最初から、感じた違和感。残念ながら’感’はあたってしまった。
県への登録は更新していない。どうしてこうなったのだろう。
2024.12.02
丁度、その後クリスマス前まで苦しむことになる風邪の引き始め
県下の中学校の校長から、突然の電話がありました。
驚いたことに、2002年に45歳で取得した時、県教育委員会に登録したままだった名簿をみて、
>来年春からの「美術」の非常勤講師の要請でした。
年齢的に採用試験も受けられず、活かせなかった資格・・・。
この年で新しく努力し成長できる仕事を得られる・・・奇跡のオファーに思えました。
教育実習先の中学校の先生方や生徒たちの励ましを思い出し胸が熱くなるようでした。
取得当時に比べると、現在は採用試験も60歳に引き上げられているほど、教員不足なので、還暦過ぎて教員免許を取得し採用された人もいるようですが、それでも狂喜しました。
が、>とにかく一度来てください。・・・の後、また別の日を指定され・・・採用の手続きの話が進まない。
不審に思い尋ねると、学校訪問を繰り返し、一月末までに私が最終決定すれば正式に手続きをとるということでした。
全学年全クラスで週13-15マスと何度か聞いたけど給与/1マス単価は、おおよそすら教えられなかった。
金額の多寡にかかわらず行きたいと思っていたけれど・・・そういうの、教えてくれませんか、ふつう?
徐々に違和感・不安が広がる。。。
美術教師は他に居ないと聞いていたが、来年は美術を学年で持つことになるかもしれないと予想(期待)している支援学級の教師が美術のベテラン教員で、その方に指導していただきながらの仕事になるようでした。
その方とお話するために・・・と校長から指定されて出かけた日、その教師はデッサンの時間を計って進路指導している最中でした。
・・・2度面談や見学に行って、感じたのは冷ややかな校長や美術教師態度や言葉。
励ましの言葉はない。質問を繰り返しても具体的・前向きなビジョンが見えない。
年間のスケジュールさえも教えてもらえない。
それでも、・・・年明け1/5に次のミーティングを指定してきたけれど・・・
私の警戒心は、もはやピーク。これでは・・・ムリ。。。と年内に辞退をきめました。
私の緊張しながらの辞退の言葉は、二つ返事で受け入れられ辞退を喜んでいるかのようでした。
具合が悪い中、何度も出掛けたのも私の勝手な都合だし、印象が悪かったのかもしれない。
でも、あれほど、免許取得者で通勤可能な人を探すのが困難と言っていたのは、何だったのだろう?
適任者の心当たりが見つかったのだろうか?
それにしても、私から求職活動をしたわけでもないのに、校長の対応は理解・納得できない。
闇に包まれた大きな穴が、胸に開いてしまったような感覚を正月中も埋めることが出来なかった。
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