![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/97/26b173f46d5c288f79a04c28e6041d32.jpg)
展覧会チラシ 海北友松 重文 雲龍図 部分 建仁寺
2017.05.20
京都国立博物館の
海北友松(2017.04.11-05.21)展
・・・を観てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/60/792e53a0dc3643a8072c2a17a6cbbc13.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/9c/dd525575923f55efe794288e514012c6.jpg)
快晴の最終日前日。
長者の列を覚悟して本まで用意して行きましたが・・・
待ち時間ゼロ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/00ee384683331f4db06f186a6f55c9dc.jpg)
重文 雲龍図 建仁寺
この絵を目の当たりにして感じたのは、
遠くで雷鳴が聞こえそうな大気の奥行きと
暗雲のうねるような動きでした。
そこからにゅっと出た龍の手の怖さ。
勢いのついた強い線と柔らかいぼかしが
力強い線だけで描かれた雲竜図よりリアルな迫力
を生んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d3/893bc753e5e8940e8600e9a30c1e6a2f.jpg)
浜松図屏風 右隻 宮内庁三の丸尚蔵館
これを観た時は、尾形光琳の国宝「紅白 梅図」が浮かびました。
水際の線をはっきり絶妙な構図で区切り、
その面白さ自体をモチーフの描写以上に狙ったた意匠に
共通点を感じたからです。
正確な制作年度はわかりませんが
(1658年生- 1716年没)の光琳より
(1533年生-1615年没)の海北友松は100年早く
こんな絵を描いていた・・・。
光琳の「紅白梅図」も何の脈絡もなく
突然天才が生み出したものでもないのだと感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ff/1acfff85be45eeba271b054731055df8.jpg)
月下渓流図屏風 右隻 ネルソン・アトキンズ美術館(米)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/07/8964d67cd87b6c8441c693c8eebddb05.jpg)
月下渓流図屏風 左隻 ネルソン・アトキンズ美術館(米)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/71/b919b97e960ad2faad93eda7a5a7b009.jpg)
重文 松に叭々鳥図襖 禅居庵
海北友松は、信長に滅ぼされた
近江浅井家の家臣の子息ですが
寺に入っていたため命を長らえ、
狩野派に学んで絵師になったそうです。
そして狩野派の総帥狩野永徳や永徳に対峙した
長谷川等伯と並び称される画家になりました。
狩野派から離れ友松風といわれていく画風は、
やはり、当初は狩野派にも学びやがて対峙していった
長谷川等伯の「松林図屏風」のスピード感のある筆致や
静謐な空間に共通点を感じました。
ゆっくり観覧出来て良かったと思う半面、
もっと来館者がいないともったいない・・・
そんな風に思いながら展示室を出ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/36/a52d6c375df7344117a4643883aac746.jpg)
平和知新館オープンテラスより、明治古都館を
観ながら自販機のお茶で休憩。
日差しと影が初夏のような一日。
しばしのクールダウン。
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