の5月31日、奈良市押熊町で田植えのすべてを終えた田主さんのSさんは、苗代に立てていた祈祷札を倒し、さらに苗床もすべて浚えて、余った苗を植えるために耕作地に戻した。
つまりは柳本と同じ考え方の田植え終わりに行なう苗代締め。
また、明日香村上(かむら)に農業を営むF家もまた同じようにしていた、
田植え終わりのナワシロジマイ(※苗代締め)であった。
そろそろ稔りの時季がやってくる盆地平たん部。
稲刈りはだいたいが10月中。
田んぼの状況を見ていた男性に声をかけた。
男性が住まいする地域は桜井市。
ここ柳本で稲の耕作をしているのは奥さんの実家の関係。
行事ごとはわからないが、イロバナを立てる光景は見たことがある、という。
聞き取り取材は、ここまで。宮司から聞き取っていた記事のメモを車中でとっていたときである。
若い女性が、天神橋辺りに立ってスマホを見ていた。
参拝者のような雰囲気でもない。
そこへ自転車でやってきた壮年女性。
どうやら落ち合っていたようだ。
二人は手水で清めて神社へ向かっていった。
伺えた様相から参拝者と判断した。
西の鳥居から拝見していた2人の行動は、まさに参拝。
拝殿から手を合わせた本殿。
次に厳島神社、大山祇神社、八坂神社に稲荷神社も参っていた2人。
氏子さんなら御田植祭の松苗も存じていると判断してお声をかけた。
2人は母娘。願掛けに清酒一本を捧げてお願いしていた、という。
以前に見た御田植祭にあったソレは杉葉だったか、それとも松葉であった。
曖昧な記憶だが葉っぱを集めた形だったが、すいぶん前のこと。
モミオトシをした苗代田にあった、という。
うちが農家ではないから、ソレを受け取ることはなかったが、配っていたお伊勢さんのお札は神棚に立てていたようだ。
ここではないが、この娘が小さいころ、
田原本町の鏡作神社で田植えの真似事とか、牛面を被って暴れている祭りを見に連れて行っていた、という。
母親の生家は農家。
おじいちゃん、おばあちゃんが農作業をしていた。
私が子どものころの記憶である。
尖った鉄の歯が並んでいた農具に、刈った稲穂を手にして脱穀していた。
名前は知らないその農具は固定していたが、やがて回転する形になった。
揃えた稲穂を、ドラムのように回転するその道具に突き出したら籾がいっぱい獲れた。
その後、その回転式農具は電動式になった。
便利な時代になったと思った。
ハンドルをぐるぐる廻して籾殻を吹き飛ばす唐箕もあった。
当時、使用していた農具はいっぱいあったが、いつしか無用の道具になった。
欲しい人がおれば、あげたらと云われたが・・・。
話題は苗代の護符に戻して、もう一度尋ねたら、最近のことを話してくれた。
住宅地も多いが、柳本駅辺りとか、リカーショップの「やまや」辺りには稲の耕作地がいっぱいある。
その辺りで見た護符は、長めの木材。
まるで割り箸のような支柱に挟んでいた護符を見かけたことがある、と・・・。
私が知りたかった、まさにソレである。
時季は不明であるが、前述したように田植えの時季である。
その1カ月前のGW期間のころも含めて柳本界隈の耕作地を巡回してみるか。
(R2. 9.27 SB805SH撮影)
(R2. 9.27 EOS7D撮影)