JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

月と蟹 尾道秀介 著

2012-02-22 21:26:12 | 


何を見て読もうと思ったのか、著者も何もしらないけれど、たぶん新聞の広告をみて、図書館で検索し、照会文を読み予約をしたもの順番がまわってきた。

図書館の照会文は次のようなものでした。
「 世界は大きくて理不尽だから、僕たちは神様を創ることにした-。海辺の町、秘密の場所で子どもたちが見つけた「ヤドカミ様」の正体とは。やさしくも哀しい祈りが胸を衝く長篇小説。『別冊文藝春秋』連載を単行本化。」

半年ぐらいまったら順番が巡ってきて、後の人もいるので、きちんと読んで戻そうと読みました。

照会文とはちょっと違う感じをうけたのが一番の印象。
閉鎖状況にあるような大人たちや、そこで秘密の行動をとる子供たち、すべてにどうも魅力がない。その人間像は著者の意志が充分つたわる像であるけれど、大人の行動はうすぺらく、子供の方は、子供特有の残酷さはえがかれるものの、馬鹿に大人じみて(物語の大人より大人びた会話をしてみたり)いたりして、怖く感じた。
子供が異常状況下で精神の均衡を保つような儀式では、映画「禁じられた遊び」があるが、比べるとそれは思考の後の賜物であって、その儀式自体も純粋に昇華できない。
これが現代の子なのかと不思議に思う。

このやるせなさがすべて、作者の意図であろうと思う。しかし、純粋にこの登場人物たちを自由に行動させるならば、母親は恋慕にひかり、恋人になる人間の人間性が問われ、発端となった事件の当事者の祖父の存在も輝くものとなったであろう。
そこでうごめく子供たちは、もっと残酷に、そして素直に行動したのではないかと思う。

読み始めた最初の部分で感じた、廻り灯籠のような幻視を期待したのは、こちらがこの本をしらなすぎたからいけないのだが、最期まできちんと読ませたのは、こちらの望みとは違うけれど作者の意図するところと、構図がきちんと伝わってきたからだろう。
コメント (2)
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